/************************************************/ 

  魔法使いたちの憂鬱

       幕間 その原因は。

/************************************************/

「んー。やっぱりこちらの羽には異常は見られないねぇ……」
 白衣に身を包んだ恰幅の良い男が、符号化処理された書類に手を当てながら首をひねる。所々に白いが混じったぼさぼさの頭髪をかきむしるその男の名前は、紅坂カウル(こうさか・かうる)。「中年太りのうだつの上がらない研究員」といった風貌の彼であるが、歴とした「紅坂の魔法使い」の一人であり、私設紅坂魔法研究所の主幹研究員の地位を与えられている。遊園地「天国への門」建造時には技術顧問として招かれ、様々なアトラクションの建造に携わってもいた。かの遊園地に空間を操る魔法が多く盛り込まれているのは多分に彼の協力と、趣味によるところが多いのだった。
 その天国への門で、落下事故が発生した。その報を受けたカウルは、休日を返上して「天国への門」にある研究室へとはせ参じている。人身事故には至らなかったものの「天国への塔」で用いられる「羽」の機能低下および破損が報告されており、技術顧問として彼は原因究明を厳命されたのだ。当然のことながら、責任も問われている。しかし、そんな事態にも関わらず彼の顔には、事故を防げなかった自責の念ではなく、事故原因に対する好奇が滲んでいた。そんな彼は、手にした書類を指でなぞりながら「うーん」ともう一度首をひねると、自分の後ろの席で作業中の助手に声をかけた。

「ねえ、これ、ちゃんと解析班が回してくれたデータだよね?」
「はい。第二班が総出で解析してくれたものです。時空解析まで行う時間はなかったとの事ですが、一部の時系列解析だけは終わっているようです」
「ん? ああ、そうか現物は警察に提出しないといけないのか。大変だなあ、そっちの対応は支配人が?」
「ええ、今日の所は。明日あたりに主幹にも呼び出しがかかると思いますよ」
「うへえ。お役人は苦手なんだけどなあ」
 まだ学生然とした若い助手の言葉に呻いて肩をすくめてから、カウルは改めて手にした書類から情報を読み取る。
 
「やっぱり、羽に異常はないよねぇ。まあ、時空解析見ないで結論を出すのも早計だけど、でも、こうなると、えーと……神崎、綾さんか。こちらのお嬢さんの体調が問題だった気がするなあ。極端な魔力欠乏が起きていたのかな?」
「ええ、その通りです。病院の方から、妹さんの方は魔力欠乏を起していた、という結果が回ってきています」
 カウルの零した仮説に、「流石ですね」と答えながら、助手が別の書類を上司に手渡した。その受け取った書類に素早く「復号化」の魔法を展開して中の情報を読み取ると、カウルはまたも不可解そうに眉をしかめて首をひねる。

「んー? この娘さん、入院はされてないの?」
「はい、そう聞いています。検査結果には目立った異常はなかったそうですし」
「でも、「羽」が機能できないレベルの欠乏でしょう? それでよく入院しなくて済んだなあ。ちゃんと検査はしたんだよね?」
「そりゃしてますよ。紅坂資本の病院ですから手抜かりはないでしょう」
「まあ、ウチの病院で手抜きなんかないと思いたいけどね」
 冗談めかして肩をすくめてから、カウルは、読み取った情報を頭の中で整理、構築していく。

「んー。確かに、目立って悪い数値は見られないねぇ。ん、いや、そうでもないのか……この娘さん、魔力交換不全症なの?」
「はい。精神的なものらしいですが」
「へえ、精神的なものね。それはお気の毒だね」
「精神起因のものの方が治療が難しいんでしたっけ?」
「ん? そうとは限らないよ。体の傷は癒えても、心の傷は癒えない、なんてことはないし」
「はあ」
「ま、心の傷だろうと体の傷だろうと、治る傷は治るし、治らない傷はどうやっても治らないんだけどね」
「そのお嬢さんの症状は、そんなに悪いんですか? その、治らないぐらい」
「んー。いや、ただの一般論だよ。この検査結果からじゃ何とも言えないねぇ。僕は専門家じゃないから」
 不安げな表情を浮かべる助手に、カウルは「へらへら」、と形容したくなる軽薄な笑みで答えると、再びデータの検分に入る。

