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魔法使いたちの憂鬱
第十二話 思惑錯綜、遊園地(その3)
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1.前半戦終了(神崎良)
「あー、面白かった」
小型の乗り物に乗ってレールの上を高速で滑空する「エアコースター」。そのアトラクションから出ると、霧子は晴れ晴れとした表情でそう宣った。流石に自分で推薦しただけあってその迫力を十二分に堪能できたらしい。
「死ぬ」
「もうだめです」
そんな霧子とは対照的に、俺と綾はぐったりと呻くような声を絞り出すのがやっとだった。悲鳴を上げている三半規管に悩まされながらふらふらと霧子の後ろを歩いていると、霧子は俺たちに振り返って小さく肩を竦めた。
「なによ、だらしないわね」
「だらしないって、お前な。いくら、魔法工学の粋、とかいう謳い文句でも、限度があるとは思わないのか。限度がっ」
「そ、そうです。あれはちょっと反則だと思います……」
寧ろ、何故霧子がそこまで平然としていられるのか分からない。最高速度が凄い、というのは霧子に聞いていたけれど、あそこまで縦横無尽にコースター(二人一組で座る小型の車みたいなもの)が空を飛ぶなんて想像して無かったし、途中で空中分解するなんて思ってもいなかった。勿論、その後、魔法で再構成されたコースターに無事に着地出来たわけだけど、問答無用で空に投げ出されたときには冗談抜きで死を覚悟したし、天国の両親が脳裏をよぎったりもした。
それは俺の隣に座っていた綾も同じだったらしく、エアコースターでは兄妹二人仲良く並んで、ひたすらに絶叫する羽目になったのだった。
「迫力あって良かったでしょ?」
「ありすぎだ。死ぬかと思ったんだぞ、あれは」
「あはは、あれは凄かったよね」
「でも、ちょっと気持ちよかったです」
引きつった俺の声に答えたのは霧子じゃなくて、背後から続いて出てきた龍也と佐奈ちゃんだった。二人とも余裕ありげな表情をしているところを見ると、俺や綾ほど恐怖に戦いた訳じゃないらしい。
……って、ひょっとして、ふらふらなのは俺たち兄妹だけなのか。いや、普通、あそこまでぐるぐると乗り物が回転したら三半規管がおかしくならないだろうか。とはいえ、霧子だけじゃなく、龍也も佐奈ちゃんも平気だということは、俺と綾の兄妹がそろって乗り物酔いしやすい体質、ということなのかもしれない。
俺が平然としている三人に軽く敗北感を抱いていると、それを見越したように霧子が勝ち誇る声をあげる。
「ふふふ、これで一勝一敗ね、良」
「くそう、凄く負けている気分だ」
最初のお化け屋敷での優位がまるで夢のようだ。
そんな事をため息混じりに考えつつ、俺は青ざめた表情で俺の腕にしがみついている綾に声をかけた。
「綾、平気か?」
「ちょ、ちょっと気持ち悪いかも……あ、でも、平気。うん、大丈夫だよ」
「そうか? 無理しなくて良いんだぞ」
「大丈夫。兄さんこそ、平気なの?」
「ちょっとふらついてる気がする。まあ、吐き気とかはないけどな」
そう答えながら、俺は綾の顔色を探る。強がっているけれど、表情は冴えない。龍也の話では、お化け屋敷でも一悶着あったみたいだし、その直後のアトラクションがこれでは疲れが重なってしまったかもしれない。
……アトラクションの選択、間違ったかな。
ちょっと反省しながら、俺は遊園地に備え付けられている時計に目を向けた。時計の針が示すのは、昼飯時、というには少し早いが、早すぎるという事もない時刻。だったら少し早めに昼食と採りながら、ゆっくりと休憩するのも良いかもしれない。
「ちょっと早いけど、昼飯にしないか? 綾はともかく俺は結構ふらふらだし」
「そうね。良いんじゃない?」
「僕もそれで良いと思う」
「賛成です」
「兄さんがいいなら」
みんなも多少は疲れていたのか、それともふらふらな俺たち兄妹を気遣ってくれたのか。ともかく俺の提案に特に反対意見はなく、よって少し早めの昼食をとることになった。
「じゃあ、どこかお店に入ろっか。それとも何か買ってベンチかどこかで食べる?」
「そうだなあ」
霧子の言葉に腕を組みながら、俺はしばし考えを巡らせる。
「外で食べようか。天気が良いから気分も良くなりそうだし」
そう提案すると、みんなも特に反対はないようで、一様に頷きが返ってきた。
「ということで、パンフレット代わりの綾。どこか休めそうな場所のお勧めは?」
「えーとね。うん、少し歩いたところに広場みたいな場所があったんじゃないかな。噴水とかもあって休憩用の場所だったはずだよ」
「じゃ、そこにしようか。良と一年生組は場所の確保しといてくれる?」
「そうだね。僕と霧子で飲み物買ってくるよ」
「悪い。頼めるか?」
買い出しを買って出てくれた霧子と龍也に、俺は素直にお願いすることにした。少なくとも今の綾を買い出しに連れ回る気にはなれないし、俺自身もちょっと休みたい。
