/0.佐奈の決意(泉佐奈)

 大観覧車から降りた今、チャンスはもう最後のアトラクションを残すのみ。その事実に私は覚悟を決めて、「天国への塔」へと向かいながら隣を歩く速水先輩の手を引いた。

「速水先輩、お願いがあります」
「え? うん、何かな?」
「……」
 速水先輩の問いかけには直ぐには答えずに、私は歩幅を落して、前を歩く綾と良先輩、そして桐島先輩と少し距離をとった。あまり離れると怪しまれるだろうから、不自然ではない程度に、でも囁く声は聞こえない程度の距離を保つ。

「佐奈ちゃん?」
「速水先輩」
 少し遠くなった三人の背中に、頃合いかな、と頷いてから、私は訝しむ速水先輩に声を潜めて囁いた。

「次のアトラクションで、良先輩と綾を二人っきりにしてあげたいんです」
「え?」
「だから、協力して下さい」
「え、え?」
「大きな声は出さないで下さい。三人に気付かれちゃいますから」
「あ、うん、ご免……って、そうじゃなくてっ」
 単刀直入に投げかけた私のお願いに、速水先輩は目に見えて狼狽しながら、それでも私のお願い通りに声を潜めてくれた。やっぱり速水先輩は相当に人が良いみたいだ。

「良と綾を、二人きりにって……」
「協力してくださいますよね?」
 大観覧車のくじ引きでは、小細工を弄しすぎて色々と目論見が外れてしまった。私的には良先輩と二人っきりになれたから、失敗というわけでもないのだけれど。でも、綾を応援する、という当初の目的からすればやっぱり失敗だった。
 だから、今度は素直に、直接的に、望む状況を造り上げるために、協力を仰げる人には協力を仰ごうと思ったのだった。
 
「その……どうして?」
「二人を仲良くしてあげたいからです」
 私の意図が掴めないのか、歯切れの悪い速水先輩に、私は簡潔に目的を告げる。

「いや、それは……」
「駄目ですか?」
「いや、あのね? その目的は良いことだって思うけど、わざわざ二人きりなんかにしなくても……ほら、現に仲良く話してるしさ」
「足りません」
「た、足りない?」
「はい。親密度が全然足りません」
 仲睦まじく笑いあっている綾と良先輩の背中を指さす速水先輩の台詞を私は即座に切って捨てた。確かに「普通の兄妹」としては仲良くしているように見える。今日一日、一緒にあそんだことで、二人の間にあった微妙なしこりは隠れてしまったのかも知れない。
 でも……それでは全然足りない。それでは、二人の中は元の「仲良し兄妹」に戻るだけであって、綾が望んでいる関係になんか全然届いていないから。

「二人は、もっと仲良くならないと駄目なんです」
「もっと仲良くって……佐奈ちゃん?」
 多分、勘の良い速水先輩だから、もう私の意図をつかみかけていると思う。だから、私は先輩からはっきりとした拒絶が返される前に私は「約束」を持ち出す。

「私、先輩にお願いされたとおり、綾をちゃんと誘いました」
「え、あ、うん。ありがとう。感謝してる」
「じゃあ、次は速水先輩の番ですよね。先輩、二人が仲良くなるために協力してくれるって、そうおっしゃいましたよね」
「う」
 それは私が速水先輩に「遊びに行かないか」と誘われたときに交わした約束。それを持ち出して、私は先輩に約束の履行を迫ってみせた。

「言ったけど……それは」
「おっしゃいましたよね?」
「あ、うん」
「じゃあ、綾と良先輩は二人っきりになるべきですよね」
「いや、でもね」
「二人っきりになるべきですよね?」
「だから、その」
「なるべきですよね?」
「こちらにも事情が」
「なるべきですよね? ……先輩?」
「……はい」
 ……勝った。
 諦観の表情で肩を落して首を縦に振ってくれた速水先輩に、僅かな罪悪感を覚えつつも、私は小さく拳を握った。気の優しい速水先輩に対してこういうやり方は卑怯かもって思うけど、遠慮している余裕はもう無いのだ。

「でも、佐奈ちゃん。良達を二人っきりにってどうやって?」
「速水先輩が協力してくださるのなら話は早いです。あとは桐島先輩だけですから」
「そうなんだけど」
 それが一番の問題だと告げる速水先輩に「簡単です」と言い切って、少し笑って見せた。

「私と速水先輩で、桐島先輩を拉致するだけですから」
「……へ?」

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  魔法使いたちの憂鬱

       第十三話 思惑錯綜、遊園地(その4)

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1.天国への塔(神崎良)

「おおー、凄い」
「うわ、ホントに自分の意思で動くんだね、これ」
 俺と綾はそれぞれに驚きを口にしながら背中に付けられた純白の「羽」をパタパタとはためかせる。大人の腕の長さぐらいはある大きな翼が重さを感じさせることもなく、俺たちの意思に従って動いているのは中々、信じ難い光景だった。
 ちなみに天使をイメージしてのことなのか、俺も綾も貸し出されたゆったりとした白の上下に着替えているのだけど、綾はともかく俺の方が天使に見えるかと言えば非常に心許ない。って、まあ、そんなことはいいんだけど。

「あまり「羽を動かす」、ということは意識して頂かなくて結構です。基本的には、ただ行きたい方向、たどり着きたい場所を意識すると、そこに向かって翼が羽ばたくように出来ていますので」
 同じように背中に羽をつけた説明員さんが、俺たちに取り付けた羽の具合を確認しながら、にこやかな顔で注意事項を教えてくれる。

「それから、この羽は、外からの魔法を無効化します。ですから、「塔」を上っている最中はご自身の魔法は使えないと思って下さいね。時々ですが、風の魔法を使って急降下や急上昇をされる方がおられますが、そのような危険行為は止めて頂けますよう、お願いいたします」
「駄目だよ、兄さん。そんなことしちゃ」
「どちらかといえば、お前の方に注意が必要だと思う」
「私そんなに子供っぽくありません」
「子供はみんなそういうんだ」
「うー、ひどい」
 俺と綾の他愛ないそんなやりとりを、なんだかほほえましい表情で眺めていた説明員さんは大理石っぽく見える白亜の扉を押し開きながら、言った。

「では、お気を付けて。空への旅を、存分にお楽しみ下さい!」

 /

「うおお、ホントに飛んでる、飛んでるぞ?!」
「うわ、うわ、凄い! ふわふわしてるよ、兄さん、ほら!」
 開け放たれた扉、そこから翼で文字通り「飛び出した」俺たち兄妹は、二人してはしゃぎまくりだった。扉のある位置は、多分、二階建てぐらいの高さ。だから、地面は間近にみえる。だけど、背中につけた翼が羽ばたくごとに、その地面はゆっくりと遠ざかっていって、代わりに頭上に見えている空が近くなっていく。

 その地面と空の間をつなぐのは、俺たちが飛び出してきた白い塔。一見して、雲、というより白い綿菓子の柱、という風貌の塔が、周囲にこれまた綿菓子のように見える螺旋階段をまとわりつかせながら、延々と天の頂へと続いている。つまり、これが天国への塔、ということになるのだろう。

