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  魔法使いたちの憂鬱

           第十一話 思惑錯綜、遊園地(その2) お化け屋敷後編

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1.取り残された人たち(神崎綾)

「きゃっ?!」
 兄さんと速水先輩が置かれたランタンを持ち上げた途端、視界を覆った青い光に私は思わず悲鳴を上げて目を瞑った。
 刹那、感じた僅かな浮遊感。そして、それが消えるのとほぼ同時、私の腕の中から兄さんの腕の感触がまるで幻のように消えて無くなる。

「……え?」
 腕を振り払われたわけじゃない。まるで風船が萎んでしまったかのように、突然に消えて無くなった兄さんの感覚。その違和感に、私は慌てて目を開いて周りを見渡した。

「に、兄さん?」
 青い光の残滓に浮かび上がるのは、先ほどと変わらないお化け屋敷の光景。
 目の前には古びた机があって、背後には1階から続いてる階段がある。机の前では速水先輩が青白い光を零すランタンを持ち上げたまま、呆然とした表情で立ちつくしているし、私の横には驚きに大きく瞬きを繰り返している佐奈がいる。

 そう、目の前の光景は先ほどと大きく変わらない。ただ……兄さんと、霧子先輩の姿がないことを除いては。

「……兄さん? 兄さん! 何処?」
 何処に隠れているのか、あるいはびっくりして階段の下まで転げ落ちたのか、と辺りを見回しながら呼びかけると、佐奈と速水先輩も驚きから意識を取り戻したのか、視線を周囲に巡らしながら姿の見えない二人を呼んだ。

「先輩? 桐島先輩……?」
「良、霧子、何処? 二人とも無事?!」
 暗い静寂に響く呼び声。でも、何度、私たちの声が静寂を震わせても、その呼び声に答える響きはどこからも返っては来なかった。

「……返事、ないね」
「ど、どうなってるの……?」
 突然の事態に、私と佐奈は戸惑い目を見合わせる。そんな私たちの横、速水先輩はランタンの明かりで辺りを照らしながら、ため息混じりに首を振った。

「やられたなぁ。多分、こういう仕掛けなんだと思う」
「仕掛け、ですか」
「うん。このランタンが引き金になってたんだろうね。まあ、見るからに怪しかったけど……」
「ひょっとして、空間移動の魔法……ですか?」
 小首を傾げて問いかける佐奈に、速水先輩は「違うだろうね」と呟いてから考えを巡らせるように少し視線を上げた。

「いくら評判の遊園地だからって、そんな規模の魔法は仕掛けないと思うよ。可能性は零とは言わないけどね」
「でも、現に―――」
 現に兄さんと霧子先輩は消えている。そう言いかけて、私は速水先輩の意図に気づいて、小さく手を打った。

「そっか。空間移動に「見せかける仕掛け」ですね?」
「うん。多分そうだと思う。ほら、ここ」
 私の言葉に頷きながら、速水先輩はしゃがみ込んで床をランタンの明かりで照らす。そして、ついさっきまで兄さんが立っていた場所を指さしながら言葉を続けた。

「ほら、ここ。よく見ると切り込みがあるよね? 多分、落とし穴になってるんじゃないかな」
「落とし穴ですか? それらしい音はしませんでしかけれど……」
 速水先輩の言葉に、佐奈はまた小首を首をかしげた。確かに、彼女が言うようにそんな単純な仕掛けなら、いくらなんでも誰かは気づいただろう。そもそも落とし穴だっていうのなら、兄さんと霧子さんだけが落ちて、その兄さんにしがみついていた私が落ちないのは変だ。
 そんな佐奈と私の疑問に、速水先輩は考えを巡らすように目を細めながら、答えを口に乗せていく。

「そうだね……多分、簡単な感覚麻痺の魔法を組み合わせたんじゃないかな。消えた方も残された方も「瞬間移動した」って思っちゃうようにね。あと……ひょっとしたら体を小さくするような魔法も組み合わせていたのかも知れない」
「縮小の魔法……そっか。それなら兄さんが私の腕からすり抜けちゃってもおかしくないですね」
「うん。確信は持てないけど、少なくとも瞬間移動ほど無茶な魔法じゃないしね」
 感覚麻痺に物体縮小。二つとも高度な魔法には違いないけれど、瞬間移動に比べればまだ簡単な魔法になる。確かに可能性としては、そちらの方が高いだろう。
 落ち着いた様子で考えをまとめていく速水先輩に、私は少し感心しながら頷いた。

「あ、でも、どうしてそんな仕掛けをしたんでしょう。脅かすだけにしてはちょっと手が込みすぎてますよね」
「そりゃカップル同士で分かれるためじゃないのかな」
「ああ、なるほど」
 首をかしげる私に、考えを巡らせながら答える速水先輩の声。それに頷いて……、

「……って、え?」
 次の瞬間、私の思考の中で、びしり、と何かがひび割れる音がした。

 ……今、先輩は、なんて言った?

