0.

 アミューズメントパーク「天国への門」。
 娯楽施設としてはストレートというか、あるいは開き直ったというか、期待感と不安感をそこはかとなく刺激してくれる名称の遊園地は、東ユグドラシル魔法院から列車で1時間ほどの場所にある。
 創業から2年を経た現在でも、幸いなことに不慮の事故などで「天国への門」をくぐった人はおらず、良い意味で「天国」に近い楽しさを提供する施設として老若男女から幅広い支持を集めている。
 現在の所、目玉となっているアトラクションは、これまた天国の名前を冠した「天国への塔」という代物。背中に魔力で制御可能な「天使の羽」と取り付けることで、誰でも簡単に空を飛び、雲の上の景色を展望できるといったもので、魔法使いでない人や、浮遊や飛行といった魔法が不得手な魔法使いを中心に大きな人気を博している。だけど、その人気に比例するように、そのアトラクションの優先入場券はなかなか手に入りにくい事で知られていた。

 そんな入手困難な優先入場券を手に入れた、との連絡が龍也から入ったのはつい先日。そこで、みんなで遊びに行こう、という話になったのだが。

 ……そこにいろんな思惑が錯綜していることに、神崎良が気づく由もなかったのであった。


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  魔法使いたちの憂鬱

           第十話 思惑錯綜、遊園地(その1)

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1.入園前(神崎良)

「うわー、凄い。見て見て、良。凄いから、ほら!」
 重力制御方式(線路と列車本体の間に反発する魔力を流して列車本体をわずかに浮遊させる方式)の急行列車に乗ること1時間弱。遊園地「天国への門」の最寄り駅の改札を一歩出るなり、霧子が眼前の光景に歓声を上げた。
 視界いっぱいに映るのは、広々とした丘。そして、その上にそびえ立つ『空白期』以前に存在した(という説がある)お城をイメージしたという建造物群だ。見た瞬間、時間と世界がずれたような印象を抱かせるテーマパークの光景に、霧子だけでなく俺も一瞬、目を奪われる。だけど、停止する思考はすぐに霧子のはしゃぐ声に呼び戻された。

「ほら、良。あれ。みんな、ほんとに飛んでるよ。ほら」
「飛んでるって、何が」
 青色の瞳を軽い興奮に輝かせる霧子の視線。その先にあるものを追って、俺も目をこらした。
 『飛んでいる』という形容の仕方からして、霧子が見ているのは例の目玉アトラクションのことだろう。そう見当をつけて、それらしい建造物を探してみると……あった。いや、正確には探すまでもなく、「天国への門」の入場門の背後、文字通り天まで届くんじゃないだろうかっていうほどの巨大な薄水色の塔がそびえていた。文字通り天まで届くようなガラスもしくは水晶で出来た塔。そして、更に目をこらせば、その中を飛び交う無数の黒い影のようなものが確かに見えた。

「……あれって、ひょっとして、人か?」
「ひょっとしなくても人だってば。あんた視力いくつよ」
「両目とも1.0だけど」
「どこまでも平均的スペックが好きな奴よね。あんたって」
「人の視力にまでいちゃもんをつけるな。っていうか、アレが人だったら、あの塔の高さって何メートルあるんだよ」
 ここからあれだけ小さく見えているのが人影だとしたら、なおかつあの幅と高さを保っている塔の大きさはいったいいくらぐらいになるのか。
 俺が、そんな疑問とも感嘆ともつかない言葉を漏らすと、後ろから隣に並んだ龍也が小さく笑いながら答えてくれた。

「運営側の公称値では幅500メートル、高さ1000メートル」
「1000メートル?!」
「うん。本当だとしたら、建築法に引っかかる高さだよね……って、良。パンフレット読んでないの?」
 渡しただろ? と目で問いかける龍也に俺は肩をすくめて視線を後方へと投げた。視線の先には、俺たちと同じように、やや興奮した目でそびえ立つ「塔」を見上げている綾と、いつもどおり淡々とした表情をやっぱり少し楽しそうに緩めている佐奈ちゃんの姿。その二人の姿を眺めつつ俺はぼやくように龍也に答える。

「もらったけどさ。独り占めして渡してくれないやつがいたんだよ」
「う……っ、だって「貸して」って言ったら、兄さんが「いいよ」って言ってくれたんじゃない」
 俺の視線と声に気づいたのか、綾は一瞬、気まずそうに目を伏せてから、そんないいわけを口にする。

「お詫びに案内から解説までばっちりするから。何でも聞いて。ね?」
 そういう問題でもないと思うんだけど。一瞬、そう突っ込みかけたけれど、せっかく遊びに来て初っぱなから文句ばかり、というのも雰囲気に水を差してしまう。

「まあ、そういう事で手を打つか。しっかり案内よろしくな」
「うん! まかせて!」
 はにかむように笑って、綾が大きく頷いた。
 こういう無邪気な笑顔は、例の件から久しく見ていなかった気もするから、胸の中のもやもやが晴れていくのを感じて自然と俺の頬もゆるんでいく。

「じゃあ、綾。さっとくあの塔の解説よろしく」
「うん。あれは「天国への塔」っていうアトラクション。見ての通り大きなガラスの塔って感じの施設で、大きさはさっき龍也先輩が言ったとおり「公称値」で幅500メートル、高さ1000メートル。この国で一番の巨大建築物……っていう設定になってるの」
「設定?」
「うん。だって、本当にそのサイズだったら、これまた龍也先輩が言ったみたいに建築法違反になっちゃうから」
 本当にパンフレットを読み込んできたのか、すらすらと流れるように解説を述べる綾は、そこでいったん言葉を切って俺の顔をのぞき込んだ。