「うわあ、なんだか、ほんとに天使になったみたいだよね」
 その雲の塔に沿うようにして翼をはためかせながら、綾は目を輝かせて歓声を上げる。

「看板に偽り無し、だな。ホントに天国に行けそうな雰囲気だ」
「そうだね。うん、素敵」
 俺の零した感想に綾はにこやかに頷いてから、しかし、僅かに眉をしかめた。

「でも、この格好は不満かな」
 そう言いながら綾は少し不満げに、羽と一緒に渡された白いズボンを引っ張る。一応、女性用のミニスカートを履いているけれどその下にズボンを更に履いているのがいまいち不満らしい。

「どうせならちゃんと天使の格好したかったなあ」
「ちゃんとした天使の格好ってどんなのだ?」
「ほら、入り口にいた双子の天使ちゃんみたいな」
「……勘弁してくれ」
 入園のときにみた双子の天使の格好を思い出す。確かに幼い天使が身に纏う衣装としてはあの純白の布みたいな服装は清楚で良いとは思うけれど流石にスカートは履きたくない。
 そんな俺に、綾は小さく苦笑しながら小言を口にしながら指を振る。

「もう、兄さんは少し恥ずかしがりすぎ。こういう所では恥はかきすてだよ?」
「ものには限度があると思うんだが、どうだろう」
 まあ、俺としてはこの羽根をつけた姿で妥協して貰いたい。

「しかし、お前は器用だな」
「え?」
「なんか、おれより飛ぶのが早いというか、飛び方がなめらかと言うか、そんな気がするんだけど」
「えへへ、そう?」
 ちょっと露骨な話題転換だったけれど、綾の方はそれに気付いていないのか、俺の賞賛に素直に笑って、くるりくるりと縦に横にと回転して見せた……って、おい。

「……」
「どう? 凄い?」
「……いや、うん、凄い」
 凄いんだけど、うん、ちゃんとズボンを履いてて良かったな、綾。普通、縦に回転したりしたらスカートがどうなるのか分りそうなものなんだけども。

「……兄さん?」
「ああ、いや、なんでもない。確かに凄いのはよく分ったけど、縦回転はやめような、綾」
「? なんで?」
「危ないから」
 ……いろんな意味で。
 まあ、確かにズボンは履いているけれど、妹のスカートの中が見えるのは、兄の精神衛生上あまり好ましくはないのだ。

「でも、簡単だよ?」
「とにかく駄目。大体、縦回転は俺には出来ないぞ?」
 誰でも空を飛べる―――というのは、このアトラクションの謳い文句だし、「羽の動かし方は意識しなくて良い」とは説明員さんの言葉だったけど、その飛び方には多少の優劣が出来てしまうものらしい。
 そう言いながら、俺が首を回して背中の羽の動きを見ていると、不意に綾が俺の手を取った。

「じゃあ、私が教えてあげる。ほら」
「お、おい」
 言うなり綾は俺の手を取ったまま、大きく羽を羽ばたかせた。

「ちょ、ちょっと待て! いきなり羽ばたくな、危ないだろ、こら!」
「大丈夫、大丈夫! ほら、他に人もいないんだし!」
 楽しげにはしゃぎながら、俺を空へと引っ張っていく綾。そんな俺と綾の周りには確かに他の客の姿はない。要するに、雲で出来た塔の頂を目指して羽を羽ばたかせているのは、俺と綾の二人だけなのだった。

 /

 何故、俺と綾が二人っきりになっているのか。それにはちょっとした理由があった。

/2.強攻策発動(神崎綾)

 ……うまく行くのだろうか。
 佐奈に耳打ちされた強攻策に、私はそんな不安を感じながら、それでも佐奈の言うとおりに事態を見守ることにしたのだった。

 /

「塔がいくつもある?」
「……うん」
 いよいよ到着した本日最後のアトラクション「天国への塔」。そこに複数の受付があることに驚いていた兄さんは、その理由を聞いて面食らった顔で速水先輩の方を見る。そして慌てた面持ちで視線を目の前にそびえる白亜の塔を指さして、首を傾げた。

「でも、ほら。見えてるのは一本だけだぞ?」
「見えているのはね。それに「見えている」一本だって、そもそも幻の映像なんだよ。ほら、最初に説明したじゃないか」
「ああ、そうだった」
 速水先輩の説明に、兄さんはその事をようやく思い出したのか、納得したようにぽん、と手を打った。

「でも、そんなことって簡単にできるものなのか?」
「勿論、難しいと思う。でも、この遊園地を設計して運営している魔法使いの人たちは、きっと空間を操るのが上手いんだよ」
「空間?」
「うん。ほら、お化け屋敷の時も他の人達と会わなかったよね? 一つしかない場所に、複数の場所が存在し得るように現実を書き換える魔法。それを使っているんだと思う」
「……なるほど」
 果たして何処まで理解しているのかは分からないけれど、とりあえず納得したように兄さんは頷いている。多分、方法はわかったけど具体的にはどうやっているのかわからない、っていう辺りじゃないだろうか。

「まあ、それでも塔の数には限度はあると思う。そうじゃなかったら、チケットの枚数を制限する事なんて無いわけだし」
「あ、そうか」
 速水先輩の言葉に、兄さんは佐奈から配られたチケットに手を落とす。佐奈が苦労して手に入れてくれた「天国への塔」への入場券。確かに速水先輩に言うと通り、塔の数に限度がないのなら、入場無制限にしてしまえばいいのだからこのチケットが入手困難となることもない。

「……」
 そんな兄さんと速水先輩のやりとりを、私はやきもきした気持ちで聞いていた。速水先輩がここまで兄さんに語ってくれた事柄は、いわば前振り。つまり、ここからが本番なのだった。
 ……本当にうまくいくのだろうか。うずくような不安に、私はちらり、と目を動かして佐奈の表情を伺った。そんな私に佐奈は表情を変えないまま、ほんの僅かに首を縦に動かしてから、つん、と兄さんの腕をつついた。

「佐奈ちゃん?」
「先輩。グループ分けをしましょう。二つに分かれて別々の受付に並ぶのが良いと思います」
「え?」
 佐奈の提案に、兄さんは一瞬、目を瞬かせてから戸惑うように首を傾げる。

「なんで? そりゃ、塔がいくつかあるのは分ったけど、だからって、わざわざ別の塔に入ることはないだろ?」
「……っ」
 敢て別れる必要なんか無い、そう主張する兄さんに、私は思わず声を上げそうになったけれど、それを堪えつつ内心で激しく首を振った。

(違う。違うでしょう、兄さんっ! ここはあえて二人っきりになるための仕掛けなんだよ……っ!)
 焦れる想いにそう叫びながら、私はぐっと声を堪えて息を吸う。
 お化け屋敷に時にもそうだったけれど、この遊園地には、色々と二人っきりになるための方法が用意してあるようなのだ。正直、お化け屋敷の時は、呪い殺してあげようかとも思ったけれど、もし佐奈の思惑通りに事態が進むのなら、許してあげなくもない。だから……