「うん。任せて」
「なにかリクエストはある?」
「任せる。でも、軽めのモノでよろしく」
「フライドチキンとか?」
「お前にとってはそれが軽いのか」
「冗談よ。サンドイッチぐらいでいいでしょ?」
そう言って笑うと霧子は龍也と連れだって、ふよふよと相変わらず遊園地内をたゆたっている案内板の方へと歩いていった。多分、売店の場所を確認しに行くんだろう。
「……というか、看板が一定の場所にないのはどうなんだ」
「あれは移動用の看板だよ、兄さん。おっきな奴は動かないでじっとしてるよ?」
「そうなのか」
だとしたらますます大きい看板に羽が付いてふよふよしている意味が分からないんだけど……まあ、いいか。はねつき看板についてはこれ以上深く考えないことにして、俺は綾の方に視線を戻す。
「それより綾、ほんとに大丈夫か?」
「うん。大分落ち着いたから、大丈夫」
そういって笑う綾の表情を、俺はじっとのぞき込む。確かに顔色は多少は良くなっている様だけれど、やっぱりどこか疲れのようなものが滲んでいる気がした。果たして、それはエアコースターだけが原因なのだろうか。
それを見極めようと俺はじっと綾の瞳をのぞき込んで、その色を見る。
「な、なに……?」
「いや、魔力足りてるのかなと思ってな」
「え?」
「お前、お化け屋敷で結構派手に魔法使ったんだろ?」
「え? な、なんのこと?」
「しらばっくれても無駄だぞ。龍也から話は聞いてるから」
実は、お化け屋敷から出た後、龍也はなぜかお化け屋敷の係員さんの所に頭を下げに行っていたのだ。本人は「ちょっと派手にものをひっくり返したりしたから」と誤魔化していたけれど、何かがあったことぐらいは読み取れた。それで一体何があったのかをこっそりと龍也から聞き出したのだけれど……龍也の話によれば、お化け屋敷の中で綾が「多少」魔法をつかったらしい。
どんな魔法をどうやってつかったのかは何故か龍也は口をつぐんでいたけれど、係員さんに「お騒がせしました」と言わなくてはいけない程度には騒がしい魔法を使ったのだろう。
「ということで、魔法を使っていたのはわかってるんだぞ。綾」
「ご、ごめんなさい」
「いや、いいんだけどな。係員さんも怒ってなかったらしいし」
「そうなの?」
「そうらしいぞ。龍也によれば、だけど」
係員さんは「流石、魔法院の学生さんだね。今後に向けて、いろいろ参考になったよ」と笑ってくれたらしい。だから、実際にはそこまで派手なことはしてないようなんだけど。
「ま、お前がお化け屋敷が苦手だって言うのはほんとだったんだな。悪い、今度からはもうちょっと気をつけるよ」
「う、うん」
「それで魔力、足りてるのか?」
「大丈夫。ちょっとしか使ってないから」
「……」
「ほ、ほんとだよ?」
「そっか。ならいいけど」
確かに、綾の目の色はいつもどおりで魔力欠乏の兆候みたいなものは感じ取れない。なら、少し休めば午後からも大丈夫かな。そう判断して、俺は佐奈ちゃんにも声をかけた。
「佐奈ちゃんは大丈夫?」
「はい。私、平衡感覚はいいんです」
「すごいなあ。俺たちはふらふらなのに」
「誉められました」
「うう、私、こんなに乗り物酔いする質だとは思わなかった」
俺の言葉に嬉しそうに佐奈ちゃんは目元をわずかに緩めて、綾はそんな彼女に羨むような視線と声を投げかける。
「まあ、神崎家の体質なのかな。じゃ、そろそろ行こうか」
「綾。先輩とおそろいだって。良かったね」
「うー、そんな体質でおそろいって、微妙だなあ」
綾と佐奈ちゃんの普段通りのやりとり。二人の様子をみて「綾も調子が戻ってきたかな」と俺は軽く安堵したのだけれど。
今にして思えば、このときにもう少し注意深く綾を気遣っておくべきだったのかも知れない。
2.状況確認(速水龍也)
「それで、綾ちゃんの様子、どう?」
「うーん」
サンドイッチとジュースの入った袋を抱えながら、霧子が投げかけた問いに、僕はどう答えたものかと首をひねった。
綾ちゃんの良に対する気持ち。それが本物なのかどうか。現時点で、黒か白かを判定するのなら「限りなく黒」だ。というか「真っ黒」と言った方が良いかもしれない。
何しろ、綾ちゃんがお化け屋敷で「暴走」と言って良い行動をとったのは、良と霧子が二人っきり、という状況に反応しての事だったから。兄に近づく女友達への嫉妬、と考えるとしても、あれは「妹」として嫉妬なんてものを越えてしまっていたと思う。
そう。ほとんど結論なんてはっきりしている……けれど。
「まだちょっとよくわからないかな」
「そうなの?」
「うん、重度のブラコンなのはよく分ったけどね。それが恋愛感情なのかどうか、まだちょっと、ね」
結局、僕は濁した言葉を霧子に返していた。
理由は、自分でもよくわからない。お化け屋敷で綾ちゃんが示した感情があまりに鮮明だったから、却って僕の方が怖じ気づいてしまっただけかもしれない。
「そう。まあ、あせって変に断定するわけにもいかないもんね」
「まあ、まだ午後いっぱいあるからね。慎重に様子を見るよ」