「あの、速水先輩?」
「え?」
「今、なんて言いました?」
「え? だからカップ……あっ」
 私の問いかけに一瞬怪訝な表情を浮かべた速水先輩だったけど、直ぐに私の意図に気づいたのか、瞬く間に表情を引きつらせた。「失言だった」と言わんばかりの彼の態度だったけど、それに構わず、私はただ問いを重ねる。

「誰と、誰が……カップルなんですか?」
「いや、あのね? 僕と綾ちゃんがカップルって言ってるわけじゃなくてね?」
「そっちの話をしてるんじゃないんです」
 慌てた様子で首を横に振る速水先輩の言葉を、我ながら抑えた声で遮って、私は一歩、彼の方へと詰め寄った。
 そう。私が気にしているのは、「そっち」なんかじゃない。問題なのは、ただ兄さんだけだから。

「兄さんと……誰が「カップル」だっておっしゃるんですか? 先輩は」
「あ、いや! 違うよ? 僕じゃなくて、ほら、遊園地の人がそう判断したんじゃないのかなーって」
「ですから、『どう判断した』んですか?」
「えー、えーと」
「……先輩?」
「あの……良と、霧子が……です」
「……そうですか」
 怯えるように表情を引きつらせる速水先輩の返事に、私は小さく頷いてから息をついた。

「そう。兄さんと霧子さんがカップルだって、そうおっしゃるんですね?」
「いや、だから、僕が言った訳じゃないよ?! 今だって半分自白強要されたようなものだし……」
「強要?」
「違います! 決して強要なんかされてないです! いや、だからね? 僕が言いたいのは、仕掛けを発動させたのは僕じゃなくて遊園地の人であって、だから、僕じゃなくて遊園地の人がそう判断したんじゃないのかなって!」
 何故か悲痛な声色で、速水先輩は必死に言い訳するように、早口で言葉を紡ぐ。でも、その言葉の内容は、正直な所、どうでもよかった。だって誰が判断したモノであれ……「そう判断した」人が存在する、ということは事実なのだから。

「あ、でも、ほら、誰を落とし穴に落とすかなんて運だけに決まったのかも知れないよ? うん、そんな気がしてきた。きっとそうだと思うよ。だから人選に根拠なんかないんじゃないかな」
「違います」
 速水先輩の台詞を一瞬だけ頭の中で反芻して、即座に、私はその考えを否定した。
 感覚麻痺にせよ、身体縮小にせよ、人の体に直接干渉する魔法を、こういう娯楽施設で「自動的に」発動させるとは思えない。万が一と考えて、何処かの段階で「誰かの意思」が介入したと考える方が自然だろう。

 そしてここは演出が売りのお化け屋敷。その演出として、男女を二組に分けたというのなら……きっと誰かの「そういう判断」が働いたのだ。
 つまり。その「誰か」は、兄さんと霧子さんをカップルと認定して魔法を発動させたのだ。そう……あんなにくっついていたのに、「兄さんと霧子さん」はカップルに見えて、「兄さんと私」はカップルに見えなかったんだ。この遊園地にいる「誰か」には。

「……なんでよ」
「綾。落ち着いて」
 思わず漏らしてしまった言葉、それを耳にして佐奈がそっと私の腕に手を添えてくれた。

「とにかく、急ごう?」
「え?」
「だから、今、良先輩と桐島先輩は二人っきりなんだよ」
「あ……」
 今は、顔の見えない遊園地の誰かに怒りを向けるより……顔が見えなくなってしまった二人を捜す方が先。そう諭してくれる佐奈の言葉に私は知らず手を打って、そして。

「暗闇の中で二人っきり……なんだよ」
「そ、そんなの駄目―――っ!」
 突きつけられた事態の深刻さに、私は思わず悲鳴を上げたのだった。


2.カップルさんたち(神崎良)

「―――っ?!」
「ど、どうした?」
 突然声にならない悲鳴を上げて、霧子が身をすくめた。慌ててランタンで辺りを照らしてみるけれど、それらしい「幽霊」は見あたらない。だけど、霧子は不安そうに俺の服の裾を握りながら、辺りの気配を探っている。

「い、今、悲鳴というか怒声みたいなもの、聞こえなかった?」
「怒声?」
「う、うん。なんか、こうものすごく恨みのこもったというか悲痛な女の子の声」
「いや、聞こえなかったけど……」
 こわばった霧子の声に促されるように、俺はまたランタンを掲げて注意深く辺りを照らす。

「……とりあえず、おかしなモノは見えないけどな」
「ほ、ホント?」
「まあ、油断は出来ないけど」
 なにせお化け屋敷だし、いつ何処で幽霊が出てくるかもしれないし、足下から生首が飛んできたっておかしくはないのだ。
 でも、生首ぐらいならまだしも……他の仕掛けなら少し不味いことになるかもしれない。その思いに俺は霧子に呼びかけた。

「あのさ、霧子」
「な、なに?」
「手」
「手?」
 俺の意図が分らなかったのか、一瞬、きょとんとした表情を浮かべた霧子は、次の瞬間には明らかに狼狽した表情で首を振った。

「な、何よ……別に、袖掴んでるぐらい良いじゃない」
「いや、そうじゃなくて」
「だったら、何よ」
「だから、ああ、ほら」
 俺は服を掴む霧子の手を一度ふりほどくと、直ぐにその手を直接握る。突然の俺の行動にとまどったのか、一瞬、霧子が手を引こうとしたけれど、俺は強く手を握ってそれを放さなかった。

「ちょ、良……っ?」
「はぐれたら、不味いだろ」
 どういう仕組みなのか俺にはさっぱり分らないけれど、このお化け屋敷に「人を分離する仕組み」があることは確かだ。
 なら、万が一にも霧子と分断されるわけにはいかない。なにせ、みんなと一緒にいた時でも、こうして二人で居るときでさえ、霧子は恐怖を隠せていない。だったら、万が一、霧子が一人になってしまったら……そう考えると多少強引でも、離れないように手を握るぐらいはしておかないといけない。
 まあ、腕を組んでいた綾と離れてしまったのだから、効果の程は怪しいかもしれないけれど、やらないよりはましだろう。お化け屋敷に一票を投じた責任もあるし、なにより、流石にそんなトラウマに残りそうな恐怖を友達に植え付けるわけにはいかないのだから。
「だから、離すなよ」
「……うん」
 霧子の手を握るなんて、魔力を交換するときにいつもやっている行為で、今更照れることでもない。そのはずなのに、自分から手を握ったのが妙に照れくさくて、だから、照れ隠しに視線を外しながら告げた言葉に、霧子は拒絶の意思の代わりに、小さく頷いて俺の手を軽く握り返してきてくれた。