(お願い。うまくいって……)
 そんな私の胸中の祈りに気付いたのかどうかはわからないけれど、速水先輩が佐奈の隣に進み出て躊躇いがちに口を開いた。

「良。それなんだけどね、えーと、やっぱりグループ分けしなくちゃいけないんじゃないかなあ、と」
「だから、なんで? ひょっとして人数制限あるのか?」
「う、うん。まあね」
「え、そうなの?」
 やや引きつった笑顔で事情を説明する速水先輩に、兄さんだけじゃなくて霧子先輩も寝耳に水、といった表情で目を見開く。

「あれ? そうだっけ。パンフレットには確か……」
「このチケットは少人数専用なんです」
 焦った様子でパンフレットを確認しようとする霧子さんを遮って、佐奈が申し訳なさそうに(みえるように)、小さく頭を下げた。

「本当は大人数でも大丈夫だったんですけど……そっちのチケットはとれなくて」
「チケットに種類があるの?」
「はい」
 霧子さんの問いかけに、佐奈は真顔で頷きをかえす。

 勿論、嘘だった。
 十人以上なら制限はあるけれど、流石に、「二人までしか使えない」なんていう制約は、この塔にはない。

 だけど霧子さんに答える佐奈の表情はいつもの通り平然としていて、嘘をついているという引け目も動揺も微塵も浮かんではない。……我が友人ながら、ここまでポーカーフェースで嘘を突き通せるとは、恐ろしくもあり、でも頼もしくもあった。

「龍也。そうなの?」
「そ、そうみたいだね」
 霧子さんの視線に、ひくり、と速水先輩は僅かに口元がひきつらせつつも、首を縦に振る。佐奈とは正反対のあからさまに怪しい挙動。だけど、霧子さんがその不審に気付いて声を上げるより先に、佐奈と私は素早く目配せをかわすと、行動に出ていた。

「それで、グループ分けの提案なんですけれど、さっきとは違うように分かれたいんです」
「ということで、兄さんはこっちに」
「ということで、桐島先輩はこっちに」
 佐奈のその台詞に会わせながら、私は兄さんの手を、そして佐奈は……霧子さんの手をがっしりと握った。

「え?」
「私は桐島先輩とご一緒したいですから」
「さ、佐奈ちゃん?」
 佐奈の行動に戸惑いの声を上げる霧子さん。でも、そんな霧子さんの声を無視して、佐奈は更に大胆に腕に抱きついた。

「え、ちょ、ちょっと?」
「速水先輩も、こちらで。いいですよね?」
「う、まあ」
「いいですよね?」
「はい……」
 促す佐奈に、速水先輩は快く(?)頷いて、佐奈が張り付いているのと反対側の腕を取る。

「龍也? ちょっと、あんたまでどうしたのよ?」
「ご、ごめん、止むにやまれぬ事情が」
「事情って、何よ」
「うう、協力を頼んだツケというか、代償というか、取り立てというか」
「なによ、それ! って、いいから、ちょっと放しなさいよ! 事情があるならちゃんと聞くから!」
「では、そういうことで。綾と良先輩はお二人でお願いします」
 いきなり両腕を抱え込まれて抗議の声を上げる霧子先輩だったけど、当の佐奈は平然とした表情を崩さないまま、ぺこり、と私と兄さんに向かって頭を下げた。

「え、いや、え?」
 唐突な展開に戸惑いながらも、兄さんは佐奈たちを押しとどめようと一歩を踏み出しかける。その兄さんを、私はぐい、と手を引っ張って止めた。

「だから、兄さんはこっちなの」
「あ、綾?!」
 当惑する兄さんの声を無視して私は佐奈たちとは違う受付へと兄さんを引っ張っていく。……多分に強引だけど、でもここはあえて強引に押し切る。それが佐奈から提案された方法。だから、ここで兄さんに行って貰っては困るのだった。そんな私たちに佐奈はうっすらとした笑みを、速水先輩はそこはかとなく引きつった笑みを浮かべて手を振ってくれた。

「お二人は仲良く楽しんできて下さいね」
「良。ほ、ほどほどにね……?」
「こら、龍也! 何がほどほどなのよ?!」
「じゃあ、私たちも行きましょう。速水先輩、桐島先輩」
「うう、そうだね」
「だから、こら、放しなさいよ、あんたらー!」
「……速水先輩」
「ご、ごめんね、霧子……えい」
「きゃあ?!」
「き、霧子?!」
「はい、兄さんはこっちですよー」「
「綾、こら、ひっぱるな! って、いや、ちょっと待て! 今、魔法使わなかったか? 龍也?!」
「ごめん、良! あとで事情は説明するから!」
「いや、事情も何も、霧子、気絶してないか?! それ?!」
「大丈夫です。ちょっと体がしびれちゃってるだけで、意識はばっちりですから。では」
「あ、おい、ちょっと佐奈ちゃん?!」

 そして。
 兄さんと霧子さんの抗議の声を、見事に聞き流しながら私たちは(無理矢理に)二人を分断することに成功したのだった。

 /

「まあ、その……かなり無理矢理だったけれど。ごめんね?」
「ごめんね、ってお前らなあ」
 佐奈たちと分かれてから数分後、最寄りの受付に並びながら私は兄さんに「事情」を話しながら、小さく頭を下げる。そんな私に兄さんは呆れたようにため息をつきながらも「まあ良いか」と頷きを返してくれた。

「……まさか、佐奈ちゃんがそんなに霧子と一緒にいたかったとは」
「あ、あはは」
 私が兄さんに話した……というより佐奈から「これが筋書き」と教えられた「事情」。それは佐奈が先輩二人と親しくなりたいから協力して欲しい、というものだった。これまた唐突で強引きわまる話だったけれど、佐奈の話と行動が唐突で突飛なことはしばしばある。兄さんもそのことは重々承知しているので、深く疑うこともなくこの話を受け入れてくれたようだった。

 兄さんの鈍さと、佐奈の普段の性格が功を奏した、という所かもしれない。

「でも、龍也の態度は変じゃなかったか?」
「そ、そうかな? そんなことないと思うけど」
「……ま、いいか」
 暫し、疑問符を浮かべて首をひねっていた兄さんは、気を取り直したのか、ぽん、と私の頭に手を置いて笑ってくれた。

「せっかくのチケットなんだしな。俺たちは俺たちでちゃんと楽しもう。な」
「……うんっ」

 そうして、私はようやく兄さんとゆっくりと二人っきりになることが出来たのだった。

 /(速水龍也)