「頼むね」
霧子の信頼の言葉に、胸がチクリ、と痛む。だけど、それを顔に出さないように僕は「任せて」と笑って見せた。
「それより霧子の方はうまくやってるみたいだよね」
「なによ、上手くって」
「だから、ちゃんと良といちゃいちゃしてるなって」
「っ、だ、誰がいちゃいちゃしてるのよ」
見る間に赤くなって、霧子は僕の脛を蹴り上げる。
「痛い、痛いって。蹴りは止めようよ、蹴りは」
「あんたが変なこと言うからでしょ」
「はいはい。ごめんごめん」
「……全く以て誠意が感じられないんだけど」
「気のせいだよ。多分」
お化け屋敷での件が尾を引いているのか、霧子は上機嫌のままだった。良にみっともない所を見せた、という恥ずかしさより、良とずっと一緒にいられたことのうれしさの方が多分、大きかったんじゃないかな、と思う。
……本当。僕から見ていると、二人の感情はわかりやすいんだけどなあ。
良の霧子への想いも。霧子の良への想いも。互いに良い方向を向いていると思うのに、告白したりされたりする雰囲気にはなかなかならないようだった。
ひょっとしたら、二人とも今の関係を壊したくない、というのが原因かもしれない。それは僕の勝手な思いこみかもしれないけれど、少なくとも僕自身には、そんな思いは確かにあった。
だから、良と霧子には悪いけど、今まで積極的に背中を押したりすることはしてこなかったんだけど。でも、どちらにせよ、いつかは変わってしまうのかもしれない。
そんな確信めいた思いに、僕が少し息を零した頃。
「あ、居た!」
霧子は良たちの姿を見つけたのか、大きく手を振って足早にそちらの方へと駆けだしていった。
「走らなくても良いのに」
霧子の背中を苦笑混じりに見送りながら、「それにしても」と僕は一人、霧子が駆けていく先にいる綾ちゃんの事に想いをはせる。
脳裏に浮かぶのは、お化け屋敷で見せつけられた綾ちゃんの魔法のこと。学年が違うこともあって、僕は綾ちゃんの魔法を間近で見る機会はあまりなかったけれど、張り巡らされていた魔法遮断処理を打ち破って、壁に穴を開けて、あげく復元して見せたその手腕は既に一年生レベルじゃない。多分、高等部そのもののレベルを超えているんじゃないだろうか。
もっとも魔法院には今日の綾ちゃんがやってみせたことと同じ事ができる学生は数人いる。僕もその一人だし、きっと会長さんだって出来ると思う。だけど、僕や会長さんと綾ちゃんとでははっきりとした違いが一つある。それは、綾ちゃんが良としか……、つまり、たった一人としか魔力交換をしていないということだ。
一般論になるけれど、魔法使いとしての能力と、魔力交換の相手の数は比例することが多い。多様な種類の魔力を自己に取り込むことは複雑な魔法を行使する手助けになるし、そもそも一定数の交換相手がいないと、十分な魔力の量と質を自分の中に保てないから。良の母親であるレンさんが、良に「交換相手を増やせ」と発破をかけるのもその辺りが理由なんだと思う。
なのに、綾ちゃんは違う。彼女は良としか魔力交換をしていないし、出来ない。だけど、今日、僕の目の前で綾ちゃんが操った魔法は、一人としか魔力交換していない魔法使いのものとは思えなかった。勿論、魔力交換相手の数と、魔法の才能が比例する、というのはあくまで一般論だし、例外があるのは分かる。だけど、それにも限度というものがあるんじゃないだろうか。
その理由が気になって、でも、その理由が分からなくて。
「一途だから、かな」
僕はもう一つの一般論を答えの代わりに呟いていた。
強い感情は、強い魔法を産み落とす。それがよく知られているもう一つの一般論。とはいえ、感情が魔力に与える影響は、まだ完全に……というか、ほとんど解明されていない。でも、想いが魔法を強くする事例は、実際によく確認される。
もし綾ちゃんが魔法使いとして、きわめて不利な体質なのに、卓越した才能を示すのが、その想いのためだとしたのなら。彼女の思いは、一体どれくらい、強いって言うのだろうか。
そこまで考えて、僕はその考えを頭から追い出すように頭をふった。
「それは、ないか」
言い聞かすように呟いた言葉。それに根拠なんか無いことは分かっていたけれど。でも、そう呟かずには居られなかった。だって、あそこまで強い魔法が、本当に彼女の思いで紡がれていたのなら。
そんなに強い想いが報われないなんてことが……、寂しすぎるから。
そして、それ以上に。それほどまでに、魔法使いとしての力を綾ちゃんが良への思いに依存してしまっているのだとしたら。
……今更、後戻りなんて、できないんじゃないだろうか。
そんなことを信じたくなくて。だから、全てが僕の思いこみで、先走った考察に過ぎないって、そう思いたくて。
「考えすぎだよね……良」
こちらに向かって手を振る親友の姿を目にして、僕は我ながら弱々しい声で、一人、つぶやきを零していた。
3.お昼ご飯(泉佐奈)