「……あ、あのさ」
「あ、手の力、強いか?」
「そ、そうじゃなくて」
 躊躇うような僅かの沈黙。それを挟んでまた霧子は俺の手を握る力を込めながら、口を開いた。

「あのさ……ありがと」
「どういたしまして。まあ、お化け屋敷に決定したのは俺の責任だし」
「そうよね。うん、良が悪い」
「……お前な」
「冗談だって」
 呆れた声を出す俺に、霧子は肩を小さくすくめて笑った。まだちょっと青ざめてはいるけれど、少しは落ち着いてきたみたいで、俺は内心で少し安堵の息をついた。

「あ、でも……綾ちゃんたちは、大丈夫かな」
「あいつは大丈夫だよ」
「シスコンの癖に心配じゃないの?」
「じゃあ、探しに行くから、ここで一人で待っててくれ」
「じょ、冗談だって」
 焦ったのか、慌てた様子でそう言って、霧子は俺に身を寄せた。

「でも、心配じゃないの?」
「だから、あいつはこういう事は平気なんだって。それに」
「それに?」
「まあ、龍也が付いててくれるからさ。変なことにはならないだろ」


3.頼りになるはずの親友さん(速水龍也)

 綾ちゃんは、ブラコンで。
 挙げ句の果てに、良に対して特別な感情……つまりは兄妹の壁を越えて「異性としての感情」を抱いているんじゃないのか。

 今日のこの企画は、そもそも、その疑問を確認するために計画したモノであり、その点から考えると良と霧子が二人っきりで、かつ、その事実を綾ちゃんが知っている、というこの状況は歓迎すべきモノなのかも知れない。
 でも、それはあくまで「その目的だけ」を考えた場合であって……正直、今のこの状況は、泣きたいぐらいに勘弁して欲しい。

「ちょ、ちょっと綾ちゃん?!」
 悲鳴のようにうわずった僕の制止は、しかし、彼女には届かない。彼女は瞬く間に体内の魔力を脈動させて、それを形にするための呪文をその唇で紡いでいった。

「形成す糸はその力を止めよ。我が掌が紡ぐは糸を断つ波紋」
 見とれるほどの手際の良さで、流れるように紡がれる呪文。だけどその涼やかな声がもたらすのは、黙って見惚れて良いような結果じゃなかった。

「駄目! 早まらないで!」
「以て、汝、その形を消し、我が前に道を開け!」
 繰り返す制止の言葉もむなしく、綾ちゃんの呪文の終わりと同時、パシン、と乾いた音が空気を揺らす。そして、一瞬の静寂の後。

 ドン、と鈍い音と共に、古ぼけた(ように演出してある)館の壁に、文字通り風穴があいた。

「綾、凄い」
「うわああ?! な、なんてことを……っ?!」
 パチパチと手を叩いて綾ちゃんを褒める佐奈ちゃんの横で、僕は押さえきれない悲鳴を上げて頭を抱えた。

 僕が魔法を使って直線的な良と霧子の位置を突き止めさせられた……もとい、突き止める手伝いをしたのがついさっき。ただ、このお化け屋敷全体には、魔法に対する対抗処理が施されているようで、二人の位置が分かったと言っても大まかな方向しか分らなかった。当然、どんな道を辿ればいいのかなんて分からないし、二人と僕たちの間にどんな障害があるのかも分からない。つまり、ほんの気休めの情報しか手に入らなかったんだけど。

 まさか……まさか綾ちゃんが、そんな僅かな情報を元に、ここまで直接的かつ短絡的な手段に打って出るなんて。

「壁……三枚しか打ち抜けてない……?」
 愕然と頭を抱える僕を尻目に、目の前の壁に大穴をあけた張本人は、結果に納得いっていないのか、不満そうに眉を曇らせた。

「思ったより魔力遮断処理が強いの? 遊園地なのにどうして……」
 それは勿論、こうやって力業で道を開こうとする人への対策じゃないかな。
 とてもじゃないけれど口に出しては言えない台詞を心の中で呟いてから、僕はそこでようやく我に返って綾ちゃんの方へ詰めよった。

「あ、綾ちゃん! いくら何でも、やり過ぎだよ」
「大丈夫です」
「大丈夫って、あのね。流石に壊すのはまずいよ」
 『魔法院の学生が遊園地の施設を爆砕した』なんて事になったら、停学どころの騒ぎで済むかどうかわからない。最悪、退学なんていう可能性さえある。
 だけど、そんな僕の危惧をあろうことか彼女はあっさりと聞き流した。

「塞ぎますから問題ないです」
 さらり、とそう言ってのけると、彼女は自らがあけた風穴へと突き進み、くぐり抜けた。

「佐奈、速水先輩、早くこっちに。穴、ふさいじゃいますから」
「うん」
「え、塞ぐって……」
 綾ちゃんの言葉に促されて、佐奈ちゃんは躊躇いなく、そして僕は躊躇いがちに壁に開いた穴をくぐる。そして、綾ちゃんはといえば、僕たち二人が穴を通り抜けたのを確認してから、自らが破壊した壁に触れながらまた呪文を唇に乗せた。

「崩れ落ちた欠片はなお形を留めよ。我が唇が紡ぐは形織りなす糸。以て、その欠片、失い崩れた形を成せ」
「―――っ」
 再び彼女が紡いだ魔法。その内容を理解して、僕は一瞬息をのむ。
 朗々と読み上げられる呪文の羅列に聞き惚れる間もなく、彼女があけた風穴は瞬く間に塞がれて元の壁へと戻ってしまった。