「めでたし、めでたし」
「何が目出度いのよ、何が!」
 僕がかけた「麻痺」の魔法。その効果が切れた後、霧子は声を荒げて僕たちをにらみつけた。

「……で、どういうことなのか説明はしてくれるんでしょうね?」
「いや、えーと。その、うん」
 ちなみにここは良たちが向かったのとは別の受付。その窓口で「人数制限があるのか」と確認した霧子に、受付の人が返したのは「10人までなら大丈夫です」との答え。当然、佐奈ちゃんと僕が嘘をついていたのはこの時点で発覚したわけで、その事が霧子の怒りに油を注いでいる。
 その怒りに思わず狼狽える僕を尻目に、佐奈ちゃんはいつものように感情の見えない顔で霧子を見つめて口を開いた。

「桐島先輩を拉致しました」
「その理由を聞いてるんだけど」
「私が霧子先輩に告白したかったからです」
「えっ?」
「嘘ね?」
「嘘です」
 流石に女の子からの告白には慣れているのか、佐奈ちゃんの言葉に動じる様子も魅せずに、霧子は彼女の嘘を指摘した。……途中で一人狼狽えてた僕はいったい何なんだろう。
 そんな僕の疑問はさておき、佐奈ちゃんは霧子の視線に心持ち姿勢を正して、そして小さく頭を下げる。

「強引な方法で、先輩にご迷惑をおかけしたのは謝ります。ごめんなさい。でも、私、今日は綾に良先輩と仲直りして欲しいんです」
「仲直り?」
「はい。最近、二人の中がちょっとぎこちないんです。……桐島先輩も気付いておられますよね?」
「うん、まあ、ね」
 佐奈ちゃんの言葉に、霧子は複雑な表情で頷いた。僕も霧子も、勿論、良と綾ちゃんの中がぎくしゃくしているのは気付いている。でも、気付いているからこそ二人を「二人っきり」なんていう危険な状況には置きたくなかったんだけど。

「だから、今日は綾と良先輩に一緒にいて欲しかったんです。なのに、今日は桐島先輩の良先輩の占有率が高すぎました」
「せ、占有率……?」
「接触率ともいいます。あるいは密着率でも可」
 いつも通りの淡々とした口調で、耳慣れない言葉を口にする佐奈ちゃんに霧子が戸惑いの表情を浮かべた。その頬が僅かに朱色にそまっているのは、まあ、「接触」だとか「密着」だとか言われたせいではないだろうか。

「桐島先輩も良先輩と一緒にいたいのは分ってます。でも、今日は綾に良先輩とちゃんと仲直りさせてあげたいんです。だから、お願いします。綾に二人っきりの時間をあげてください」
「……佐奈ちゃん」
 畳みかけるようにそういうと、佐奈ちゃんは霧子に向かってぺこり、とお辞儀する。本音を隠さない、本当に真正面からのお願いに、霧子は少し感心したように言葉を詰まらせた。そして僅かな沈黙を挟んで、小さく息を吐く。

「……わかった。ごめんね、気が回らなくて」
「ありがとうございます、先輩」
 佐奈ちゃんに小さく微笑む霧子は、その笑顔のまま、だけど微妙に引きつった声で僕の方にも声をかけた。

「あんたには、勿論後で話があるからね? 龍也」
「あ、あはは。ひょっとして怒ってる?」
「ふふふ。怒ってないって思う?」
「……思いません」
 ……やっぱり「麻痺」とかかけたのは怒ってるよなあ。

「まったく……でも、本当に二人っきりにして大丈夫かな……?」
「多分」
 不安げに零された霧子の呟き。それに頷きはしたものの、果たしてどうなるのか、本当の所、僕にもわからない。今日一日、綾ちゃんを見ていて、彼女の良への気持ちは、「妹」の領域を越えているって思えた。
 だから、いくら佐奈ちゃんとの約束があるからって、こういう遊園地みたいな場所で良と二人っきりにしちゃ駄目なのかもしれないけれど……今日一日、一生懸命、良の気を引こうと四苦八苦している彼女の姿を、脳裏に思い起こして。

「……少しぐらいは、ね」
 僕はため息混じりに肩をすくめて、誰にも聞こえないように、そっとそんな呟きを口にしたのだった。


/3.空に向かって(神崎良)

「つ、疲れた」
「もう、体力無いんだから。兄さんは」
「体力とかそういう問題なのか……?」
 綾にアクロバティックな飛行方法にさんざん引っ張られていたおかげで、塔の頂上へとたどり着いた時には俺はすっかり疲労困憊といった有様だった。体力もそうだけど、かなり魔力も削られてしまった気がする。

「翼を動かすのって、やっぱり魔力を使うんだな」
「そうみたいだけど、説明員さんは微量だって言ってたじゃない」
「そうだっけ」
「そうです。だから、兄さんに足りないのは体力と根性。あと妹への愛です」
「最後のはともかく前の二つは善処する」
「あー、ひどい」
 俺の台詞に不満げに頬をふくらませる綾に苦笑して、俺はとすん、と塔の頂上に腰を下ろした。塔の頂上部分は小さなテーブル程の大きさの円形になっていて、腰を下ろすとソファーみたいな感触がした。休憩するにはちょうど良い場所だった。

「というか、お前は大丈夫なのか? そもそもエアコースターじゃあんな有様だったのに」
「あのときは速度が怖かったんだもん。今はそんなに早く飛んでなかったでしょ?」
 上下は逆転してたけどな。口には出さずにそう呟いて、俺は自分の隣の「雲」をぽふぽふと叩く。

「とりあえず、お前も座ったら? ほら、ここ」
「……うんっ」
 俺の勧めに綾は嬉しそうに頷いて、空中で一回転してから綺麗に俺の隣に着地した。なんだか、本当に翼を自在に操れるようになっているらしい。そんな妹に感心しながら、俺はゆっくりと息を吐き、改めて眼下に広がる光景に見入った。

「大観覧車も凄かったけど、この眺めもすごいな」
「うん。凄いね」
 眼下に広がる現実離れした光景。雲の上から、大地を見下ろすという構図は大観覧車と変わらないけれど、ゴンドラという乗り物の中じゃなく、本当に翼で空を飛び、そして吹き付ける風を感じている分、「天国への塔」の方が、本当に空にいる感動が強かった。
 
「寒くないか?」
「あ、うん。大丈夫」
「そっか」
 風を感じる分、綾には寒いかもしれないと思ったのだけど、そうでもないらしい。日差しは暖かいせいもあるのかもしれない。
 綾の返事に頷くと、俺は少し離れた場所にはうっすらと朧気にかすむ蜃気楼のような影が見えることに気付いた。高さからしていくつかあるという「他の塔」なのかもしれない。だったら、影の周りを飛び交う白い影は羽を持って飛び回っている他のお客なんだろうか。それとも魔法によって描かれているただの幻に過ぎないのだろうか。
 どちらにしても、目の前に広がるのは天使達が飛び交う天上の風景にみえて、確かに「天国への塔」の名前に相応しいのかも知れないと思えた。

 ……本当はみんなと一緒に見たかった気もするけれど。
 でも、佐奈ちゃんの希望もあることだし、なにより綾との関係修復、というのは今日の一番の課題だったから、これはこれでいいのかもしれない。