遊園地の一角に備えられた休憩場所。日当たりの良い場所にいくつかの丸テーブルと椅子が置かれているその場所で、テーブルの一つを占拠して、サンドイッチと飲み物、そしてパンフレットを広げながら、私たちは午後の行動について相談している。
そよそよとそよぐ風は公園の緑の香りに仄かに運んできてくれて、天気の良さも相まって、思わず眠りに落ちてしまいそうなほど心地よかった。けれど、眠っている場合ではないと、私は内心で気合いを入れ直す。
なにしろ、午後からは巻き返さなくてはいけないのだから。
現時点での綾と桐島先輩の戦歴を記すのなら、1対0で桐島先輩のリード、という所だと思う。お化け屋敷では桐島先輩は良先輩に文字通りべったりだったけれど、エアコースターでは綾は良先輩と仲良く絶叫していただけみたいだから。
(中々、思い通りにはいかないみたい)
胸中で呟いて、私は小さく息を吐いた。なにしろ、お化け屋敷で、良先輩と桐島先輩が二人っきりになってしまうなんて想定外も良いところだったので、あそこを提案した私としては綾に対して申し訳ない気分で一杯だった。だから……午後こそは綾の巻き返しのチャンスを作らないと。そう意気込んではいるのだけれど。
(……でも、どうしようか)
意気込みとは別として、具体的にはどうすればいいのか。考えを巡らしながら私は、皆さんの会話に耳を傾けていた。
「せっかくチケットがあるから『天国への塔』は確定だよな」
「うん。それは行かないと後悔するよ、きっと」
「それ以外でもあと一つは回れるのか。候補としては「雲のお城」と「大観覧車」だけど……」
「私は「雲のお城」が良いなあ。お姫様だよ、ほらほら」
そんな会話を交わしているのは、良先輩と綾。二人仲良く紅茶をすすりながらパンフレットをのぞき込んでいる。綾はエアコースターでの酔いも抜けたのか、楽しそうに良先輩の隣に座っている。対して良先輩はほんの少し浮かない表情を浮かべているように見えた。
「どちらかといえば、お城の方は遠慮したいな、俺は」
「えー、どうして? お姫様と王子様気分が満喫できるんだよ?」
「それを遠慮したいんだけど。お姫様、王子様の格好させる、とかじゃないのか?」
「そうだけど」
「じゃ、却下」
「えー!」
にべもない良先輩の言葉に、綾が不満げに頬を膨らませる。そんな綾の抗議に、良先輩は困ったように頬を掻きながら苦笑した。
「えー、って言われてもなあ。お前、お姫様の格好したいのか?」
「うん。だって、お姫様のドレスを着れるんだよ?」
「あ、ドレス、着れるんだ。それはチェックしてなかったな、私」
二人の隣……というか、良先輩の隣でコーヒーをすすっていた桐島先輩が綾の発言に興味を引かれたのか、綾の言葉に食いついた。綾の方は援軍ができた、とばかりに目を輝かせてパンフレットの頁をめくる。
「はい。ここのドレスって、すっごい綺麗なんですよ。ほら、これです」
「へー。これはちょっと惹かれるかなあ」
「そうですよね。桐島先輩、似合いそうですし」
「ありがと。でも綾ちゃんも似合うよ。うん、凄くかわいらしいお姫様になりそう」
「そ、そうですか」
桐島先輩の率直なお世辞に、綾は嬉しそうにはにかみながら、ちらちらと物言いたげな視線を良先輩に投げる。
多分「俺も綾のドレス姿は似合うと思うよ」みたいな発言を求めてのことだと思うけれど、当の良先輩は綾の視線に全く気づく様子もなく、パンフレットとにらめっこしていた。
……綾、ファイトです。くじけちゃ、駄目だよ。
「……兄さんのバカ」
「え?」
「なんでもないです。兄さんの意見なんかもう聞きません」
「何でいきなり怒ってるんだお前は」
「怒ってないもん」
「私は、今のは良が悪いと思うな。反省しなさい」
「何を反省するんだよ」
綾と桐島先輩に攻められている理由が分っていないのか、良先輩は思いっきり戸惑いの表情を浮かべて首をひねっている。そんな三人に楽しそうな視線を送っていた速水先輩が、不意に私の方に声を向けた。
「佐奈ちゃんはどっちがいいの?」
「そうですね」
向けられた問いかけに、私は少し考え込む。
綾は「雲のお城」でお姫様の格好をしたいみたいだし、昨日までの綾との会話でそれは知っていた。だから、私としても「雲のお城」に一票、と言ってあげたいんだけれど……。
「佐奈ちゃん?」
「速水先輩はどちらがいいですか?」
まだ少し考えが揺れている私は、時間稼ぎとばかりに質問の矛先を速水先輩自身に投げ返す。
「そうだね、やっぱり「大観覧車」の方が良いかな」
「そうなんですか。速水先輩なら、きっとお似合いなのに」
速水先輩の扮装した姿を思い浮かべて、私が素直に感想を述べると、先輩は少し照れたように頬を掻いた。
「そうかな。あんまり王子様、って柄じゃないんだけど」
「ですから、そっちじゃないです」
「え?」
速水先輩の王子様姿、というのは確かにそれはそれで似合うと思う。格好良いというよりは、品のある優しげな王子さま、という印象になるんじゃないだろうか。でも、それより速水先輩の扮装姿として私が思い浮かべたのはもう一つの衣装の方だった。