「元通りでしょう? これなら問題はないと思います」
「綾……格好良い」
「いや、感心するところじゃないよ、ここは」
「でも、元通りでしょう?」
「そ、それは……そうだけど」
 涼しげに言ってのける綾ちゃんに、僕は反論しようとして、言葉を失ってしまう。だって、彼女が復元した壁は、本当に……彼女が壊す前と、全く同じ状態だっていうのが見て取れたから。物理的な意味でも、そして、魔法的な意味でも完全に直されている。

 一度壊した魔術遮断処理まで復元するなんて、本当に、学生レベルの魔法じゃない。だから、そんな芸当を目の前で見せつけられたら、僕としても反論しづらいことこの上ない訳で……って、いや、そういう問題じゃない。
 そもそも最初に壁を壊すなんて真似をしたことが問題であって、それを元通りにしたからといってその事実が無くなる訳じゃない……はずなんだけど。完全にきれいさっぱり元に戻ってしまうとやっぱり無かったことになるんだろうか……?

「いや、でも……うーん」
「速水先輩、行きますよ。本当に……一刻の猶予も無いんですから」
 一人思い悩む僕を尻目に、二人の後輩は全く物怖じせずに、二つ目の穴をくぐり抜けている。

「これならきっとすぐに良先輩に追いつけるね」
「うん」
「あ、ちょっと……二人とも待って!」
 慌てて僕も後を追った、その瞬間。

 ガタン。

「うわっ?!」
 突如、音を鳴らして、天井から青白い光が現れて、闇の中を舞う。

『魔の力振うモノ、コノ館から去れ』
 現れた光は、次第に人の形……というか、幽霊の形を整えていき、そして妙に片言の言葉を発した。低く、恨めしげな感情に満ちたその声。だけど、僕の耳に残ったのは、その声色が紡ぐ恐怖ではなく、その言葉が告げる内容だった。

 魔の力振うモノ、コノ館から去れ。
 それはひょっとして……。

「警告?」
 魔法で壁に穴を開けたことに対する警告をしているんじゃないのか。
 そう判断して、僕がひるむのを横目に、綾ちゃんはと言えばいらだたしげに目を細めて手を振っただけだった。

「邪魔する気? アトラクションの癖に」
「え?」
 それはひどく好戦的な響きを含んだ言葉で、僕は一瞬、我が耳を疑った。いつも、良の横で穏やかにほほえんでいるのが綾ちゃんの印象なのに。ここまで剣呑な響きの声は、あまり記憶にない。

「佐奈。ちょっと下がって」
「あ、綾ちゃん! だから、魔法は」
「……大丈夫です。危ない魔法なんて使いませんから」
 流石にこれ以上、綾ちゃんに攻撃的な魔法を振るわせる訳にはいかない。その思いに、何度目かの制止の言葉を上げた僕に、綾ちゃんはにこり、と涼しげに笑ってから、空を舞う亡霊に手を差し向けた。

「仮初めの戒律に枷を。虚空を満たすは魔を拒む法。以て、世に静謐を施行せよ」
「……あ」
 瞬く間に唱えられた魔法。その発動と同時に、目の前のお化けは断末魔の声さえ上げずに、消え失せた。
 彼女が使ったのは、爆発を起こす魔法でもなく、物体を切断する魔法でもなく……魔力遮断。この屋敷に施されているのと同種の魔法を、綾ちゃんはあっさりと真似して、目の前の「警告お化け魔法」にぶつけて、そして消してしまったのだ。

「これなら危なくないですよね」
「いや、そうだけど」
 確かにこれなら壁に穴を開けるよりはましだけど。

「いや、でも、お化け屋敷のお化けを返り討ちにするって……」
「何を言ってるんですか、速水先輩」
 綾ちゃんは僕の言葉を遮ると、澄ました顔で言ってのけた。

「お化け屋敷でお化けを退治するなんてあたりまえじゃないですか」
「いや、違うよ?!」
「綾の言うとおりです。障害物を排除して進むのも当たり前ですし」
「だから、違うと思うよ?!」
 少なくとも僕が知っているお化け屋敷は、出てくるお化けにきゃーきゃーと怖がるモノであって、力業でお化けを排除しながら、かつ障害物ごとなぎ倒しながら直線的に突き進むなんて代物じゃ、断じてない。ないのだけど。

「そんなことないです。ね、綾?」
「うん。それに速水先輩は心配しすぎです。お化け屋敷で女の子が恐怖のあまり取り乱しちゃって、うっかり壁を壊したりすること良くあるじゃないですか」
「うっかりお化けを返り討ちにして、消しちゃうこともよくあります」
「いや、ないから! そんなうっかりなんて滅多にないから!」
 女の子二人のあまりに危険な持論に、僕は思いっきり頭を横に振る。しかし、それが無駄だって事に、うすうすは感づいていたわけで。

「先輩?」
「あのね、綾ちゃん……」
「時間がないんです。あんまり我が儘だと、置いていっちゃいますよ?」
「……ごめんなさい」
 静かに、だけど有無を言わせぬ態度で微笑む綾ちゃんに、僕はただ頷きを返すしかないのだった。

「うう、良。もういろいろとゴメン」
 それは、起こってしまったことに対する謝罪なのか。あるいは…… 合流した後に起こるかも知れない事態への謝罪なのか、分からないままに僕は親友に手を合わせる。
 そして、それに追い打ちをかけるように、綾ちゃんが、ぽつり、と呟くように言った。