「ね、兄さん」
「うん?」
「手……、握って言い?」
「ん? 魔力足りないのか?」
「もう……、そうじゃなくて」
「そうじゃなくて?」
「だから、その」
 俺の問いかけに、綾はなんだか言いづらそうに言葉を濁す。さっきは大丈夫だと言ったけど、やっぱり寒いのだろうか。
 それとも……別の理由があるのだろうか。思えば、今日はやけにスキンシップを求めてきてたような気もする。それは……綾なりの仲直りのつもりなのかもしれない。

「まあ、いいけど」
「ホント?!」
「本当だよ。ほら」
「あ……」
 だから、俺は綾の言葉に応えて、手を差し出し、その手を握った。
 握った手。そして、俺の顔の間で何度か視線を往復させた綾は、少し照れくさそうに微笑んで。

「え、えへへ。ちょっと照れるかも」
「……」
 そのはにかんだ笑顔に、俺はほんの一瞬、目を奪われて。

『好きな人、居ますか?』

 そして、そんな佐奈ちゃんに投げかけられた問いが、何故か頭の中で再生された。

「……」
「兄さん? どうかした?」
「え?」
「……何、考えてた?」
「あ、いや、景色が綺麗だなーと」
「うそ」
 誤魔化す俺の言葉をあっさりと否定して、綾が俺の顔をのぞき込む。

「兄さんの考えてることぐらいわかるんだから」
「ほう」
「私に見惚れてたんでしょ」
「いや、それはない」
「即答しないでよ!」
 まあ、正直、見惚れていた部分もあるけれど。兄としてそれはどうかと思うので黙っておこう。

「兄さんには妹への優しさが足りないと思います」
「そうかなあ」
「もう少し私のことを考えなさい」
「何故に命令形なんだお前は」
 綾の台詞に肩をすくめて苦笑したものの、実際の所、最近は綾のことをしょっちゅう考えてはいるような気がする。今さっきだって、佐奈ちゃんの言葉と同時に頭をよぎったのは、綾のこと。

 綾は、好きな人、いるのかな。

 頭に浮かんだのは、そんな疑問で、そして感じたのは、ちくり、と胸を刺す痛みだった。
 痛みなんて感じた、なんて霧子や龍也に言えば、また「重度のシスコン」の烙印を押されるんだろうな、って分っていたけど。でも、痛みを感じた理由は多分、「シスコン」ってだけじゃない。

「……あ、あのね?」
「うん?」
 なんとなくお互い言葉を形に出来ないまま、ただ雲の上から大地を見下ろしていた時間。躊躇いがちな言葉で、その沈黙を破ったのは綾が先だった。

「こうしてると、なんだか……その、えーと」
「?」
「こ、恋人みたいだよねっ」
「こ、恋人?!」
「あ、だ、だから、その他の人から見たらそう見えるんじゃないかな、って」
「あー、なるほど……」
 実のところ、俺と綾は一目で兄妹と分かるほどはっきりとは似ていないらしい。レンさん曰く、面白いほどに俺は父親に似ていて、綾は母親に似ている、ということだった。まあ、髪質については俺は母親に似ていて、綾は父親に似ているらしいんだけど。
 だから、まあ、こういう場所で、こんな風に手をつないでいれば端から見ればそう見えるかもしれない、と俺は納得して頷いた。

「まあ、そうかな」
「ホントに?!」
「うお?!」
 あまり深く考えずに頷いて俺に、対する綾は何故か勢い込んだ様子で身を乗り出す。

「ホントに? ホントにそう思う?!」
「だ、だから、他人から見ての話、だよな?」
「そうだけど、そうだけど、そう思うんだよね?!」
「えーと、まあ、うん」
「そっか……そうなんだ。兄さんもそう思うんだ。え、えへへ」
 何がそんなに嬉しいのか。綾は心底嬉しそうにはにかむと、俺の手を握る力を少し強めた。
 笑ったり、怒ったり、また笑ったり。そんなコロコロと変わる綾の感情に、俺は胸に抱えていた疑問を形にしようと決めて、口を開く。

「なあ、綾」
「何?」
「最近、何に悩んでる?」
「え……?」
 今日だけじゃないくて、生徒会入りからの綾の行動とそれに加えての情緒不安定っぷりは流石に何か原因があるはずだった。
 今みたいに嬉しそうにはしゃいだり、かと思えば、いきなり怒り出したり。今までだって多少はそういう傾向はあったけれど、最近はその浮き沈みの度合いが激しいような気がして成らない。
 レンさんや、霧子や龍也はなんとなく俺が深入りしないほうがいいような素振りを見せるけれど……やっぱり、放ってなんかおけない。結局の所、今日の目的はその問題を解決したいからなのだから。

「べ、別に悩みなんか無いよ」
 そんな俺の問いかけに、綾は露骨に困惑を浮かべて、素早く俺から目をそらす。

「嘘だ。お前の考えることぐらい……半分ぐらいは分かるんだぞ」
「嘘。半分もわかってません」
 俺の言葉にむっとした表情で振り向くと、綾は小さく舌を出しながら責めるような視線で俺を睨んだ。

「兄さんは鈍感すぎるし、繊細さがありません。だから、1割ぐらい」
「い、一割か」
 中々に厳しい評価に、軽くショックを受ける俺だった。けど、綾はそんな俺に小さく苦笑すると、視線を大地に落としながら、小さく呟くように言葉を零す。

「でも……うん。悩んでるのは、本当、かな」
 そう言って、綾は俺の手を握ったまま、言葉を切った。

「……」
「……」
 そのまま言葉が続かない。何かを言おうとして、躊躇っている。そんな雰囲気は伝わってくるけれど。果たして綾は何に迷って、躊躇っているのか。

「好きな奴ができた、とか?」
「……え?!」
 こんな話題を綾に振る事なんて滅多にないからか、綾は目に見えて狼狽えて顔を赤く染めていく。

「ど、どうして? どうしてそう思うの……?!」
「いや、なんとなく」
 さっきから頭に浮かんでいた疑問だったし、観覧車での佐奈ちゃんの態度に誘発されたのかも知れない。

「なんとなくって……じゃあ、相手が誰とかわかってないの?」
「全く」
「そ、そうなんだ……」
 俺の返事に安堵したような、落胆したような。微妙な表情で綾は息をつく。でも「好きな奴ができた」という言葉自体は、否定しなかった。

(……そっか。好きな奴、できたんだな。綾)
 その想いに、安堵と痛みが胸の中で渦巻いていく。

「誰が好きなんだ?」
「……訊きたい?」
「いや、言いたくないならいいけど」
「聞きたくないんだ?」
「聞きたいような、聞きたくないような」
「もう、はっきりしてよぅ」
「痛てて」
 煮え切らない返事を繰り返す俺の耳を引っ張ると、綾は短く息をついてから、言った。

「兄さんは……平気?」
「え?」
「私が誰かを好きになっても平気なの?」
「そりゃまあ、寂しくないって言えば嘘になるけれどな」
 そう。寂しくないって言ったら嘘になって。胸が痛まないって言っても嘘になるけど。でも、それ以上に。