「お姫様の衣装、似合いそうです」
「え、えーと」
私の率直な感想に、速水先輩は困ったように呻いて、助けを求める視線を良先輩に向ける。すると今度はちゃんと視線に気づいた良先輩が、私に向かって小さく苦笑した。
「こら、佐奈ちゃん、からかっちゃ駄目だよ」
「ご免なさい」
窘められたけれど、その声にはあまり厳しさはなくて、良先輩自身もちょっとそう思っているのかな、って勘ぐってしまう。するとそんな私の考えに重ねるように、桐島先輩が小さく笑った。
「なんだか、良も「龍也ならお姫様が似合う」とか思ってそうよね」
「え、そうなの、良?!」
「思ってない。思ってない」
「本当に? 多分、めちゃめちゃ似合うわよ? 龍也のお姫様姿」
「それは分るけどさ」
「やっぱり 良、見たいの……?」
「いや、だから、無理にのらないで良いから」
何故か頬を赤らめる速水先輩に、流石に僅かに引きつった表情で良先輩が首を横に振る。
……実は、良先輩と速水先輩の関係について、怪しい関係を邪推する女子の集団が存在したりするのだけれど、こういう反応を見せられてしまうと、あながち邪推とも妄想とも言い切れないんじゃないのかな、って思ってしまう。
綾が龍也先輩に対してある種の警戒心を抱くのもひょっとしたら杞憂じゃないのかも。
「まあ、とにかく俺としては「大観覧車」に一票」
怪しい空気の会話を打ち切りたかったのか、良先輩は、ぱん、と手を一度打ち合わせてから話題を変えるようにそういった。
「あ、僕も観覧車」
「私は「雲のお城」がいいです」
「私もお城かなかな。色々楽しそうじゃない」
速水先輩、綾、桐島先輩。良先輩に続いて次々に自分の意見を決めてしまった。現状、これで2対2。つまり何処に行くのかは私の一票で決まることになる。
自然と私に集まる視線に、少し緊張しながらも、私は決めた答えを口にした。
「私は……、大観覧車がいいです」
「え、佐奈もそうなの?」
私が反対するとは思っていなかったのか、綾が意外そうに、目を瞬かせる。
「うん。少しおとなしめの奴が良いと思うから」
綾には悪いけれど、と私は意見を変えるつもりが無いと答えた。
本音を言えば私もお姫様の格好に興味はある。だけど「雲のお城」というアトラクションの性質は二人っきりになれるようなモノじゃないと思う。だから、ここは密室空間で二人っきり、という状態が比較的簡単に作れる「観覧車」を選ぶべきだって思った。綾の失地挽回に、そのくらいの状況を作らないといけないって思うから。
「残念。佐奈ちゃんのお姫様姿なんて絶対可愛いのに」
「ありがとうございます」
落胆しながらも笑顔で褒めてくれた桐島先輩に、私が小さく会釈を返すと、彼女はその視線を良先輩に向けた。
「ね、良もそう思うでしょう?」
「ああ、それは思う」
桐島先輩の言葉に、あっさりと頷いてくれる良先輩。その言葉に、しばし、私の思考が止まった。
……どうしよう。良先輩に、褒められてる。
「佐奈ちゃん?」
「いえ、私はやっぱり大観覧車がいいです」
一瞬、意見を変えてしまおうかと意志が揺れたけれど、でも、今日は綾のための日。だから、私は意見を変えるのを思い止まった。
「じゃあ、多数決の結果で大観覧車で決定だな」
「そうね。いいんじゃない?」
「じゃあ、どう分れようか」
では、行動開始、とばかりに三人の上級生さんたちが目を見合わせた。
パンフレットによれば観覧車は四人乗り。だから、三人と二人に分れることになる。つまりこの中の誰かは必然的に「二人きりの状態」に置かれることになるわけで、私としてはここで綾と良先輩をペアになってもらわないと困ってしまう。
間違っても「上級生組と下級生組」とか「男女別」とかいう組み合わせにはしてはいけないし、良先輩と桐島先輩のペア、というのは絶対に避けないといけない。
なら、どうするべきか。その問いに対して私は、一つの方法を用意していた。
「あの、良先輩」
「うん?」
「くじ引きにしませんか。「当り」の付いたくじと「外れ」の付いたくじで分かれる、というのでどうでしょう」
そう良いながら私は、手提げ鞄の中からヘアピンをいくつか取り出した。赤色のヘアピンのいくつかは、ピン先を青に塗ってある。昨日の晩、こういう状況を想定して……というか、お母さんに相談したら「こういう仕掛けぐらいは常備しておきなさい」と無理矢理持たされた物だったりするのだけれど。
……まさか本当に使うことになるとは思わなかった。やっぱりお母さんは頼りになる人だ。
「へえ、用意がいいね。じゃ、これで決めようか」
「そうね。簡単で良いわね」
「うん、せっかくの佐奈ちゃんの心遣いだしね」
良先輩、桐島先輩、速水先輩と先輩方は私の提案に、笑顔で頷いてくださった。その笑顔に、チクチクと罪悪感が刺激される。
……だって、私はズルをするつもりだから。
少し狡いけど、くじには少し細工がしてある。というより、くじ自体には細工は無いけれど、私が「イカサマ」をするつもりだった。