「だから、どういう事だって思う? 兄さん」
「んー。ということは、その「公称値」は嘘ってことなんだな?」
「うん。それはあくまでアトラクション内部での体感指数なんだって。実測値は公表されていないけれど、幅はともかく高さは結構低めに出来てるらしいよ。今私たちが見ている光景だって、あの塔から一定範囲の人だけに届くように調節された幻なんだよ」
「へえ……なるほど」
 ようするに外観の所為でアトラクションの体感というか迫力を削がないように工夫している、ということなのか。俺が感心した声を漏らして綾の講釈を聞いていると、綾の親友の佐奈ちゃんが綾の隣に進み出て俺を見上げた。

「先輩はああいうの、好きなんですか?」
「うん。楽しそうだし、興味あるよ。なにせ自分で空を飛べるようになるまでには、まだまだ時間はかかりそうだしね」
 答えながら頭の中で「魔法使いなら空ぐらい自分で飛びなさい」なんていうレンさんの声が聞こえてきたりもするけれど……まあ、精進しよう。そんな俺の内心はさておき、俺の返事に、佐奈ちゃんは、なんだか少し嬉しそうに目元を緩める。

「わたしも当分、飛べそうにないですから。仲間ですね」
「仲間だね」
「あ、じゃあ、私も仲間かな。まだ飛べないし」
「……兄さん。佐奈。霧子さんも。そういうので仲間意識は持たないでよ」
「大丈夫、浮遊はコツをつかんだらそんなに難しくないよ」
 飛べない同士で頷き合う俺と霧子と佐奈ちゃんに、綾と龍也の優等生コンビから呆れたような突っ込みが入った。

「だまれ。お前らの意見は参考にならん」
「うん。あんたたちは規格外だし、参考になりません」
「そうです。仲間はずれです」
「佐ー奈ー」
「冗談だよ」
「……半分ぐらいは本気だった気がする」
「あたり」
「あたり、じゃないのっ!」
 綾の言葉の矛先が俺から佐奈ちゃんに、ずれた。その機会に俺は龍也を少し手招いて、耳打つように気になっていたことを聞いてみる。

「でも、龍也」
「何?」
「こんなに連れてきて大丈夫だったのか? 優先チケットがあるって言ってたけど……」
 みんなの反応を見ている限り、あの「塔」に興味津々なのはよくわかる。だから人数分の枚数がないとちょっとまずいことにならないだろうか。そう危惧する俺の声に、「大丈夫です」と答える声は、龍也からではなく背後から聞こえた。

「枚数には問題ないです」
「佐奈ちゃん?」
「ちゃんと私が手に入れておきましたから」
「佐奈ちゃんが?」
「はい」
 驚きに目を開くと、佐奈ちゃんは、その小さい体をそらして、少し誇らしげに胸を張った。

「凄いですか?」
「うん。凄い」
「褒めてください」
「うん。ほめる。凄い、偉い、ありがとう佐奈ちゃん」
 賞賛と感謝の意味を込めて、彼女の求めるままに俺は、佐奈ちゃんの頭をぐりぐりと撫でる。綾よりも頭一つ背が小さい彼女だから、非常に撫でやすい位置に頭があったりするので、撫でやすいことこの上ない。いや、あまりにも子供扱いがすぎるかなー、と思ったりもするけれど、こうすると佐奈ちゃんはほんのわずかに頬をゆるめるのがわかってるので、多分、本人もいやがってはいないと思う。
 事実、今回もその例に漏れず、佐奈ちゃんは少しだけ口元をゆるめてくれた。

「褒められました」
「褒められ足りなかったりしない?」
「ちょっとしますけど、現時点ではこの辺で納得します」
 そういうと佐奈ちゃんはぺこりとお辞儀をして、とてとてとした足取り(の割には動き自体は俊敏なんだけど)で、綾の方へ向かう。
 うん。やっぱりおもしろい子だ。佐奈ちゃん。

「良。そろそろ行こうよ。解説は済んだでしょ?」
「そうだな」
 早く中に入りたい。そんな気持ちにじれているような霧子の台詞に頷いて、俺は「天国への門」へと視線を向けた。
 親子連れやらカップル、あるいは観光客らしき団体さんまでぞくぞくと、「天国への門」へと向かっている。そんな列を目にして、俺はふとした思いに動かされて、綾に振り向いて呼びかけた。

「綾」
「なに?」
「あのさ」
「うん」
「今日は……あれだ、目一杯遊ぼうな」
「……うんっ!」
 龍也や霧子が、いきなりどうしてこんな企画を立ち上げてくれたのか。その意図は正確にはつかんでいないけれど。
 少なくとも、今日はもやもやした気分なんか、感じないほどに。そして感じさせないほどに。妹と友人たちと凄そうって決めって、俺たちは「天国への門」への道を進むのだった。


2.前夜の作戦会議

 ここで時間は少しだけ遡る。

 /会話:一年生’s/

「綾。明日の目的は分かってる?」
「う、うん」
「とにかく、霧子先輩より早くアクションを起こすんだよ」
「わ、分かってる……」

「私も、綾が良先輩と二人っきりになるチャンスを絶対に作るから……、一気に、やっちゃうんだよ?」
「ど、どこまでっ?!」
「出来るところまで……アレとか、ちゃんと用意した?」
「な、何の用意よっ」

「してないの?……いきなり出来ちゃったら困らない?」
「だ、だからっ! いきなり、そこまでは無理だってばっ!」
「じゃあ、せめて、キス」
「うっ」
「無理?」
「そりゃ私だって……、したいけど……だって、この間それで失敗したばかりだし」