「兄さん、待っててくださいね。早まってたりしたら……許さないんだから」
 そんな彼女の言葉が耳に届いてしまった僕は、頬が引きつるのを自覚した。

『良といちゃついてくれないと駄目だよ』
 それは、昨日、霧子に言った台詞だけど。

「だ、大丈夫だよね……?」
 良に言ったのか、それとも霧子に言ったのか、はたまた神様に祈ったのか。これまた判然としないまま、縋るような言葉が僕の口からこぼれたのだった。


4.カップルさんたち再び(神崎良)

 うっすらとした人の形をした光が、恨めしげに顔を歪めながら現れて消えた。

「―――っ?!」
 痛ましい表情の亡霊に、霧子は声にならない悲鳴を上げて、目をつむったまま俺の腕にしがみつく。
 そんな霧子の様子をしばし観察するように、周囲をふらふらと揺れていた幽霊は、十分、お客を脅かしたことに満足したのか「うらめしい」なんて捨て台詞を残しながら、暗闇の中に消えていった。

「……霧子。もう消えたから大丈夫だぞ」
「うう、本当? 目を開けたときに居たら、恨むからね?」
「本当だって」
 俺の言葉に促されて、おそるおそる目を開けた霧子は、お化けが消えている事を確認すると深く安堵の息をついた。

「ほら、大丈夫だろ?」
「うん。でも……油断は出来ないのよね」
 陰鬱にそう言いながら、霧子は俺の腕に抱きつく力をわずかに強める。

「……」
 今の俺と霧子の格好は、ほとんどさっきの綾のような体勢になっている。だから、流石にちょっと……いや、かなり照れくさいのだけど、まさか振り払うわけにも行かない。幸か不幸か、明かりらしい明かりは手にしたランタンの明かりぐらいしかない。だから、多分……耳が赤くなっているのは霧子には気づかれていないだろうけれど。
 怖がっている霧子とは別の理由で、俺も妙に緊張してしまって、次第に口にする言葉が少なくなっていく。そんな俺の態度に気づいたのか、霧子が俺の顔を見上げて首をかしげた。

「……どうかした?」
「え? な、なんで?」
「何って、急に黙り込んだから……どうかしたの?」
「あ、いや、何でもない」
「そう?」
「うん」
「……」」
「……」
 そう言ったきりしばし二人とも言葉もないまま、奇妙な沈黙を保って館の中を歩く。黙り込むよりしゃべっていた方が、霧子の恐怖は紛れるのかもしれない。それは分かっているのだけれど、女の子にこうまで体を密着させられると、なんだか上手く思考がまとまらないっていうのは、我ながらちょっと、情けなかった。

 とにかく、話題、話題。霧子の気を恐怖から逸らしつつ、多少は俺の心を落ち着かせてくれるような話題は―――。

「あ、そうだ」
「……良?」
「あのさ、ああいう幽霊も、魔法の絵の具とかで描いているのかな」
「そうね……」
 言われて、霧子は考え込むように視線を伏せる。この辺は流石に美術部員、ということなのか、しばし、霧子の表情から恐怖の色が薄れていく。

「ああいう幽霊なら、絵の具だけでなんとか実現できるかな」
「そういうのわかるのか?」
「これでも美術部副部長ですから、あの手の演出の原理ぐらいは想像付くわよ」
「原理は分かっていても怖いのか?」
「……だれも怖いなんて言ってないでしょ」
「左様で」
 まあ、ここで素直に「怖い」なんて言い出すのは霧子らしくない。苦笑しながら俺が頷きを返すと、霧子は少しだけ気まずそうに視線をずらして、そしてまた抱きつく腕に力を込めて言った。

「……頭では分かっていても、ってこと、あるじゃない」
「ああ、それはあるな」
 そういうのは、何となく分かる。理屈では分かっていても、感情の方はどうにも出来ないって事は、ままあるから。どうしようもないけれど、そういうのが……多分、人間の性質なんだろうし。

「……あのさ、良」
「ん、なに?」
 ふと、考えに耽ってしまいそうになった俺の思考。それを霧子の声が引き戻した。

「綾ちゃん、いつもあんなに良にべったりなの?」
「え?」
 一瞬、何を言われたのか分からなくて霧子の顔をのぞき込む。そんな俺に、霧子は躊躇うように少しだけ口籠もってから、やっぱり口を開いた。

「だから……こんなふうに、腕くんだりとか」
「いや、流石にそういうことは―――」
 無い、と言いかけて頭をよぎった日常の光景に、俺は言葉を止める。……無い、とはまあ、言い切れない訳で。

「……あるんだ」
「いや、ほら、兄妹のスキンシップだって」
「ふうん。あるんだ」
「いや、だからな? ただの兄妹のスキンシップだぞ?」
 気づけばいつものように、あるいはいつもとは少し違うかも知れないけれど、それでも俺と霧子は気まずい沈黙からは抜け出せていた。でも、そんな雰囲気に、俺が気づくよりも先に、その事態は訪れたのだった。


5.再会。あるいはエンカウント(神崎良)

「ん?」
 気がつけば、廊下の先、ほのかに揺れる青白い照明に人影があった。朧気な光の下、その表情ははっきりとは分からない。だけど、その輪郭は……綾のものによく似ていて。

「……綾?」
 俺が思わずそう呼びかけそうになった瞬間、そのタイミングを待っていたかのように、人影は廊下の奥へと消えていく。

「霧子、今の見えたか?」
「う、うん。綾ちゃんじゃなかった?」
「……」
「……」
 互いの見たものが見間違いじゃないと確認して、俺と霧子は顔を見合わせてしばし黙り込んだ。
 如何にも……あからさまに罠っぽい。だけど、ここで立ち止まっていても仕方ない。基本的に仕掛けのある方向に進んでいけば、出口に近づくのがお化け屋敷ってものだと思う。