「でも交換不全症なのに、欠乏起こして即日退院? 普通、入院でしょう……って、うわ、何、この娘の魔力変換効率の数値」
「凄いでしょう?」
 呆れたような声を零す主幹技師に、わずかに声を弾ませて助手が頷いた。

「僕も驚きましたよ。変換効率の数値だけ見れば、セリアお嬢様すら上回る数値ですから」
「へえ、セリアちゃん以上か。それは凄い。魔力交換不全症候群さえ治癒できれば、中央入りだって夢じゃないね」
 中央―――国立中央魔法研究機関。この国における最高峰の魔法研究機関の名前を挙げて、カウルはまだ見ぬ少女を賞賛する。

「なるほどねぇ。この変換効率の数値なら、体内魔力がほとんど残っていなくても活動できていただろうし、入院しないで済んだのも納得がいくね。うーん、凄いなあ。このお嬢さん、ウチに就職してくれないかなあ」
「そのためにもきっちり原因究明してお詫びに行きましょう。っていうか、主幹。才能で勧誘するなら、その、セリアお嬢様が先じゃないんですか……?」
 脳裏に一度だけ目にした容姿端麗な紅坂家令嬢の姿を思い浮かべながら、ややうわずった声で助手が上司に問い掛ける。が、そんな助手の期待のこもった言葉を、カウルはいともあっさりと手を振りながら拒絶した。

「ああ、セリアちゃんは駄目だよ」
「な、なんでです?!」
「んー。だって、厳しいんだもん。実験材料に、と思って髪の毛引っこ抜こうとしたら、半殺しにされたしね、僕。ああ、半殺しって比喩じゃないよ? 本気で危篤状態にまでなったんだから。鈴ちゃんが止めてくれなかったら、世界樹に召されていたかもしれないねえ」
「は、はあ」
 果たしてどこまでが本当で、どこからが冗談なのか。飄々としたカウルの口ぶりからは判断が付きかねて、助手の口からは曖昧な声で返事を濁した。

「おっと話がそれたね。まあ、今回はこちらのお嬢さんの体質と体調が原因と見て良いんだろうね。一応、『飛行』『浮遊』は出来なくても『減速』機構だけは働いていた記録はあるようだし」
「では、妹さんの方は「事故」ではないという結論ですか」
「いや、事故は事故だね。アトラクションの説明が不足していたんだろうし、それに魔力量のチェックを厳密にしておけば防げた事態だ。こちらの手落ちだし、責任は免れない」
「……主幹」
 ほんの少し口調を改めて、そしてあっさりと事故の責任を認めるカウルに、助手は一瞬、言葉を失った。しかし、真摯さをまとった態度は瞬く間に溶けて消え、再び軽い笑みを口元に浮かべてカウルは助手に笑いかける。

「ま、責任の取り方は後々考えるとして……じゃあ、もう一件の方の記録をくれるかな」
「あ、はい。こちらです」
「ありがとう。あ、そうそう、このお兄さんだよね? 妹さんのために羽をむしり取って助けに飛び降りたのは」
「ええ。そう聞いています」
「いいなあ。そういう行動力のある若者って好きだなあ」
 助手の返事に、カウルは嬉々とした表情を浮かべて、一人何度も首を縦に振った。

「いやあ、妹のために飛び降りるなんて中々できないよねぇ」
「主幹だって、セリアお嬢様を助けるためなら出来るんじゃないですか?」
「どうだろうねえ。セリアちゃんを僕が助ける事態なんて想像しにくいし、そもそも僕が助けに行ったら逆に叩き落とされそうな気もするなあ」
「一体、普段、お嬢様に何をしてるんですか? 主幹」
「変なことはしてないと思うんだけどなあ。でもセリアちゃんに言わせると「変なことしかしない」らしいけど」
「……主幹。いくら兄妹でもセクハラは犯罪ですからね?」
「ああ、それは大丈夫。僕は妹相手に性的関心は沸かない性質みたいだからね」
 だから大丈夫、と何が大丈夫なのか判然としない言葉を口にしながら、カウルはもう一つの「羽」の資料を手に取った。