「そのリベンジが、明日、だよ」
「う、うん……」
「……出来る?」
「が、頑張って、見る」
「うん。頑張ろ。綾」
「うん」

 /会話:同級生’s/

「龍也、一応確認しておくけど。明日の目的ちゃんとわかってる?」
「勿論。みんなの親睦を深める―――」
「殴るよ?」
「ごめんなさい。ちゃんとわかってるってば」
「本当でしょうね……」

「そんなに疑わないでよ。綾ちゃんの様子を観察すること、だよね。わかってるよ」
「だったら、いいけど」
「だから、霧子の方も頑張ってね」
「私? 頑張るって何を?」

「だから、なるべく良とベタベタしてくれないと困る」
「……え?」
「頼むね」
「ちょ、な、なんでっ? なんでそんなことになるのよ?!」
「あのね……霧子の方こそ、今日の目的分かってる?」
「だから、綾ちゃんの反応を見るんでしょ?」

「その通り。だから、彼女の反応を促すための「刺激」が必要なのは当然だよね?」
「それは……そうだけど」
「本当に綾ちゃんが良に「そういう感情」を抱いているのか。それを見るのならやっぱり焼き餅を焼くようなシチュエーションがわかりやすいと思うんだ」
「で、でも、良とべたべたって……どうすればいいの?」

「その辺は霧子に任せるよ」
「ま、任されても困るんだけど」
「じゃあさ、積極的な下級生が霧子にやるような真似をやって」
「う、ええ?!」
「……そんなに驚くようなこと、やられてるの?」
「そ、そんなことないわよ?!」

「具体的には」
「その、抱きついたりとか、手を握ってきたりとか」
「うん。いいんじゃないかな」
「い、良いって何がよ?!」
「だから、それで行こうよ」
「良に抱きつけっていうの?!」
「いや、手をつなぐ方で良いんだけどね」
「あ」
「……抱きつきたかった?」
「うるさい!」

/ /

以上、昨晩、それぞれの陣営で行われた会話であり……当然のごとく、神崎良の知る由のない会話。


3.入場(神崎良)

「ようこそ『天国への門』へ!」
 チケットと引き替えにアーチ状の入場門をくぐり抜けると同時、よく通る子供の声が頭上から降り注いだ。
 声の方向を振り仰げば、そこには小さな子供の姿をした男女一対の天使像が、にこやかな笑みを浮かべて空を舞いながら、入場客に笑顔と歓迎の声を振りまいている。
 ぱたぱたと純白の翼をはためかせてはいるけれど、勿論、実際に翼を使って飛んでいる訳じゃなくて、魔法を使っているんだろう。

「あれって、自律してるのか?」
「ううん。いくつかのパターンを組み合わせて行動してるだけなんだって。でも自然に見えるって評価は高いんだよ。兄さん」
「へえ」
 流石に美術部の恐怖の食人絵画……もとい完全自律の魔法生物、なんて冗談みたいな存在ではないらしい。そう頷く俺の傍ら、綾は例によって調べた知識をつらつらと披露しはじめた。

「ちなみに、あれが「天国への門」のマスコットキャラのバル君とナンちゃん。可愛いよね」
「似てるけど、双子なのか?」
「双子じゃないけど、兄妹だって。年の差は1歳。だけど年齢は秘密、だって」
 遠目からでは人間の子供と見分けがつかない精巧な作りの人形について、綾が流れるように解説してくれる。なるほど、兄からパンフレットを取り上げて読み込んだ成果はきちんと出来ているらしい。

「ふふ。仲良さそうだよね、バル君とナンちゃん」
「そうだな」
 楽しげに綾が言うとおり、そういう風に作られている人形とはいえ、二人の天使は仲むつまじく手をつないで空を優雅に舞っている。遙か遠い世界樹の中には、こういった天使たちが暮らしている、なんて説もあるけれど、こういうほほえましい光景が繰り広げられているのなら信じてもいいかな、って気がしてくる。

「……手、つないでるよね」
「ああ、仲いいんだな」
 きっと仲良し兄妹って設定なんだろう、と口に仕掛けた言葉を、俺は寸前で飲み込んだ。わざわざ「設定」なんて口にしなくても、兄妹だから仲がいいって、そう思っていれば良いだけのような気がしたから。
 ……うん。兄妹は仲が良いに越したことはないよな、やっぱり。

「なあ、綾」
「あ、あのね、兄さん」
 天使像を見上げていた俺たち兄妹が、同時に視線をおろして、互いに呼びかけた……その刹那。

「こら、良」
「え?」
「あ……」
 割って入ったのは、焦れたような霧子の声だった。

「入り口で立ち止まってどうするのよ。マスコットもいいけど、まずはアトラクションでしょ」
「いや、そうだけどさ」
「ほらほら、いくよ」 
 そう言うと霧子は、問答無用、とばかりに俺の手首をつかんでそのまま歩き出した。ぐいぐい、と強引に手を引く霧子につられて、二三歩たたらを踏んだ俺は、あわてて歩調を早める。

「わかった、わかったから、手を引っ張るなって、おい」
「文句はいいから、さっさと来るの」
「だから……まあ、いいけどな」
 聞く耳持たない、と言った様子の霧子に苦笑して、俺は大人しく連行されることにした。どうにも霧子は妙にテンションがあがってるらしいけれど……まあ、こういう霧子を見るのは嫌いじゃなかったから。

 / /

「あ……」
「惜しかったね。綾」
「うう、ちょっと良い雰囲気だったのに」
「うう、出遅れたっ」
「でも、めげてる場合じゃないよ」
「わ、わかってる……っ、行こう、佐奈」
「うん」