「……行くしかないか」
「そ、そうだよね」
 二人揃って、そう覚悟を決めて。そして消えた人影を追うために一歩を踏み出そうとした瞬間。異変は、背後から生じた。

 ドン、と。
 まるで大きな鉄のかたまりを地面に叩きつけたかのような重く響く音が、鈍く空気を震わせる。

「な、なんだっ?!」
「な、なんなの……っ?!」
 突然の物音に心臓が引きつるのを感じながら、俺と霧子は慌てて背後に視線を向けた。そして、そこにあった光景に俺は思わず声を上げて、霧子は声を引きつらせる。

「うおっ?!」
「きゃっ……?!」
 さっきの鈍い音は、壁に穴を開けた音だったのか。廊下の壁には俺たちが通り過ぎたときには無かった等身大の風穴が穿たれていて、そして、その穴の向こう側には、うっすらとした微笑みを浮かべる―――綾の姿があった。
 そう、目の前にいる女の子は間違いなく俺の妹の姿をしている。しかし、何故か、声をかけるのもためらわせるだけの迫力というか、威圧感みたいなものを全身に湛えていた。

「あ、綾……?」
 本物の綾なのか、それとも……お化け屋敷の演出が作り出した「幽霊」なのか。
 一瞬、そんな疑問が頭をよぎるが、俺は直ぐに「後者だろう」と見当をつけた。確かに見た目は本物の綾と区別できないぐらいにそっくりだけど……いくらなんでも本物の綾が壁に穴をあけて登場するなんて理由は考えにくい。

「やっと……見つけたよ? 兄さん」
 果たして、そんな俺の判断は正しかったのか。
 小さな呟きを零しながら、穴の向こうからこちら側に歩を進めてくる綾の姿は、うっすらとした青白い光を背後にして、本当に「幽霊」と形容するのにふさわしかった。

「兄さん。何、してるの?」
 偽物、と分かっていても判別が付かないほど、綾そっくりな姿をしたその「幽霊」は、その声までも綾そっくりで。
 思わず「本物か」との思いが脳裏をかすめたが、俺はその考えを直ちに捨てた。だって、本物の綾が、せっかく再会した俺たちに、こんな重々しい空気をぶつけてくる理由が思いつかないから。

 それに―――と、俺はついさっき俺と霧子を誘うように姿を見せた綾の幽霊のことを思い浮かべる。
 ある方向に注意を向けさしておきながら、それと逆方向から驚かせる、というのは、典型的な手法ではないのだろうか。そう考えるとますます目の前の「綾」はお化け屋敷の演出と考えた方が自然に思えた。

「……兄さん?」
 言葉を返さない俺と霧子に、気分を害したのか。綾の姿をしたお化けが、床を踏んで一歩こちらに進み出る。
 その声と視線に負の感情を感じ取って、俺は「そろそろ逃げ出すべきか」と身構えた……の瞬間。

『魔を操るモノは去れ! 魔を畏れぬモノは消エろ―――っ』

「うおう?!」
「きやあああ?!」
 まるで綾に付き従うように、穴の奥から無数にわき出てきた青白い幽霊の「群れ」に、俺と霧子はまともに悲鳴を上げた。

『戒律を乱すモノに災いヲっ!』
 恨めしげな、というか恨みそのものの言葉をはき散らしながら、幽霊たちは綾の周りを飛び交う。その光景はさながら、亡霊達が館の主に付き従うようにも見えて、いい知れない雰囲気をまとう綾の幽霊の迫力を否応なしに増していく。
 そんな綾の幽霊の迫力に、完全に気圧されてしまったのか、俺の腕にしがみつく霧子の感触が一段と重みを増した。……って、ひょっとして。

「や、やだ……やだやだ」
「お、落ち着け、作り物だからっ!」
 まさか、と俺が懸念したとおり、怯える言葉を零す霧子は、すっかり腰が抜けてしまっているようで俺の腕にしがみついて辛うじて立っているような状態だった。
 が、そんな霧子の態度が、綾の幽霊の何かを刺激したらしく、うっすらとした笑みを浮かべていた綾の表情が見る間に怒りに変わっていく。

「っ、ちょっと、霧子さん! いくら何でもくっつきすぎじゃないですか……っ!」
「だ、だって……っ」
「だって、じゃありません! 兄さんも、ニヤニヤして」
「いや、ニヤニヤなんてしてないぞ?!」
「してます!」
 いや、してない……って、再び反論しかけて、俺は我に返った。いくら綾とそっくりだとはいえ、アトラクション相手にまじめに口げんかしても不毛なだけだ。
 しかし、流石は今人気の遊園地。お化け屋敷の幽霊に、元となった人間の性格まで反映するとは、恐るべし。そういえば、さっきから佐奈ちゃんの幽霊っぽい人影もちらちら見えている辺り、演出に手抜かりはないということだろうか。

「人が心配して探し回っていたのに、兄さんは、霧子さんといちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃして……っ!」
「いや、だから、いちゃいちゃなんか」
 と、また幽霊相手に言い訳しようとしている自分に気づいて、俺は慌てて言葉を止めた。どのみち、このままじゃ埒があかない。

「霧子」
「な、なに……?」
「逃げるぞ」
「う、うん。でも……」
「逃げる? ふふ、そうやってまた二人っきりになろうって言うのね、兄さん」
「いや、そうじゃなくてだな」
 なんなんだろうか、このお化け屋敷は。あまりに妹の性格を再現しすぎているような気がして、別の意味で恐怖がわいてくる。
 ふつふつとした怒りの笑みを湛える綾の幽霊に反応したのか、周囲の幽霊たちもまたざわめきを増した。