「ん……あれ、こっちの羽は壊れてるのか。って、なにこれ。うわあ、すごいね。魔法構造がバラバラじゃない」
「はい。ほぼ全ての機能が停止状態ですね」
「うへえ、大した物だね。こちらのお兄さん……神崎良さん、か。「羽」をつけた状態で「羽」を壊すなんてよっぽどじゃないと出来ないはずだけど」
「それなんですけど、主幹。こちらが神崎良さんの方の検査結果なんですが……」
 ほぼ全損したことを示す「羽」のデータに感心しているカウルに、助手は複雑な表情で更に資料を手渡した。

「実は、神崎良さんが使用されていた羽の方には深刻な欠陥があった疑いがあるんです」
「へえ? それは大事だけど、どうして?」
「妹さんとは違って、神崎良さんの魔法特性値はごく一般的なレベルを示しています」
「ああ、なるほど。羽に欠陥が無い限り、普通の魔法使いにここまで壊されるはずがないって言うのが君の意見だね?」
「はい」
「なるほどなるほど……ああ、確かに特性値に目立った点はないね。ちょっと魔力交換不全症気味だけど……そちらも妹さんほどじゃないか」
 助手の報告に頷きながら、カウルは腕を組みわずかに目を細める。

「解析班の見解は?」
「まだ纏まっていないようです、解析も完全には出来ていません。でも、「羽」の方に何らかの欠陥があったのだろう、という意見は上がっています」
「んー。まあ、それが妥当な見方だろうね」
「……何か、ご意見が? 主幹」
「んーんーんー。まだはっきりとは言えないけど、ちょっと引っかかるなあ、ってね。ただ、まあ、これは「羽」に欠陥なんてあるわけがない、っていう設計者の奢りからの印象かもしれない」
 やや慎重に言葉を選びながら、カウルは自分の考えを言葉に変えた。

「壊され方が少し引っかかる」
「……壊され方、ですか?」
 首をかしげる助手に、カウルは手にしたファイルの表面をパン、と軽く叩いてみせる。

「多分、君の考える欠陥って言うのは、「羽」の魔法無効化処置の暴走、でしょう?」
「はい。無効化範囲の制御に何らかの問題があり、自己崩壊を起したのではないかと」
 上司の指摘に頷いて、助手は自分の仮説を口にした。「羽」には装着者の魔法行使を抑制するために「魔法を無効化する魔法」が施されている。今回の件は、その「魔法を無効化する魔法」が、自分自身をも無効化してしまったのではないのか。そう自説を述べる助手に、一度頷いてから、しかし、カウルは首を横に振った。

「僕も最初はそう思った。でも、それにしては魔法構造の壊れ方が綺麗すぎるんだ」
「綺麗すぎる……?」
「魔法で魔法を打ち消すとね、大体の場合、残された魔法構造は「砕ける」んだよ。こうバーンってね。わかるかな、例えばリンゴとリンゴをぶつけたらぐしゃぐしゃになるでしょ? あんな感じ。勿論、精密に制御された無効化魔法を使った場合は例外もあるけどね。今回の場合、制御ミスによる魔法無効化処置の暴走だっていうのなら、やっぱり魔法構造は砕けていないとおかしい」
「……確かに解析班のデータでは、砕ける、というより切断されたような魔法構造になっていますね」
 カウルの指摘に、あごに手を当てて助手が感心したように頷いた。変人・奇人と陰口を叩かれるカウルではあるが、魔法構造に関する知見は深いことを思い知らされた彼は、尊敬の念をわずかに抱いて上司に尋ね返した。

「では、主幹はなにが原因だと?」
「そうだねー。やっぱりあのお兄さんが壊したんじゃないかな」
「ですから、どうやって? 彼の能力では、羽の魔法無効化に対処することは出来ない筈です。加えて言うのなら、彼が魔法無効化処理を使ったとしても、魔法構造が砕けていないのはおかしいことになりますよ」
「そんなの決まってるじゃないか」
「ですから、どうやってですか?」
「そりゃあ、勿論、愛だよ」
「あ……アイ?」
「そう、愛だよ。妹を思う兄の心がきっと奇跡を起したんだねえ。まあ、詳しいことは解析班の結果を見ないと断定できないけど、やっぱり僕は愛だと思うなあ」
 美しいなあ、とどこか夢見る口調で中空に視線を向けるカウルの傍ら、上司の言葉を理解できずに硬直していた助手が、おそるおそる、といった表情でカウルに問い掛けた。