 / /

「霧子。わかったから、そんなに引っ張るなって」
「む」
 スタスタスタ、と足早に進むことしばし、何回目かの抗議に、霧子は不満げに眉をひそめた。ちょっと怒ったのか、微妙に頬が赤い気がする。

「なによ。女の子に手を握られてて文句とは良い身分じゃない」
「お前が握っているのは手じゃなくて服の袖だ。あと握ってるんじゃなくて掴んで引っ張ってるという形容が正しい」
「細かいことを気にしないの。大枠じゃ間違ってないはずなんだから」
「左様で」
 なんて大ざっぱな枠だ、とつっこむのは止めにして、俺はおとなしく霧子に引っ張られるままに先に歩いていた龍也の元へとたどり着く。
 龍也は、といえば、霧子に連行される俺を見て、楽しげに頬を緩ませていた。

「あはは。仲いいね、二人とも」
「霧子がはしゃいでるだけだぞ」
「五月蠅い。それより、ほら、あれあれ」
 霧子がそう言いながら指さしたのは、縦5m、横10mぐらいはあろうかっていう大きな案内板。それが、これまた羽をつけてふわふわと浮いている。

「……って。なぜ、浮いてる?」
「雰囲気作りでしょ」
「いや、雰囲気って」
「可愛いじゃない。ふわふわしてて」
「か―――」
 可愛い?!
 ……いや、これはかわいいと言うよりなんというか、シュールなんだけど。羽があっても看板だぞ? 無機物だぞ? 羽をつけたら可愛いっていう感性はどうなんだろう。しかも、看板が「ふわふわ」してたら見難いだろう。しかも見上げる形になるので首が痛い。
 と俺が霧子の感想に、つっこもうとした時。

「あ、可愛い」
「羽根つきですね」
 後ろから追いついてきた綾と佐奈ちゃんが案内板を一目見て口々に感想を漏らした。

「……二人とも。これ、可愛いのか?」
「うん。ふよふよしてるし」
「はい。ふよふよしてますから」
「看板に羽だぞ?」
「無いより可愛いよ?」
「大は小を兼ねる、です。良先輩」
 それはちょっと違うような気もする。というか、ひょっとして俺の感性が他人よりずれているんだろうか。不安に駆られて龍也に視線を向けると、「大丈夫。僕も変だって思ってるから」と言わんばかりの表情で頷いてくれていた。
 よし。ここは男女の感性の違い、ということで納得しておこう。

「まあ、羽根付き看板の是非はともかく……なにから遊ぶ? みんなはパンフレット見てきたんだろ?」
 龍也によれば、目玉である「天国への塔」は午後からの優先チケットになってるらしく、最初に遊ぶ施設は別に選ばないといけない。ざっと案内板に目を通す限り、存在するアトラクションは軽く二十を超えそうだった。なら、手当たり次第、という訳にもいかないから、どれで遊ぶかは決めておかないといけないだろう。
 そう問いかける俺に皆は一斉に振り向くと、それぞれ決めてきていたらしいアトラクションの名前を口にしていく。

「そうね。『エアコースター』とかどう? 最高時速が凄いらしいよー」
「『大観覧車』とか、どうかな。あんまり過激じゃないし。見晴らしは凄く良いんだって」
「『雲のお城』がいいな。ほ、ほら、お姫様気分・王子様が満喫できます、だって。ほら」
「遊園地といえば『お化け屋敷』です。ここは譲れないところだと思います」
 以上、順番に霧子、龍也、綾、佐奈ちゃんの提案でした。

「……」
「……」
「……」
「……」
「……見事に意見が割れたな」
 呟いた俺の言葉に、全員が何となく気まずげに無言で顔を見合わせた。
 それだけ「天国への門」に愉しげなアトラクションが多いって事なんだろうけれど……さてどれから行くべきか。せめて、二票はいるものがあったらそれからにしたんだけど。
 
「さて、じゃあ……」
 公平にじゃんけんででも決めようか。そう提案しかけると、

「じゃあ、良に決めてもらおうか」
 と龍也が不意に言った。その言葉に、残りのみんなも釣られたように首を縦に振る。

「じゃあ、良の意見で決まる訳ね」
「そうですね。兄さんの一票で決定です」
「はい。良先輩にお任せします」
「え?」
 口々にそう言いながら、みんなが意見を促すような視線を俺に向けた。

「いや、俺、アトラクションの内容しらないぞ?」
「今説明したじゃない。その印象で決めたらいいのよ」
「うん。こういうのは第一印象が大事なんだよ。兄さん」
「兄からパンフレットを強奪して熟読した妹が何を言うか」
「それはそれ、これはこれなのっ」
 まあ、誰かが意見を変えるより俺が一票を入れて多数決、ということにした方がもめなくて良いのかな。そう納得して、俺は佐奈ちゃんの方を伺った。

「佐奈ちゃんも俺が決めて良いの?」
「はい。先輩のご意見なら従いますから」
 淡々と首を縦に振る佐奈ちゃんだったが、特に不快感は浮かんでいないようだったので「そうか」と俺もまた頷きを返す。

「綾。ちなみに、今日一日で全部は回れそうなのか?」
「えーとね。「天国への塔」を入れて四つぐらいが限界じゃないかな。午前二つに、お昼ご飯をはさんで、午後二つ」
「なるほど」
 一個は行けなくなるのか。じゃあ、確実に行ってみたいのをここで選んでおいた方が良い事になる。