『魔を操るモノは去れ! 魔を畏れぬモノは消エろ―――っ』
 が、そんな取り巻きの態度が気に障ったのかだろうか、当の綾(の幽霊)は、いらだたしげに亡霊達を睨んで、告げる。

「今取り込み中なの!」
 そう吐き捨てると、あろうことか綾の幽霊は瞬く間に呪文を唱えて、あっという間に飛び交う亡霊の何体かを……消してしまった。 そのあまりの事態の俺は、一瞬言葉を失い、息をのむ。いくら、演出とはいえ―――

「な、仲間を消すなんて、なんて真似を……っ」
「仲間じゃありません! なんでこんなお化けが私の仲間なのよ!」
「部下なんか仲間じゃないってことか。流石はボスキャラ……容赦の欠片もないってことだな」
「誰がボスキャラなんですか、誰がっ! あと、そんな怯えた目は止めなさい!」
 どうやら俺の感想が気に障ったのか、綾の幽霊は顔を赤くして怒りの声を上げる。その怒りの度合いに連動するようにしているのか、綾の周りを飛び交う幽霊たちのざわめきもますます大きさを増していった。
 その光景は本人がどう言おうと屋敷のボスキャラ以外の何物にも見えない。

『最早、生かして返サヌっ!』
「もう、邪魔しないでっ!」
 が、当のボスキャラは部下の亡霊達がお気に召さないのか、またいらだたしげに叫ぶと、粛正のための魔法を口にし始める。
 なら……今が逃げるチャンスか。

「霧子! 走るぞ!」
「ご、ごめん、私、立てない……」
「あ、そうか」
 どうやら霧子はまだ腰を抜かしたままらしい。

 なら―――、仕方ない。
 このまま、この場に霧子を放置したら、それこそ一生もののトラウマになりかねない。

「ちゃんと掴まってろよ?!」
「え? ええ?」
 言って、俺は霧子の足に手を伸ばして、そのまま一気に体ごと抱え上げた。
 俗に言うお姫様だっこって格好だけど……この際、恥ずかしがっている暇はない。

「ちょ、りょ、良?!」
「走るから、ちゃんとつかまってろよ?」
「あ、う、うん」
 俺の突然の行動に戸惑っているのか、俺の声に霧子は素直に頷くとそのまま俺の服にしがみついた。

「ちょっ……兄さん! それって、どういうことよ! こら、待ちなさい!」
 と、そこでようやく逃げだそうとしている俺たちに気づいたのか、綾の幽霊が怒りもあらわに声を張り上げる。
 だがしかし、どうやら仲間割れが進展してしまっているらしい。

『魔を操るモノは去れ! 魔を畏れぬモノは消エろ―――っ』
「だから、邪魔しないでって言ってるのに! この―――っ!」
 部下の亡霊達は、今度は綾の進路を塞ぐようにうごめき、そして、俺たちはその隙に綾から大急ぎで逃げ出したのだった。
 

 どのぐらい、走っただろうか。
 いい加減息も切れてきた頃、辺りを照らす照明の色が変わった。

 薄暗い青の照明から、煌々とした白の照明へ。
 恐怖心をぬぐうような暖かな色の照明は、どうやら出口か、あるいはそれに近いエリアを示すような気がして、俺は安堵の息を零した。

「……なんてお化け屋敷だ」
 知り合いの姿を幽霊かつボスキャラに設定してしまうなんて。一歩間違ったら、トラウマになりかねない。
 ……しかし、綾がお化けのボスか。意外とはまり役だったな。なんか、こう、押し殺した口調の中に、鬼気迫る迫力があって、演出としてはお見事というしかないけれど、流石にやり過ぎじゃないだろうか。

 ともあれ、ここまで雰囲気が落ち着いてくればもう逃げる必要もないだろう。そう判断して、俺は抱えた霧子に声をかける。

「霧子、もう終わったみたいだぞ」
「……」
「霧子? 大丈夫か?」
「あ、うん……平気」
 俺にしがみついていた霧子は驚きと恐怖のためか、その表情にしばし惚けたような色を浮かべていた。
 だけど、次第に落ち着いてきたのか、青い瞳は徐々に目の焦点を取り戻していく。そして、その目が生気を取り戻すと同時、霧子はむんずと俺のネクタイをつかんで引き寄せた。

「き、霧子……?」
「良」
「な、なんだ?」
 いきなり何をするのか、と戸惑う俺に、霧子はずい、と顔を近づけて固い口調の言葉を口に乗せる。

「誰にも言ったら駄目だからね」
「え?」
「だから、絶対、誰にも言ったら駄目だからね!」
「いや、言うなって何を」
 霧子が腰を抜かしたことをか? と確認しようとした瞬間、「ぐい」と首を絞められた。

「もう、だから、全部よ! 全部! お化け屋敷での出来事、ぜーんぶ、ほかの誰かに言ったら承知しないからね?!」
「わ、わかった! 言わない、言わないから!」
「ほんとに言わない?」
「言わないって! だから首を絞めるな!」
 口封じをしようとすた霧子は、俺の必死の言葉に納得したのか、「そう」と安堵の息を零すと同時、また恥じ入るように顔を伏せた。
 
「うう……なさけないよう」
「……」
 霧子がここまでお化け屋敷が嫌いだって言うのは知らなかったとは言え、落ち込む霧子の姿に、流石にお化け屋敷に連れ込んだ事への罪悪感がひしひしと胸を締め付けてきて、俺は慌てて言葉を探す。

「まあ、誰にでも苦手はあるって」
「……気休めは止めて」
「いや、気休めでも何でもないんだけどな。ほら、俺も黒板ひっかく音とか駄目だし」
「それ、好きな人なんていないでしょ」
「平気な奴ならいるって」
「なによ、それ」
 俺の慰めの言葉に呆れたような視線を向けていた霧子は、諦めたように「ま、いいや」と呟くと、不意に微笑んだ。