「あの、主幹? 本気ですか?」
 本当は「正気ですか」、と喉の奥まで出かかっていたが、なんとかそれを飲み込んでそう尋ねた助手に、カウルは「勿論」と頷いてパン、と手を打ち合わせた。

「だって、この世界の本質は「愛」じゃないか。「絆」と言い換えても良いけどね」
 ぼさぼさ頭の中年太りの男が恥ずかしげもなく繰り出した恥ずかしい台詞に、助手は思わず青ざめて絶句した。そんな助手の態度に気付いているのかいないのか、一人満足げに自説に頷いていたカウルはふと思いついたように手を打って助手に向き直る。

「ああ、そうそう。二人とも魔法院の学生さんなんだよね?」
「アイ……え? あ、はい。そうです」
「じゃあ、親御さんにもお詫びに行かないといけないね。住所とか、ご両親のお名前はもう分かってるの?」
「神崎蓮香さんですね。父親の方は……お亡くなりになっているようです」
「そう。それはお気の毒だね―――って、え?」
 助手の返答に、カウルの緊張感のない表情からさっと血の気が引いた。その見事な顔色の変わりように、助手は怪訝に眉をひそめて上司の表情をのぞき込んだ。

「……主幹? 大丈夫ですか?」
「えーと、大丈夫かどうかは、これからの君の返答にかかってるんだけどね。その……蓮香って、その「蓮が香る」と書いて「蓮香」かな?」
「ええ、そうです……お知り合いですか?」
「うーん、まあ、その、同じ名前の人物を知っていると言えば知っているんだけど。いや、でも、まさか……うーん。そんな偶然、あるのかなあ。あ、あはは」
「主幹?」
「いや、魔法院にいた頃の知り合いというか、いじめっ子というか、トラウマというか、悪魔というか」
 いつもの飄々とした態度に似つかわしくない引きつった表情をその顔に張り付かせて、カウルはガリガリと頭を掻いた。

「君、知らない? 東ユグドラシルの聖女と魔女。神崎美弥と蓮香の姉妹」
「いえ、知りません。僕、北の出身ですので」
「そう。有名だったんだけどね。東ユグドラシルのワルキューレ、なんてあだ名が合ったぐらいだし」
「へえ……戦乙女(ワルキューレ)ですか、それは勇ましいですね」
「そりゃあ、勇ましいさ。なんたって戦士の魂を持ち帰っちゃうんだからねー」
「……た、魂ですか」
「女の人って微笑みながら、人を蹴り殺せるんだよ? 知ってた?」
「知りません。知りたくもないです」
「うん。僕もそれが賢明だと思う。でも、本当にこの蓮香さんが「あの」神崎蓮香だったら……、面会は止めだね」
「はい?」
 青ざめたまま真顔で呟いたカウルの言葉に、助手は一瞬、目を瞬かせてから大慌てて首を横に振った。

「いや、そういう訳にはいかないでしょう?! 主幹、責任者じゃないですか!」
「だって怖いじゃないか」
「……怖い?」
「そう、怖いの。トラウマなの。学生時代の悪魔なの。会いたくないの」
「あ、会いたくないって……」
 子供か、あんたは。またもや助手は、そんな言葉を零しそうになって、必死で耐える。が、そんな助手の態度に気づきもせずに、当のカウルは。

「あー。そうだ。セリアちゃんに頼もう」
 名案だ、とばかりにそんな言葉を零すのだった。
 そして、そう微笑むカウルに「だからあなたはお嬢様に嫌われるんです」と思わず声に出しそうになって、助手は三度言葉を飲み込んだ。

 /

 これが後日、紅坂セリアが、神崎邸を訪問することになる直接の理由となるのだが、このときは当のセリアも実の兄によってそんな事態が引き起こされることは知るよしもなかったのだった。


続く

前のページへ

小説メニューへ

サイトトップへ



ご意見・ご感想などありましたら、下記メールフォームなどで頂けると嬉しいです。


お名前(省略可)
メールアドレス(省略可)
作品への評価(5段階)



ご感想など(省略可)
inserted by FC2 system