「んー」
 四人の視線を感じながら、俺はふわふわ浮く案内板に視線を投げた。多分、案内板は魔法の絵の具みたいなもので描かれているのだろう。『エアコースター』『大観覧車』『雲のお城』『お化け屋敷』とそれぞれの名称が、ふわふわと蛍光色で描かれて舞っている。そしてその文字の隣には内容を表すような簡略図が人形劇みたいにちょこちょこと動いて、その楽しさをアピールしている……のだけれど。

「……あれ?」
 その中の一つ、「お化け屋敷」の内容だけは真っ暗な四角が描かれているだけで、その内容がさっぱりわからない。ほかの三つについては円盤状の乗り物がぐるぐると高速回転していたり、雲を突くようなものすごい大きな観覧車がぐるぐると大きく回っていたり、王子様とお姫様が手を取り合ってくるくると踊っていたりとその内容を示しているのだけれど……。

「佐奈ちゃん」
「はい」
「お化け屋敷の内容ってどんなのか、知ってる?」
「内容は非公開なんです。頻繁に変更されるそうですし、恐怖は知らないこそ意味がある、という方針らしいです」
「なるほど」
 確かに内容を知ってしまっていると恐怖も半減するのかもしれない。それに……こうしてあからさまに内容を隠されてしまうと、こうウズウズと好奇心を刺激されてしまって、あの真っ黒な四角の中、どんな「お化け」が潜められているのか気になってしかた無くなってくるので宣伝としても有効なのかもしれない。
 ……うん。だったら。

「よし、じゃあ。俺もお化け屋敷に一票。ってことで、最初はお化け屋敷で」
「……え?」
 俺が佐奈ちゃんの意見に一票を投じた瞬間、誰かが引きつったような声を漏らした。その声に振り向けば、そこには微妙に口元を引きつらせた霧子の顔。

「あれ。霧子、こういうの苦手だっけ」
「に、苦手じゃないわよ。全然」
「じゃあ、何故目をそらす」
「……べ、別に。なんとなく」
 ふるふるとポニーテールを小さく横に揺らして「苦手じゃない」とアピールするが、その余裕のない表情からは全然説得力というものを感じない。

「だから! 苦手って訳じゃないんだけどね? で、でも、ほら! せっかくの遊園地だし、初っぱなからこういう暗いのはどうかなーとか」
「それは偏見です。霧島先輩」
 抵抗を示す霧子の言葉を、ぴしゃり、と切って捨てたのは佐奈ちゃんだった。

「こういうアトラクションには、演出の粋が集められています。お化け屋敷を知らずして遊園地を語る無かれ、です」
「そ、そうなの?」
「そうです」
 あいかわらず淡々と語る佐奈ちゃんだったが、ちょっとばかり本音が入っているように感じる辺り、お化け屋敷が好き、という発言に嘘はないようだった。

「よし。じゃあ、早速行こうか。お化け屋敷」
「え、ええ?!」
「怖くないんだろ? 霧子」
「しつこいわね! 怖くないって言ってるじゃないっ」
「じゃあ、何故、服の袖を握る」
「……別に。なんとなく」
 相変わらず目をそらしたまんま、霧子は俺の右腕の袖をがっしりと握っていたりする。……いや、まだお化け屋敷に入ってもいないんだけど。
 一瞬、霧子のあまりの動揺っぷりに「止めておこうか」との考えも頭によぎったけれど、逆にむくむくと悪戯心が沸いてきてもいた。それにまあ、こうやって派手に怖がってくれるやつがいないとお化け屋敷も楽しくないような気がするし。

「で、出遅れた……っ」
「綾?」
「あ、ううん。なんでもない、なんでもないよ?」
 そんな俺と霧子の側で、綾が小声で何か呟いた気がしたけれど……気のせいか?

「あ、ちなみに僕もどちらかといえば苦手なんだけど……」
「お前もか」
「う、うん
 歩きかけた俺に向かって龍也も申し訳なさそうに片手をあげる。なるほど、今日の上級生たちは下級生たちに比べて「恐怖系」への耐性はあまりないようだった。
 しかし、龍也だったらお化けだろうが怪物だろうが、その気になれば実力で排除できそうなんだけれども。恐怖とはまた違うものなんだろうか。

「じゃあ……そうだな、綾と一緒にいたら大丈夫だぞ」
「え?」
 そう俺が龍也に言った台詞に、狐につままれたような表情をして、綾が一瞬かたまる。何でそんな表情になったのか分からずに俺は軽く首をかしげた。

「綾、お前、こういうの平気だろ?」
「へ、平気じゃないよ!」
「? いや、怪奇映画とが、全然平気じゃないか」
 たまに家族揃って映画を見ることがあるけれど、レンさんと綾は「この手の映画」は全然平気なのだった。どちらかというと俺の方が怖がっているぐらいなんだから。そう指摘すると綾は目に見えて狼狽えつつ、なぜか頑なに首を横に振る。

「う……それは、それ。これはこれなの!」
「そうか?」
「そうなの!」
 力強く断言する綾だが、力強すぎて全く怖がっているように見えないのはどうしたものか。
 ……あ。ひょっとしたら……龍也の隣にいるのが照れくさかったりするのだろうか。

「ま、基本的に全員固まっていれば問題ないよな」
 どちらにせよ、そこまで怖いアトラクションでもないだろうし。
 ……なんて、このときの俺は思ってしまっていたわけで。

 結局、俺と佐奈ちゃんの意見を採用して、俺たちは「お化け屋敷」へと第一目標を定めたのだった。

 / /

「な、なんでこうなるの……っ?」
「出遅れたね」
「うう、なんだか、今日の霧島先輩、妙にスキンシップが多いよっ?!」

「本気出してきたのかな」
「ほ、本気って」
「大丈夫」
「え?」
「別にお化け屋敷は二人っきりで入る訳じゃないから」
「そ、そうだね。そうだよね」

「それに私が手を打つから大丈夫」
「手?」
「うん。まかせて……ちゃんと良先輩にくっつかせて見せるから」


4.お化け屋敷へ(神崎良)