先輩たちが意思の確認のために視線を外した隙に、私が手のひらに握った五本のピン。それはすべて「当り」のピンなのだ。これを速水先輩、桐島先輩に先に引いてもらえば、その段階で組み分けは終了。
あとは当たりくじを全部「外れくじ」にすり替えてしまえば、綾と良先輩の組み分けも終了。無事に「綾と良先輩が二人っきり」の状況が出来上がる。
ちなみにどうして私がくじのすり替えができるのかといえば、勿論、お母さんに教わったから。まだお母さんみたいに、くじを一本一本自在に入れ替えられる程に器用じゃないけれど、誰かにくじを差し出す前に、手のひらの中のくじを全部すり替えるぐらいなら、多分、気付かれずにできるはず。
ズルをしてしまう事への罪悪感はぬぐえないけれど「目的があるなら手段はあんまり選ぶな」とはお母さんの教えだから、大丈夫。なによりも綾のがんばりを、私もなんとか応援したいんだから。
だから、私は動揺が顔に出ないように、いつも以上に表情を押さえて、手にした「当りくじ」を二人の先輩に差し出したのだった。
「じゃあ、先輩方、どうぞ」
4.大観覧車(神崎良)。
佐奈ちゃんが用意してくれたくじ引きの結果。
一組目は龍也と霧子と綾。そして、二組目は俺と佐奈ちゃんという組み合わせで分かれたのだった。
/
「……どうして、こうなるんでしょう」
「え?」
四人乗りのゴンドラ。それに乗り込んで向かい合わせに座るなり、佐奈ちゃんはなんだか思い悩む口調で、ぼつりとそう呟いた。
「順番を待たないで一斉にくじを引くなんて、皆さん、お行儀が悪いです。あんなの対応できません」
「えーと、佐奈ちゃん?」
「そもそもどうして綾まで一緒になって引いてるんですか。『待ってください』って言ったのに。それを聞いてくださったのが良先輩だけなんてどういうことですか……綾のばか。ばか」
「もしもーし」
俺の呼びかけにも気付かない様子で、佐奈ちゃんはぶつぶつと何事かを呟いている。その表情は、いつものように変化には乏しいけれど、どうやら少し怒っているようだった。
くじ引きの時、霧子と龍也と綾が「いっせーの」でくじを引いたのがそんなにお気に召さなかったのだろうか。一瞬、そう考えて「それは違うか」と俺は首を横に振る。別に順番に引こうが、一度に引こうが、それほど怒る理由になるとは思えない。
なら佐奈ちゃんの機嫌が今ひとつよろしくないように見えるのは、やっぱり組み合わせ結果が不満なのだろうか。やっぱり綾と一緒に居たかったのか。あるいは龍也と一緒になりたかったとか。
「佐奈ちゃん、一緒になりたい人がいたの?」
「いえ、私個人は良先輩とご一緒できて嬉しいです」
俺の問いかけに、ようやく気付いてくれたのか佐奈ちゃんは顔を上げて答えてから、そこでようやく小さく笑ってくれた。
「そうですね。せっかく先輩とご一緒できているのに、悩んでいるのは損です」
「悩んでるの?」
「はい。悩み多きお年頃ですから」
「そっか」
うん。いつもの佐奈ちゃんに戻ってきたかな。
その事に安堵して、そこで俺は初めてゴンドラの外に視線を向けた。ぐんぐんと高度を上げていくゴンドラ。その外に広がる光景を視界に入れて……絶句する。
「……はい?」
「……え?」
俺の視線につられて佐奈ちゃんも外の景色を見たのだろう。目に飛び込んで着る景色に、彼女も俺と同じように呆気にとられて小さく声を零した。
「雲の……上?」
「……みたい、です」
、眼前、というより既に眼下に広がる光景は、本当に雲の上から地上を見下ろす展望に変わっている。視界に広がる綿飴みたいな雲。その雲の切れ間から除くのは緑豊かな世界樹の国の風景か。
確かにパンフレットには「雲を貫く展望」みたいなことが書いてあったけれども……本当にこういう光景を拝めるなんて思っては居なかった。
「凄い……景色だね」
「はい。凄いです」
雲を突くような巨大な観覧車は、実際には遊園地の敷地には存在していない。だから、これは魔法による演出であることは間違いないんだろうけれど、果たしてどこまでが現実の光景で、どこからが魔法による幻なのか。
それを見極めようと目をこらしかけて……俺は直ぐにその行為を放棄した。こんなことを言うとレンさんには「覇気と根性と根気が足りない」と怒られそうだけど、正直、俺ぐらいの魔法使いで見抜けるような技術じゃないと思う。それに、まあ、今日この場は、そんなことは気にせずにこの展望を楽しむのが良いと思えたから。
「良い眺めだね」
「はい。乗って良かったです」
自然と口から漏れた平凡な感想に、佐奈ちゃんも嬉しそうに口元を僅かに緩めて頷いてくれた。多分、彼女もややこしいことを考えずにこの景色を楽しむつもりなんだろう。
「佐奈ちゃんは高いところ平気?」
「はい。でも、こんな高さは初めてです」
「俺も初めてだよ。レンさんの箒に乗せてもらったことはあるけど、流石に雲の上までは行かなかったしね」
「私もです。だから、もっと高くなったら泣くかも知れません」
「泣くの?!」
「冗談です」
「だと思った」