「でも、まさか妹の恋愛を止めるわけにはいかないだろ? 兄として」
「……そう」
 それが普通。
 シスコンとか、ブラコンとか揶揄されるぐらいに一緒にいた俺たちだけど……でも、俺たちは兄妹だから。でも、いつかはお互い、それぞれの相手を見つけて、それぞれの道を歩かないといけないから。
 その俺の言葉に、綾は視線を背けたまま、小さく笑った……気がした。

「……そっか。でも、寂しがっては、くれるんだ」
「そんなに寂しくもないけどな」
「強がらない強がらない」
「強がってません」
「ふふーん」
 俺から目をそらしたまま、俺の返事に含み笑いで答えると、綾は俺から手を放してゆっくりと立ち上がる。そして、ばさり、と背中の羽を羽ばたかせて、綾が雲の舞台から舞い上がった。

 僅かに沈み始めた太陽。その陽を背中に、羽ばたくその姿は……お世辞じゃなくて、本当に天使のように見えた。

「……いるよ」
「え?」
「いるよ。好きな人」
「へ、へえ」 
 一瞬、本当にその姿に見惚れていた俺に投げかけられたのは覚悟した通りの綾の言葉。だから、俺も慌てる事無く言葉を返せる……はずだったのだけど、でも、答えた声は、何故かうわずった。

「俺の知ってる奴か?」
「……うん」
「そ、そうか」
 綾の態度に、胸が軋むように痛む。……ひょっとして、これは焼きもちという奴だろうか。

「驚いた?」
「いや、別に?」
「声、うわずってるよ?」
「うわずってない」
 いや、まあ、自分でもうわずってるのはわかるけど。なんか、こう……あれだ。上手く言葉が纏まらないほど、狼狽えているのがわかる。

 ……落ち着け、俺。こんなんだから、レンさんや霧子や龍也に「シスコン」といじられる羽目になるんだ。

「妬いてる?」
「妬いてない」
「妬いてるんだ」
「うるさいな」
「えへへ」
 狼狽える俺を尻目に、綾はなんだか、嬉しそうに頬をそめて口元をほころばせている。

「……」
 その笑顔に、また胸が軋んで、でもそれ以上に少し心が落ち着いた。
 綾が誰かを好きになって、そして笑えていることが……、素直に嬉しかったから。

 今の綾は好きな人が出来ても、その人と魔力を分け合えない。会長さんを例に上げるのは極端だけど、好きな人と魔力を分かち合いたいというのは、魔法使いとして当たり前の感情だ。だから、綾が誰かを好きになって、そして互いに魔力を分け合えないのは、その二人ともに少し辛いことのはずだった。

 『生きていくために必要な人と、好きになった人。その二つが重ならないことがあるのが、魔法使いの難点だね。魔法使いの憂鬱と、そう呼ぶ人もいる』ってレンさんが昔、一度だけ言ったこともある。それは、それこそ、綾のような魔法使いに当てはまる台詞。
 だから、そんな痛みを味わいたくなくて、そんな憂鬱に身を浸したくなくて、綾が誰かを好きになることにブレーキを掛けてしまっているのだとしたら……。そう思うことが辛かったけど。

 でも、綾は今、ちゃんと、誰かを好きになれているみたいだから。
 俺としか魔力を交換できないって言う枷が、綾の誰かを好きになる感情に枷を嵌めていなかったって事に、安堵する。

 正直、寂しいけれど、でも、綾がちゃんと他の誰かを好きになれていることが、なにより嬉しかった。

「相手が誰なのか聞いて良いか?」
「……どうしよっかな」
 逆光に翳って、その表情はよくみえない。だけど、悪戯っぽいその声には、迷いが滲んでいる気がした。

「聞きたい?」
「できれば、うん。聞きたい」
「どうして?」
「どうしてって」
 気になるから、というのが一番の理由だけど。綾が、他の誰かを好きになったのなら、ちゃんと応援してやりたいって思ってるから。例えば、相手が本当に龍也だとしてら、色々と協力してやれることはある。

「俺の知ってる奴なら、えーと、あれだ、色々と協力できるかも知れないだろ」
「……ふーん」
 そんな想いで返した言葉に、何故か少し、綾の声が尖った気がする。ひょっとして、そんなに難しい奴が相手なのだろうか。

「綾?」
「本当に……兄さんの知っている人だったら協力してくれる?」
「ああ、するよ」
「絶対?」
「絶対」
「嘘付いたら、何でも言うこと聞く?」
「お前な」
 からかっているのか、怒っているのか、判然としない綾の声。そんな妹の真意は測りかねたけど、俺は逆光の中の綾の瞳を見つめて、頷いて見せた。

「いいよ。嘘付いたら何でも言うこと聞いてやるよ」
「本当?」
「本当」
「絶対?」
「絶対」
 さっきと同じやり取り。だけど、綾の声からは少しだけ迷いが消えたような……そんな気がした。

「……あ、あのね」 
 胸の前で手を組み合わせる綾の姿は、まるで、祈るような者に見えて。
 僅かに朱に染まり始めた空を背中に、決意を込めて開かれたその目が……仄かに赤く色づいていた。

 ―――って、赤い、瞳?!

「綾?!」
 赤い瞳。それが意味する事柄に気付いて、俺が声を上げたのは、でも、遅すぎて。

「私が、好きなのはね―――」
 俺の呼びかけに気付いていないのか、祈りの姿勢のままに、そう呟いた綾は、そのままの姿勢で俺の視界から消えた。

4.空から大地へ(神崎良)

「綾!?」
 変化はあまりに唐突だった。でも、原因には即座に思い至る。

 綾の翼が、羽ばたいていない。

「綾!」
 慌てて雲の台座から飛び降りて、落ちていく綾に必死で手を伸ばす。だけど、その手は空を切り、届かない。

「おい! 綾! しっかりしろ!」
「……、……」
 叫ぶ俺の声に、しかし、綾からの返事はない。綾が意識を失っていることは明らかで、俺は「兆候」に気付けなかった自分に歯がみした。
 さっき綾が見せた赤い目。それは綾の場合体内魔力の欠乏を示す兆候だ。

「くそっ……!」
 お化け屋敷で綾が派手に魔法を使った。そのことはちゃんと龍也から聞いていたのに。それに今だって必要以上に派手に飛んで見せて、魔力を使っていたことだってわかっていたはずなのに。
 もっと早く気付けなかった迂闊さに舌打ちしながら、俺は必死で背中の羽に「羽ばたけ」と命令を送る。
 だけど、もともと、この羽は「緩やかに」移動することを目的に作られたもの。急速な上昇や、急降下は「出来ない」ようにしてあるのか、いくら急いで飛ぼうとしても一向に速度があがらない。なのに―――。

 なのに、綾との距離が開いているのは、どういうことなのか。

「なんで?!」
 視界に映るのは、どんどんと遠ざかる綾の姿。緩慢にしか動けない俺を置き去りにするように、落ちていく綾との距離は少しずつ開いていく。
 俺が一定の速度しか出せないのに、距離が開く。それは、綾の落下速度が上がっていっている、ということで。つまり、綾が加速してしまっているということ。そのことに気付いて、俺の頭から一気に血の気が引いていく。

 つまり、綾の「羽」の落下防止の機能が働いていない……?!