 料金を払ってゲートをくぐり抜けた先に見えた施設は、お化け屋敷の名前の通り確かに「屋敷」という印象があった。手入れされていない(と思われるように手入れしているであろう)芝生。煉瓦造りの外壁は、古びていていかにも「何か出そう」という雰囲気を醸し出している。ついでに言えば、今にも崩落しそうと言う印象まで醸し出しているのは娯楽施設としては、いささかやり過ぎ泣きもするけれど、どうなんだろう。
 ちなみに、お化け屋敷の入場料を払って受け取ったチケットにはこんな一文が記されていた。

『ようこそ、この世とあの世の境界へ』

「うーん。もしかして「幽霊系」なのかな」
 舞台とあおり文句から、俺はそう見当をつける。「怪物系」のお化け屋敷の方が、心理的には楽なんだけど……霧子は大丈夫だろうか。
 そんな危惧に相変わらず二の腕あたりの服を握って放してくれない霧子に視線を落とすと、「幽霊」という言葉に、顔の引きつり具合がやや増したような気がした。
 ……ここまで怖がるとは、正直意外だ。だから、お化け屋敷を選んだことに軽い罪悪感を覚えたけれど……今更、「止めようか」と言って素直に頷くような霧子じゃないだろうし、ここは素直に心ゆくまで恐怖を堪能してもらおう。俺も右腕の服が伸びるのはもう諦めるし。

 と、俺がお化け屋敷の内容とは全然違うところで、覚悟を決めていると、霧子が掴む腕の反対側の裾が不意にひっぱられた。

「……左側、キープです」
「佐奈ちゃん?」
 声と感覚に振り向けば、控えめに、でも、放さないように強く、佐奈ちゃんが俺の服を握っている。

「あれ? 佐奈ちゃんも怖いの?」
「はい。好きなのと怖いのは別ですから」
 問い掛けに素直に頷く佐奈ちゃんだったけど、その表情に恐怖は伺えない。いや、元々表情の変化は薄い子だけれど、それでも喜怒哀楽のかけらは目元口元あたりに滲んだりするのだけど……。

「あの……手、駄目ですか?」
「あ、ううん。いいよ」
 まあ、霧子ががっしりと右手を占有しているのに、まさか下級生である佐奈ちゃんに駄目、なんて台詞言えるわけもない。それに、まあ……怖がってる二人には申し訳ないけれど、文字通り両手に花、という状態だし。正直悪い気はない。

「……嬉しそうだね? 兄さん」
「そんなことないぞ?」
 俺の内心を見透かしたような、なんだかドスのきいた綾の言葉に、俺は慌てて首を振る。

「じゃあ、行こうか」
「そうだな。行こう」
 龍也の苦笑する声に促されて、俺たち一行はお化け屋敷の中へと足を踏み出した。
 先頭に俺、その両脇に霧子と佐奈ちゃん。その後ろに綾と龍也が続く、といった格好。怖いもの平気な(はずの)綾が先行するかな、と思っていたけれど、どうやら前に出る気はないようだった。

 荒れた庭を進んでたどり着いた屋敷の入り口は重々しい木造の扉。外開きのその扉を、そろそろと引きあけていくと、仄かに冷たい空気が中から流れ出る。ほこりの臭いに鼻孔をくすぐられながら、中を覗くと人気のないロビーが薄闇に浮かび上がっていた。

「……誰もいない、のかな」
「そういえば、後ろからも誰も来ないね」
 中をのぞき込みながら呟くと、龍也も少し不思議そうに後ろを振り返りながら首をかしげた。確かにチケットを切って貰ってから庭を通って、この扉につくまで誰にも会わなかったし、背後から他の客のはしゃぐ声も聞こえなかった。
 ……チケットを買うときには前にも、後ろにも結構な数の客の姿があったはずなのに。

「……」
「……」
「た、たまたまでしょ。それより、ほら、早く行こうよ」
「……了解」
 威勢の良い台詞とは裏腹に、一歩も前に踏み出そうとしない霧子に、小さく苦笑して薄暗い屋敷の中へと足を踏み入れる。

 ぎし、と小さく床のきしむ音と、空気に混じる木の臭いが屋敷の設定年代の古さを伝えるようだった。
 外から観た屋敷の大きさから考えると、少し小さい印象を受けるロビー。そこにやはり人の気配はなく、上に続く階段と、奥に続く廊下が窓明かりと開け放った扉からの光に浮かび上がって侵入者を怪しげに誘うように暗闇に浮いている。

「結構……、雰囲気あるなあ」
 目に映る光景に、知らず感嘆の声が口から漏れた。これなら「出ても」おかしくない。そう思わせる雰囲気に、期待とそして緊張感が胸に沸いて、少し、口が渇いてくる。

「な、なかなか本格的よね」
「ちょ、ちょっと怖いかも知れません」
 俺のつぶやきに答えるように左右から聞こえてくるのは霧子と佐奈ちゃんの声……って、あれ?
 違和感に気づいて頭を左に向けると、違和感が間違いじゃなかったことに気づいて俺は思わず目をむいた。