佐奈ちゃんとの他愛ないやりとりに、狭いゴンドラの中の雰囲気が穏やかに和らいでいく。そして、そんな穏やかな雰囲気のなか、絶景、といって良い光景を、しばし、俺と佐奈ちゃんは言葉もなく見つめていた。
「……」
「……」
夢か現か幻か。
眼下に見える雲すら置き去りにしてその高度を上げていくゴンドラ。地上とおぼしき風景は既に白い雲の海の中に消えて、ただ視界に映るのは空と太陽と……そして遠くそびえる世界樹の影だけ。
現実であるはずはないのは分っているけれど、それでも本当に自分たちの世界を遙か高みから見下ろしているような錯覚を覚えてしまう。いつまでも、この感覚を味わっていたい、そんな思いを浮かべた俺の意識は、不意に「先輩」と俺を呼んだ佐奈ちゃんの声に引き戻された。
「先輩。魔力、交換して貰って良いですか?」
「え?」
「駄目、でしょうか」
「いや、いいけれど」
佐奈ちゃんが唐突なのはいつもの事といえばいつもの事だし、最近、お互い会う機会がなかったから魔力交換自体、久しくしていない。だから、俺は彼女の要求に頷いて、佐奈ちゃんが差し出してくれた細い手に自分の手を重ねた。
少しひんやりとした佐奈ちゃんの手。その掌を握って、魔力を集めて交換していく。だけど、それはほんの一瞬で終わった。
「ありがとうございます」
「もういいの?」
「はい、元気でました」
「そっか」
「気合いも入りました」
「気合い?」
「はい。だから、ちょっと変なことも大丈夫です」
何が大丈夫というのだろうか、この子は。
「先輩、質問して良いですか?」
「いいけど、何を?」
問いかける俺に、佐奈ちゃんは少しだけ目を閉じて、微かに息を吐くと、意を決したように口を開いた。
「先輩は、好きな人、いますか?」
「……え?」
「ですから、好きな人、いますか?」
「……えーと」
佐奈ちゃんが唐突なのは、いつもの事といえばいつもの事……なんだけど。問われた内容が、あまりにも唐突すぎて、しばし思考が止まった。
「どうなんですか?」
「……いや、まあ」
硬直する俺に、佐奈ちゃんは、じー、とまっすぐな視線を向ける。目をそらす事を許してくれない眼差しに溶かされるように、俺の硬直した思考が少しずつ、動きを取り戻す。
―――好きな人。
真っ正面から投げかけられたその問いかけに、脳裏に浮かんだのは……霧子と……そして綾。その二人の笑顔だった。
……って、いや、待て。
何故、今の佐奈ちゃんの質問に綾が出てくる。
「それは人としてどうなんだ」
「……先輩?」
「あ、いや、なんでもないよ」
訝しむ佐奈ちゃんに誤魔化すように笑ってから、俺は大きく息をはいた。
ここで綾の顔を浮かぶなんて、なるほど俺のシスコンぶりも相当な所にきているのかもしれない。そんな苦い思いが却って、動揺する心を落ち着けてくれた。
でも、答えるべきなんだろうか。
一瞬、そんな迷いが頭をかすめた。だけど、まっすぐに俺を見つめる佐奈ちゃんの態度に、俺は迷い浮かんだ迷いをかき消して、頷きを返す。
「うん、いるよ」
「桐島先輩……ですか?」
「……うん」
消しきれない躊躇いに、ワンテンポ答えが遅れたけれど、俺は佐奈ちゃんの眼差しに正面から首を縦に振った。
多分ずっと前から、友人として以上の感情を、俺は霧子に向けて抱いているって、告げながら。
「……そうですか」
俺の返事に、佐奈ちゃんは少し目を細めて、小さく息を吐いた。
そして、しばし二人の間に、沈黙が降りる。重苦しい、という訳じゃない。だけど、自分からは言葉を発することが躊躇われるような、そんな雰囲気の中、俺は佐奈ちゃんの意図に思考を巡らせた。
ひょっとして、という思いと、まさか、という思いが頭の中で交差する。でも、俺がそんな思考に答えを出す間もなく、直ぐに佐奈ちゃんが目を開いて、また違う問いかけを投げかけた。
「少し話を変えますけれど……先輩は精力旺盛な方でしょうか」
「…………え?」
佐奈ちゃんの唇から、なんだか変な単語がこぼれ落ちたような気がして俺は何度か目をぱちつかせた。
「あの、佐奈ちゃん?」
「一日、複数ラウンドでも大丈夫ですか?」
「複数……?」
「なおかつ一ラウンドにつき、複数回でも平気でしょうか」
「あの」
「さらに複数人相手でも、おーけーな方でしょうか」
「さ、佐奈ちゃん?」
この子は、一体、何を言い出しているのか。もの凄く不穏当なことを口走っている気がして、俺は慌てて彼女の肩を軽く揺すった。すると佐奈ちゃんは、そこで初めて我に返ったように、目をぱちくりさせて俺の顔をのぞき見た。
「あ……、済みません、ちょっと取り乱しました」
「そ、そう」
「今の忘れて下さい」
「いや、そういわれても」
「忘れて下さい」
「う、うん。わかった」
落ち着いた口調だけど、その中に有無を言わさぬ迫力を感じて俺は結局、首を縦に振る。まあ、今の発言は俺としても忘れてしまった方が精神衛生上よろしいような気がするし。
そう納得して頷いていると、佐奈ちゃんは「では改めて」と少し居住まいを正した。
「先輩は、告白したんですか?」
「いや、まだだけど」