「霧子?」
「ま、みられた相手は良だしね。あんまり気にしないでもいいかな」
「どういう意味だ、それは」
「別にー」
 どうやら毒づけるだけの元気は出てきたらしい。その事実に、俺は安堵しながら言葉を続けた。

「とにかく、脱出しないとな。雰囲気も変わったし、そろそろ出口だろ」
「そうね」
「あ、ところで……」
「え?」
「いや、なんでもない」
『もう自分で立てるか?』と言いかけた言葉。それを濁して、俺はそのまま歩くことにした。こういう事、女の子にしてあげるのなんて、柄じゃないけど。なんとなく、今の空気を終わらせてしまうのを惜しいって思ってしまったから。

 だから、俺の腕が完全にしびれてしまうまでの数分間、俺たちはそのままの格好で屋敷の出口を目指して歩いたのだった。


6.合流(神崎良)

「……兄さん!」
「良先輩」
「きゃあ?!
「で、出たっ」
 霧子と並んでどのくらい歩いていただろうか。もうアトラクションは終わったものだとばかりに油断していた俺たちは、突然の物音に文字通り飛び上がり、慌てて背後に振り向いた。

「出たって何よ! 出たって!」
「その反応はあんまりです。先輩」
 振り向いた先にあったのは……さっきほどと同じ光景。ただ違うのは、綾は壁に穴を開けて登場したわけでもないし、幽霊を引き連れている訳でもない。

「綾、佐奈ちゃん……本物か?」
「当たり前でしょ! 本物じゃなかったら何だって言うのよ!」
「そうです」
 俺と霧子の反応に綾は眉を逆立てて、佐奈ちゃんはほんの僅かに頬をふくらませた。
 確かに、この反応は綾っぽいし、佐奈ちゃんっぽい。だから今度こそは本物だろうと判断して、俺は二人に頭を下げた。

「ごめん、ごめん。悪気はないんだって。実はさ、さっき綾の恰好をしたお化けに襲われそうになったんだよ」
「私の……?」
「お化け?」
 軽く頭を下げる俺の台詞に、綾と佐奈ちゃんは目を見合わせる。その反応を見る限り、二人の方に俺や霧子の幽霊が現れて暴れた、ということはなさそうだった。

「綾たちの方には出なかったのか? いきなり背後から壁をぶち抜いて現れてさ。あれは流石にびっくりした」
「……え?」
「……壁?」
「うん。ドン、と壁に大穴を開けて出てきたんだ。しかも、後ろには無数の幽霊をこう背後に付き従えててさ。あれはかなり怖かったぞ。うん」
「無数の……」
「幽霊……」
 さっきの件を説明する内に、顔を見合わせる綾と佐奈ちゃんは心持ち青ざめていくようだった。やっぱり、綾たちの方でもそれなりに怖い演出はあった、という事なんだろうか。

「でも、凄かったぞ、あの幽霊。姿形は綾そっくりだったし、声も性格も似てたし、危うく本物と間違える所だったんだけどな。でも、いくら似せてもちょっと行動が、やり過ぎだったんだよな」
「やり過ぎって……ど、どんな風に?」
「いや、だって、いくらお前だって、遊園地の壁をぶち抜いたりしないだろ?」
「……そ、それは」
「そうですね」
 問いかける俺に、何故か綾は狼狽えるように口をつぐんで、代わりに佐奈ちゃんが一歩進み出て頷きを返してくれた。

「表現技術は凄いんですけれど、まだ改善の余地がある、という事なんでしょうね」
「うん。そんな感じかな」
「ちょ、ちょっと佐奈?」
 佐奈ちゃんの論評に俺が頷くと、綾は何故か慌てた様子で佐奈ちゃんの顔をのぞき込む。そんな綾に、佐奈ちゃんはいつものように表情を変えずに、ぽつり、と呟くように答えを返した。

「……ここは演出、ってことにしておいた方が良いと思う」
「そ、そうかな」
「多分」
「……しておいた方がいい?」
「なんでもありません。綾との内緒の言葉ですから、詮索しちゃ駄目です」
 そういつものように澄まして答える佐奈ちゃんに、綾も慌てて首を縦に振っていた。

「そ、そうそう。内緒だから兄さんは気にしちゃ駄目」
「そうなのか」
「そうなの」
 なら仕方ない。まあ、佐奈ちゃんと綾ならそういう暗号めいた言葉で会話していても不思議じゃない……というのは言い過ぎだろうか。

「ううっ……でも、幽霊なんてあんまりじゃない」
「ちょっとやりすぎちゃったかも」
 ……ま、いいか。
 相変わらずよく分らない言葉を交わす二人だったけれど、なんだか綾がうっすらと涙ぐんでいるような気がするのであまり追求するのは止めておこう。
 ……しかし、綾がお化け屋敷で涙ぐむとは思わなかった。今度、一緒にはいるときにはもう少し気を配るようにしないといけないかも知れない。

「まあ、お互い大変だったみたいだけど……ところで」
「な、なに?」
「いや、龍也の姿が全く以て見えないんだけど」
「あ」
「え?」
「あれ?」
 俺の指摘に、みんなは一斉に顔を見合わせて、そして。

「はぐれた?」
「のかな」
 あろうことか龍也と一緒だったはずの後輩二人組は、このときまで彼の存在を本当に失念していたことが判明したのだった。


 その後、「結局、ほとんど僕が穴を塞いだんだけど……」となんだか憔悴しきった表情で呟く龍也とは合流できたのは、
 俺たちがお化け屋敷を出てから数分後のことだった。


続く

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