「……綾?」
「なに?」
「いや、何って。お前」
 そう。なぜか俺の左腕の裾を掴んでいるのは「左側をキープ」した佐奈ちゃんではなくて、我が妹だったのだ。

「何時の間に佐奈ちゃんと入れ替わった?」
「さっき、中に入るとき。いいじゃない、わたしだって怖いんだから」
「……怖い?」
「怖いの。怖いったら怖いのっ!」
 疑う俺の眼差しに、力一杯「怖い」と訴える綾だが……、正直、説得力がまるでない。
 繰り返しになるが我が家で「ホラー映画」の類を鑑賞するきっかけはレンさんより、綾であることが多いのだ。その綾が「お化け屋敷を怖い」なんて言い出しても「何を今更」としか思えない。

 ……ちょっとして何か企んでるのだろうか。側に張り付いて不意を突いて驚かしてやろうと思ってるとか。
 そんな疑念に、腕を掴む綾を見つめると、不意に綾の目に不安の陰がよぎった……気がした。

「……駄目?」
「……いや。駄目じゃないけどな」
 感じた不安を肯定するように、綾の声が少し揺れる。それに気づいて俺は頷きながら背後の佐奈ちゃんに視線を投げた。

「佐奈ちゃんが平気ならいいけど」
「私は、綾の裾を掴んでるので平気です」
「……そ、そう」
 そう答える佐奈ちゃんは確かに、ちょん、と綾の服の端を掴んでいる。
 なんだか数珠つなぎ状態なんだが……、まあ良しとしよう。かなりおかしな事になってきている気もするけれど、アトラクションが始まればまあなんとでもなるだろう。

「でも、順路の矢印ってないのか? ここ」
「入るときに「ご自由に探索ください」、って言われたよね。だから自由に歩くんじゃないのかな」
「自由にって言われてもなあ。そもそもこの屋敷の目的って―――」
 ロビーの中を見回しながら龍也と会話を交わしていると、それを遮るように、突如、バタン、と入ってきた扉が閉じた。

「……っ?!」
 突然の物音とそして扉からの光の消失に、霧子が声にならない悲鳴を上げて、身を震わせる。

「あ、開かないっ?!」
 閉まった扉に慌てて駆け寄った龍也が、ドアを押し開けようと手を押しつけながらそんな悲鳴のような声を上げた。

「まあ……そうだろうなあ」
「な、何を落ち着いてるのよ! 開かないって……閉じこめられたってことじゃない!」
「いや、だから「そういう演出」なんだろ。このお化け屋敷は」
 動揺に引きつった霧子に、なるべく落ち着いて俺はそう答えた。
 要するにこのアトラクション「目的」はここからの脱出ということなんだろう。閉じこめられた幽霊屋敷からの脱出劇。ホラー映画なんかではよくある設定だけど……お化け屋敷、というものの演出としてはちょっと意表を突かれた。

「ほとんど貸し切りじゃないと成立しないはずだけど……本当に他の客はどこにいるんだ?」
「魔法で監視して動きを精密管理してるのかも知れません」
 俺の疑問に、佐奈ちゃんが冷静に答える。その様子はこの状況に微塵もおののいているようには見えない。……なるほど、綾と替わっても平気な訳だ。

「ともかく退路は断たれた訳だし、進むしかないわけだけど。どうする? 俺としてはまず一階の奥を見て回りたいんだけど……」
 と、そこまで言いながら俺は状況の変化に気づいた。入ってきた扉が閉ざされたおかげで屋敷の中を照らすのは窓からのほんのわずかな明かりだけ。一層と光量の落ちた薄闇……いや、最早暗闇の中で、二階の階段の奥に青い光が揺れている……気がした。

「な、何、あれ……?!」
 声を引きつらせながら明かりに視線を向ける霧子の手が、一層強く俺の服を握る。そして、

「幽霊……かな?」
 なんとなく余裕ありげな気もする声で呟いた綾は……俺の服の袖を掴むのではなく、なぜか俺の腕に思いっきり抱きついてきた……って、え?!

「お、おいっ! 綾?!」
「大きな声、出しちゃ駄目……っ! こ、怖いんだから」
 驚いて声を上げた俺を、小さな声で窘めながら、綾は尚も俺の腕を抱きしめる力を強くする。

「いや、ちょっと待て。ちょっと力、緩めろって……っ」
 そこまで密着されると動きにくいし……いや、その、色々当たるわけで。兄を相手にしているとはいえ、ちょっと恥じらいというものを持って欲しいのですが、綾さん。

「あ、綾ちゃん……?! そ、それはちょっとくっつき過ぎじゃない?」
 反対側の霧子も気づいたのか、綾の体勢に驚いて声を上げる。しかし、綾は顔を伏せたまま、更に力を込めて俺の腕を抱きしめる。
「し、仕方ないじゃないですか。怖いんですから。うん、だから、これは不可抗力で仕方ないんです」
「わかった、わかったから、とりあえず、力を緩めろって。歩けないだろ?」
「振り解いたり、しない……?」
「しないって。このままじゃ歩けないだろ?」
「……それでもいいけど」
「綾?」
「え? あ、なんでもないよ」
 綾が何か変なことを口走った気もしたけれど、俺がそれを確認する前に、綾は誤魔化すように笑って力を緩めてくれた。
 まだがっしりと腕は取られたままだけど……まあ、歩けないこともない。

「……綾。その調子。今のところ挽回成功」
「佐奈ちゃん?」
「なんでもないです。ただの独り言ですから。それより行きましょう」
「そうだね」
 佐奈ちゃんに促されて、俺たちは二階の方へと上がっていくことにした。あからさまに誘いをかけるような青い光だけど、こういうアトラクションで「誘い」を回避していても仕方ない。

 ぎしぎし、と床を踏みならしながら、暗闇の中、二階の奥から誘うように漏れる燐光を目指して、進む。

「……」
「……」
 俺の両側の二人は沈黙を保ったまま。しかしながら、その沈黙の種類は微妙に違う気がしている。霧子は完全に緊張に声が出ないだけだと思う。だけど、綾の方はと言えば。