「誰か! 妹が落ちてる! 助けてくれっ!」
 他に客の姿がないことは分かっている。でも、ひょっとしたら、見えない位置に監視員でもいるのかもしれない。それを期待して叫ぶ俺の悲鳴に、でも、答える声はない。

「くそ、なんでだ!」 
 焦りにうわずった声が口をつく。そんな情けない声に思考が混乱しかけていることに気付いて、俺は咄嗟に平手で自分の頬を張り飛ばした。

「―――っ!」
 痛みを気合いに変えて意識を整える。何をすべきなのか。いらだつ暇があれば、今はそれを考えないと、駄目だから。

 風の魔法で俺の落下速度を上げる? でも、下手に大きな風を起こせば、ますます綾の落下を早めてしまうかも知れない。なら「上向き」の風を起こして、綾の落下を弱めれば、それでいいのか? そう考えた刹那、説明員さんの言葉が脳裏をよぎる。

『基本的にこの羽は、外からの魔法をキャンセルします』。確か、説明員さんはそういっていた。でも、キャンセルするって、何を、どこまでだ? そこを見誤れば、最悪、俺の落下速度を下げて、綾の落下速度は変わらないなんて事にもなりかねない。

(落ち着け、落ち着け……っ! そもそも、遊園地の仕掛けはどうなってる?!)
 ここはあくまで遊園地だ。なら、不測の事態に対する対処はいくらでも用意されているはず。アトラクションの説明書きにも安全面には万全の配慮を、とは書いてあった。だから、俺が下手に何かするより、その安全策に任せた方がよいのかもしれない。

(だけどっ)
 だけど、万が一、それらの対処方法が間に合わなかったら? そう、全てが「想定」を越えてしまっているとしたら?
 このアトラクションで見せられている「高さ」は魔法による仮初めの者だとは知っている。だけど、魔法によって書き換えられた法則はあくまで現実を置き換えるもの。つまり……この高さは、少なくとも俺たちにとっては「本物」なんだ。

 だから、全てが最悪に転んだ場合、俺がこうして躊躇っている所為で、綾は―――。

「っ!」
 そのことに気付いたとき、俺は「羽」に手を掛けた。元凶は、この羽だ。少なくともコレがなければ、綾に追いつけるし、自分にかける魔法が無効化されることもない。
 だけど……。

「この……、外れろ!」 
 外れない。それは当たり前だろう。飛行中に、客が外してしまうなんて、それこそ予測してしかるべき事態。なら、簡単に外れなくなっているというのも頷ける。だけど、その事に感心している余裕なんて、ない。

「くそ……っ、綾!」
 呼び掛けに答えることなく綾が墜ちていく。相変わらず何かの救助装置が働いている様子もなく、俺との距離は開く一方だ。それでも羽の基本的な魔法は働いているのか、落下速度はまだ穏やかに見えるけれど、それも時間の問題だろう。徐々に、綾が落ちる速度が上がっているのが離れていても分るほどになってきている。
 あとどのぐらいの猶予が残されているのか、わからない。だから、俺は焦れる気持ちを抑えつけて、緩慢にしか羽ばたかない背中の羽を肩越しに掴んだ。手のひらに、さらりとした羽毛の感触。その感触を握りつぶすように力を込めながら、俺はそこにあるはずの魔力の流れを必死でイメージする。

「外れろ」
 羽を巡っているであろう魔法の力。俺の背中に、本物として癒着された「偽物の羽」。偽物を本物として、作り物を生き物として書き換えている規則。魔法によってこの世界に実現されているそのルールに、「消えろ」と叫んで、俺は両手に力を込めた。
 俺の中にある俺じゃない力の流れ。渦巻くような流れるような、そんな異質を必死にイメージしながら、それを絶ち折る想像を重ねていく。

「外れろ……外れろっ、て……!」
 果たしてどのぐらい、そんな不毛とも思える行為に時間を費やしたのか。最早、10mぐらいは綾との距離が開いて、絶望感が胸の底に沸いてきた、その瞬間。

「外れろって、言ってるだろ! この!」
 そんな俺の叫びに重なるように、「バキリ」と何かが折れる音がして。刹那、視界が縦に流れた。

「っ!」
 ―――外れた。
 それに気付いた瞬間、俺を襲うのは強烈な浮遊感と、そして全身を襲う風の圧力。今まで「羽」が護ってくれていたモノたちが一斉に俺を襲うなか、思わず閉じてしまいそうになった瞳を必死でこじ開けて。

「綾! 手のばせ!」
 俺はぐんぐんと近づく綾に、必死で手を差し伸べていた。
 相変わらず、呼ぶ声に反応はない。だから、綾から俺を掴むことはなくて……俺が掴み損ねたら、おしまいになる。その最悪の事態に青ざめながら、俺は必死で綾に手を伸ばし―――、その「羽」を、つかみ取る。

「……っ」
「よし!」
 ほとんど「羽」にぶつかるような形だったから、その衝撃で綾が苦しげな声を上げた。だけど、正直、気にしている余裕はない。綾の体を掴むことには成功したけれど、相変わらず高度はぐんぐんと下がり続けている。
 ただでさえまともに機能していない綾の「羽」なのに、重量が二人分になったのだから、それは当たり前だろう。だから、ここで安堵の息をついている暇はない。

 頭に思い浮かべるのは風の魔法。レンさんの授業でならった時には、掌の上に竜巻を起こすためものだったけれど、きちんと応用すれば、落下を防ぐ壁にもできるはず……っ!

 でも、できるのか?

 一瞬、頭をよぎった不安。そんな余計な感情を頭を振って追い出して、俺は意識を魔法に集中させていく。あの時は、散々、レンさんにだめ出しされたけれど……あれから、ずっと練習はしてたんだ。なのにこんな時に成功しないのなら、魔法使いでいる資格なんてないし、迷っている余裕なんか、ない。

 ―――だから、やるんだ!