我ながら情けないけれど、正直、告白ってことを考えると二の足を踏んでしまう。
霧子が俺をどう思っているかわからないし、何より「三人」の関係を壊してしまうのが怖かった。
俺と霧子と龍也。中等部の時に出会ってから、ずっと続いてきた俺たち三人の関係が暖かすぎて、そこから先に進むのを躊躇っている……なんていったら、レンさんには殴られそうだけれど。
「でも、まあ……いつかは告白するつもりだよ」
「桐島先輩が、速水先輩のこと好きだったらどうします?」
「あー、うん」
痛いところを突かれて、俺の口からは呻くような声が漏れた。
正直、それが一番怖い。もし霧子が龍也のこと好きなら、友人としては応援してやらないといけないけれど……そんなに綺麗に割り切れるような素直な心は流石にちょっと持っている自信はない。
「正直、あまり考えたくないんだけどね。でも、そのときはその時かな。それでも一度は、告白すると思うよ」
それで三人の関係が崩れるてしまうのは、怖いけど。
崩れてそれっきりになるような奴らじゃないって信じているし、仲直りする努力だったらいくらでもしてみせる。
「そうですか……」
俺の返事を果たしてどう受け取ったのか。表情を押さえている佐奈ちゃんから、読み取れない。ただ悲嘆している、というようには見えなくて、ただ何かを考え込んでいる様子だった。
「……あの」
しばらくの沈黙を挟んで口を開いた佐奈ちゃんの声は、少しだけ強ばっていた。
「三人仲良くという選択肢はないんでしょうか」
「三人?」
「はい。みんなで仲良く、です」
それは霧子が俺と龍也の二人と付き合う、ということだろうか。つまり、一夫多妻もしくはその逆のような形。
「そうだね」
予想外の問いかけに、どう答えるべきか、一瞬判断に迷った。時々、綾やレンさんが冗談めかして口にすることはあるけれど……今の佐奈ちゃんから、茶化す気配は感じない。だから、真剣に聞いて居るんだろうけれど。
「そういうのは、あまり考えたことはないよ」
「お母さんは上手くやっています。幸せそうですよ」
「あ、そっか」
佐奈ちゃんのお母さんは一人で、お父さんは二人。なら、彼女にとってそういう男女の関係は、ごく自然に身近にあるもの、ということになる。
「でも、そういうのには理由が要るんじゃなかった?」
ハーレム、なんて言葉で揶揄されることも多いけど、実際には魔法使いが生きていくために必要な場合にのみ許される家族形態だ。誰にでも簡単に許可されるようなものじゃないし、当たり前だけど、俺たち三人の対して認められるような物じゃないはずだった。
そう言うと佐奈ちゃんは表情を変えないままに口を開いた。
「理由なんて後付でなんとでも成ります」
「いや、それはならないよ?」
「なります」
ぴしゃり、と俺の否定の台詞を打ち消して、佐奈ちゃんは諭すような瞳で俺を見つめて言った。
「大切なのは愛です」
「愛」
「はい。あと体力と精力と経済力もあれば望ましいです」
「追加された部分で、一気にハードルが上がったんだけど」
「そっちは冗談です」
つくづくオチをつけるのを忘れない娘だった。ちょっと感動しかけたのに。
「でも、最初の言葉は嘘でも冗談でもないです」
「大切なのは愛、か」
「はい。ウチのお母さんの座右の銘です」
「そっか……良い言葉だよね」
「はい。もう一つの座右の銘は、無理が通れば道理が引っ込むです」
「あのね」
本当にどこまでもオチを付けないと気が済まない佐奈ちゃんだった。そんな彼女に苦笑して軽く頬を掻くと、佐奈ちゃんは胸に手を当てながら、少し目を伏せた。
「佐奈ちゃん?」
「あの……私は、先輩にハーレムを築いてくださいって言っているわけじゃないんです」
「うん」
「今のところは、ですけれど」
「……うん」
「でも、そういう選択肢もあるんだって、先輩に覚えて欲しいんです。だれか一人だけを選んじゃうことが、必ずしも幸せになる方法じゃないって」
「……うん。わかった」
佐奈ちゃんが、どうして急にこんな話題を俺に振ったのかはわからない。だけど……最後の台詞に、彼女の本心が込められていた気がして、俺はゆっくりと首を縦に振った。
『だれか一人だけを選んじゃうことが、必ずしも幸せになる方法じゃない』
魔法使いは一人で生きられないから、そういう選択肢も必要になるって事は、理屈では分かっている。でも、受け入れてしまうには少し重すぎる考え方でもある。
どうして佐奈ちゃんがこんな話題を振ってきたのかわからないけれど……忘れてはいけないような気がした。
少なくとも佐奈ちゃんは、比較的自由に魔力交換が出来る子だ。だから、こんな制約に縛られる必要ないはずなのに……それでも、その形を口にしたのは、どんな意味があるんだろう。
その問いへの答えは、結局、佐奈ちゃんの口から出てくることはなく。
そして、俺自身も、このときはまだ、見つけることが出来なかった。
(続く)
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