「……えへへ」
 今、笑わなかったか。こいつ。
 決して俺の方を見ようとはしないけれど、なんというか、腕に寄りかかってくる態度は、恐怖から逃れるためと言うより、じゃれついているみたいに感じてしまうのは気のせいなんだろうか。
 まあ、おかげというかなんというか、俺の方もあまり恐怖を感じずに進むことが出来ているんだけど……。右側の緊張感と左側の緊張感のなさに挟まれながら進むことしばし。

「良。あれ」
「……ランタン、でしょうか?」
 なだらかな階段を上りきった途端、背後から龍也と佐奈ちゃんがほぼ同時に指を伸ばして前方を指し示してくれた。その言葉に違わず、二階の入り口に置かれていたのは古びた机と、青い燐光を放つこれまた古びた……ランタンが二つ。

「って、ランタンって言うんだっけこういうの」
「そういえば、ランタンの実物って見たこと無いね」
 綾が頷くように、俺たち兄妹はランタンの実物を見たことはない。ただ、目の前のガラスのようなもので出来た立方体の中には青い燐光が閉じこめられていて、その天井部分には持ち運ぶための取っ手がついている。少なくとも照明器具の類だと思えば間違いはないだろう。もっとも、中から漏れる青色の光は、明らかに「魔法」の臭いを感じさせるし、どのみちまっとうなランタンだとは思えないけれど。
 その二つのランタンが置かれている机の向こう側には、奥へと向かう廊下が続いていて、そこには窓明かりさえ見えず、本当の意味の暗闇に閉ざされている。

「これを持って行け、ってことかな」
「多分、そうじゃないかな」
 俺の推測に、龍也も同意して頷いた。あからさまに怪しいランタンだけど、流石に真っ暗闇の中を進むよりは、持って行った方がマシだろう。

「じゃあ、一個、龍也頼むな。もう一個は俺が持つから」
「了解」
 やっぱりこういうのは男が持つべきだろう。そう判断して俺と龍也は頷きを交わす。
 霧子は裾を掴んでいるだけなので、手を伸ばす分には支障ない。というか、左側はがっしりと綾に抱え込まれているのでどうあがいたって右腕で掴むしかない、っていうのが実情なんだけど。
 だから、右手をランタンの方へと動かそうとすると、ビク、と霧子が体を震わせた。

「りょ、良。つ、掴むの?……それ」
「大丈夫だって……多分」
「た、多分って何よ、多分って」
「だから、大丈夫だって。ただの案内用のランタンなんだから、爆発したりはしないって」
 まあ……なにか「出る」ぐらいはするかもしれないけど。そう内心で怯えた霧子に答えてから、俺はランタンに手を伸ばし……そして、ランタンの取っ手をつかんだ瞬間。

 不意に視界が歪んだ気がした。

「え」
「きゃ」
「あ」
 そして、耳に短く聞こえる三つの声。その声が途絶えたと気づいたときに、「左腕にかかっていた力」が消えた。

「綾?!」
 急いで左に顔を振り向ければ、目に映るのはただ光を飲み込む暗闇だけで、やはりそこに綾の姿はない。その事実に青ざめながら俺は右側の霧子に慌てて視線を向け直す。

「き、霧子、平気か?!」
「だ、大丈夫……!」
 俺が右手に握ったランタン。その明かりに照らしだされる霧子は消えてはいなかった……が、その顔色が真っ青なのは別にランタンの明かりが青いからではないだろう。

「龍也、佐奈ちゃん、無事か、って、いない?」
「い、いない? うそ……っ?!」
 今度は背後に視線を向けるが、そこにはただ暗闇がわだかまっているだけ。二人の姿形も青い燐光に浮かび上がることはない。つまり、綾と龍也と佐奈ちゃんが―――消えたのだ。なんの前兆も、物音もなく、ただ、忽然と。

「……」
「……」
 その事実に俺と霧子は、互いの顔を見合わせて、固まることしばし。

「ま、魔法か? そ、そうだよな……っ?!」
「そ、そ、そうに決まってるじゃないっ!」
 内心の動揺を振り払うように、俺たちはわざと明るい声でその原因を予測する。だけど、言いながら二人とも内心では「ただの魔法じゃない」と気づいている。何しろ「瞬間移動」なんて魔法、実現できる条件はものすごく限定されるし、正直遊園地レベルで導入できるような規模の魔法じゃない。

 じゃあ。どうやって、あの三人は消えたのか?
 その仕掛けが想像できずに、俺と霧子はしばし笑いあった後に、むなしく沈黙して立ちすくむ。その沈黙を寂しげに手にしたランタンから漏れこぼれる明かりが照らす―――

「っ?」
 そこまで考えて、ようやく気づいた。

「霧子」
「な、何?」
「いや、ほら、ランタンの台が、無いぞ……?」
「え、あ、あれ?」
 俺の指摘に、ようやく霧子も事態に気づいたようだった。
 綾たちだけじゃなく、目の前に置かれていたはずの机が無くなっており……ついでに言うのなら、後ろには「階段」がなく、周囲には朧気な明かりを運んでくれていたはずの「窓」もない。

「まさか」
「ひょっとして」
 移動したのはひょっとして「俺たちのほう」なのか?
 周囲の様子から、俺と霧子がその可能性に行き当たった、その瞬間。


『もう、帰さない』

「っ?!」
「きゃ、きゃああ?!」
 不意に響いた「誰かの声」に、俺は声にならない悲鳴を、霧子は絹を裂くような悲鳴を上げたのだった。

続く

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