 目の前に迫る雲と、そこから覗く地面。それを目に映しながら、俺は綾を抱きしめて、魔法の言葉を口にした。

 /(神崎綾)

 落ちていく意識の中、

「―――綾っ!」

 そんな叫びと一緒に、あの時と同じ温もりが私の手を掴んでくれる。そんな夢を見ていて気がする。


「あ、れ……?」
「綾! 気付いたか?!」
「にい、さん?」
 目を開くと、そこには泣きそうな表情で私をのぞき込む兄さんの顔が目の前にあった。

「え? 私……?」
 あまりにも近い兄さんの顔に、一瞬、また意識が飛びかけたけれど、でも感じる違和感に私は慌てて周囲を見渡した。視界に映ったのは、雲で出来た幻想的な天の世界……ではなくて、そこはかとなく薬品臭の漂う如何にも「医務室」と言った様相の部屋。そして私は、そこのベッドに寝かしつけられているようだった。

「ここ、どこ?」
「医務室だよ。気持ち悪いとか、痛いところとか無いか?」
「あ、うん。大丈夫……」
 ちょっと頭がぼう、としているけれど、取り立てて痛いところはないし、気分が悪いって言うこともない。それより、どうして私は医務室になんかいるのか。どこかふわふわした思考で、それを考えていると兄さんが、心配そうに私の手を握りながら事情を説明してくれた。

 要するに私が魔力欠乏を起こしたせいで、本来「羽」に供給されるべき魔力が不足してしまった、ということらしい。羽自体は、当然そんな事態を想定して作られていたのだけれど、何故か今回に限っては、そんな異常事態に対する対策がほとんど発動しなかったらしい。原因は現在調査中らしいけれど……。

「責任者の人が飛んできて、ものすごく謝ってくれたよ。多分、後でもう一回謝りに来るんじゃないのかな」
「そ、そうなんだ……」
 なんだか思ったより大変な事態になっているのかもしれない。

「あ、でも、じゃあ、どうして私、助かったの?」
「ああ、それはやっぱりちゃんと対策がしてあったんだよ」
 兄さんの話によれば、「空を飛ぶ」なんていうアトラクションなんだから、不測の事態への備えは「羽」以外にも当然、施してあったらしい。途中の「雲」には落下速度を軽減する魔法が仕込まれていたらしいし、地面はスポンジの様に柔らかくしてあったらしい。係員さん曰く「猛スピードで追突しても怪我だけはしないようにしてあるのですけれど……」との事らしい。
 その説明に、私は自分が無事だった理由に納得して、少し息をついた。

「そっか……だから無事だったんだね、私」
「そういうこと。まあ、俺の方はほとんど空騒ぎだったんだよな」
「え?」
 私の呟きに、小さく苦笑いした兄さん。でも、その台詞に、私は心臓が止まるような、そんな刺激を受けていた。

 思い出すのは、目が覚める直前に感じていた、誰かに手を掴んでもらったような感覚。つまり、あれは夢じゃなかった、ということなんだろうか。

「兄さん、私のこと、助けてくれたの?」
「いや、まあ、一応。助けようとはしたんだけどな」
 私の問いかけに、兄さんはぽんぽん、と私の頭をなでつけて、はぐらかすように笑う。だから、この時は兄さんがどんな行動をとってくれたのか分らなかったけれど……それでも、分ったことが一つだけあった。
 助けようとした、なんて控えめな台詞で誤魔化してるけれど。きっと、この人はまた命がけで、私の命を助けてくれたんだって。

 私の名前を叫びながら、この手をちゃんと握ってくれたんだって。それが、わかってしまった。

「また……兄さんが助けてくれたんだね」
「あのな。だから、助けるような事態じゃなかったんだっての。あのままほっといても大丈夫だったんだから」
「そんなことないよ」
 なんとなく気まずげにそういう兄さんの言葉を遮って、私は溢れる感情に目を細めながら、笑った。

「ありがとう」
「……ん。どういたしまして」
 素直な私のお礼に、兄さんはちょっと気恥ずかしげに頬を掻きながら頷いた。そんな兄さんの態度に、私は頬がゆるむのを自覚しながら、ぎゅ、とつながれたままの兄さんの手を強く握る。

「綾?」
「ね、兄さん」
「うん?」
「ごめんね」
「ん? いや、だから、気にしなくていいんだ。綾のせいじゃないんだから」
「そうじゃないの。この間からずっと謝りたかったんだ。いろいろ我が儘言ったり、魔力吸っちゃったり……ごめんね?」
「ああ……うん。そっちも、まあ、今後、気をつけること」
「うん」
 この間から、ずっと胸につかえていたのに素直に言えなかったこと。それを素直に吐露して、私はまた兄さんの手を握った。

「ごめんね」
「もういいよ」
「うん」
 私の三回目の「ごめん」に、兄さんはそう言ってくれた。でも、今の「ごめん」の意味をきっと兄さんは分ってないと思う。だって、一度目と二度目の「ごめん」は、この間のことだったけれど、でも、今の「ごめん」は……これからのことに関してだから。

「ね、兄さん、もう少し、魔力貰って良い?」
「え、ああ、いいけど。大丈夫か? ちゃんと集中できそうか?」
「うん。多分」
 ……嘘だけど。
 集中はするけれど、意識の安定なんか出来ないと思う。だって、ほら、こんなに心臓がばくばくなって、汗が滲んできちゃってるから。きっと手の方も震えてきちゃうから、それに気付かれないように私は、名残惜しいけど兄さんの手を放して、そっと身を起こした。

「……あんまり無理するなよ?」
「うん。ごめんね」
 四回目の「ごめん」。それはちょっと卑怯な手段に出ようとしている自分への言い訳も込めてかもしれない。……だって、私はこれから兄さんの不安と、善意につけ込もうとしてるんから。

「じゃあ、ほら」
「うん。いく、ね」
 兄さんは私が首筋に唇を当てやすいように、少し首を傾けて私の体を受け入れる姿勢をとった。そう、いつもならここで私が兄さんの首筋に口づけするだけで……それ以上は、決してしなかったんだけど。

 でも……ごめんなさい。
 私は、声に出さずに謝ってから、兄さんの首筋じゃなくて、頬にそっと手を伸ばしていた。

「え?」
「……」
 卑怯だって、思う。ずるいって、わかってる。でも……もう、抑えが効かないって事も、わかってた。
 『あの時』、兄さんに助けてもらってから、ずっと抱えていた想い。それからずっと兄さんに支えて貰いながら、ずっと育てていた想い。それが、今日、また助けてなんて貰ったから、もう、どうしようもないぐらい、その想いが溢れてるから。

 だから、私は戸惑う兄さんの声を置き去りにして、そっと、求めて続けていた人の唇に、口づけた。

「……」
「……っ?!」
 唇が触れあっていた時間は、でも、ほんの刹那。だから、ゆっくりとした動作で顔を放す私に、兄さんはおもしろいぐらいに狼狽しながら目を白黒させていた。

「あ、綾?!」」
「えへへ……間違えちゃった」
「ま、間違えたって、お前……?!」
 間違えたなんて、嘘だけど。でも、今は嘘と言うことにしておこう。
 今はちょっとズルをしちゃったキスだから。だから、次はちゃんと気持ちを伝えて……嘘じゃないキスをするんだ。

 だから、今のキスは……予行演習、というか、ちょっとした宣戦布告。
 これから多分、兄さんを目一杯困らせることになるけれど、絶対に諦めたりしないっていう兄さんと、そして私自身への意思表示。

 それはとんでもなく自分勝手だって分かってるけれど。それでも……この想いは、多分、私の命より大切だって、そう、信じてるから。

 そんな想いを胸に刻んで、私はいまだ硬直している兄さんに寄りかかって、今度こそ魔力を交換するための口づけを、その首筋へとしたのだった。

続く

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