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  魔法使いたちの憂鬱

       第十七話 ただ今、原因分析中

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/1.紅坂さん達の現状分析

 『魔法は、世界の根幹に関わっていないのではないか』

 その疑問は、過去、幾人もの魔法使い達から投げかけられてきた。断片的に残される「空白期」以前の記録。それが指し示す事柄は、かつての世界には魔法というものが存在しなかったという事実である。故にそこから「世界は「魔法」という規則に頼らなくても維持・運営されうる」という考えが導かれるのは自然なことだった。

 もっとも「空白期」のものとされる資料・記録にどれだけの信憑性があるのかはなお議論の余地がある。しかし、それらの資料の存在を無視した場合、別の問題が発生する。それは、魔法によって構築された世界のシステムの多くが魔法に頼らずとも実現しうるという事実だ。例えば、公共交通機関である電車や、通信手段である電話。それらはその文字が示す通り、本来、電波や電気のみで運営されるシステムであり、極論すれば魔法無しでも運営されうるのだ。尤も、現状の資源の発掘量では、魔法に頼ること無しにそれらのシステムを運営することは不可能ではあるが。しかし、それらの事実によって、一つの疑問が呈される。魔法を礎としているはずのこの世界で運営されているのは、実のところ、魔法を前提とせずに開発されたシステムであるのは何故か、という疑問。
 その疑問に対する明確な解は未だ存在しない。だが、いくつもの説の中には次のようなものもある。曰く、「それは人が本能的に、知っているからではないのだろうか。魔法とは、本来、あり得ないものであり……いつかは、消えて無くなってしまうものだと」。
 勿論、これは極論であり、ごく少数の意見に過ぎない。かつての世界のあり方がどうあったにせよ、今のこの世界は魔法無しには語れない。

 魔法なしで作られたシステム。それでも魔法なしには回らない社会。その中で生まれる「果たして、魔法とは何なのか」という問い掛けは、ある意味で根源的なその問いであり、それ挑むのが、魔法院の魔法使い達であり、そして紅坂の魔法使いたちだった。

 /

「魔法とは何か……ね。まあ、そんなこと考えたところで誰が得するわけでもないんだけどねえ」
「……主幹。思いっきり自分の研究の存在意義を否定しないで下さい」
 広大な敷地を有する私設紅坂魔法研究所。その一室で、白衣姿の青年が、上司である紅坂カウルに向けてため息をついた。あきれ果てた、と言わんばかりの部下の態度に、カウルは気分を害した様子もなく、その弛んだ顎に手を当てながら退屈そうに言葉を返す。

「でも、魔法使いがあんまりにも哲学寄りになるのはどうかと思うんだよね。ズブズブと思考の迷路にはまりこむのってあんまり生産的じゃないしさ。ああ、そのへん自慰行為に似てるよね。不毛だけど、気持ちいいって辺りが」
「なんで一々、言い方が下品なんですか、主席って」
「いいじゃない。男所帯なんだからさ」
「とりあえず、セクハラって同性間にも成立するって知ってます?」
「勿論、知識としてはね」
 いっこうに悪びれないカウルの返事に、まだ若い助手は手にしたコーヒーに口を付けてから、再び溜息を零した。

「大体、不毛だなんて言うんなら、なんだってずっと、そんな研究テーマを抱えてるんですか?」
「んー。若気の至りって奴かなあ」
「若いって年でもないでしょうに」
「失礼な。僕はまだ30代だよ」
「老けて見えますよね。主幹って」
「それだけ苦労してるって事だよ。しかし、最近遠慮が無くなってきたね、君」
 遠慮のない部下の台詞に、しかし、大して気分を害した様子も見せずに、カウルが肩をすくめる。それと、ほぼ同時、研究室のドアがノックされた。
 山と積まれた研究書類に、研究器具。その合間を縫うようにしてドアの方へと視線を向けて、カウルは「誰かな?」と首をかしげる。助手の方も上司に習うように首をかしげてコーヒーカップを机に戻しながら呟くように言った。

「誰でしょうね。来客予定はなかったはずですけど……」
「所長だったら嫌だなあ。お説教は聞き流すから良いけど、予算カットの話だったら辛いしねぇ」
「辛いですよね。というか、お説教も聞き流さないでくださいよ」
「どうぞー。ドアは開いていますよー」
 言われた傍から助手の小言を綺麗に聞き流して、カウルは椅子に腰掛けたままドアに向かって呼びかける。その呼びかけに「失礼します」との声が返り、ドアがゆっくりと開いた。

「……紅坂主席はいらっしゃいますか?」
「おや? これは珍しいね」
 開いたドアから姿を現したのはうら若い女性。その訪問者の姿を目にしてカウルが軽い驚きの声を上げた。そして上司に負けず劣らず、というより上司より遙かに強い驚きに助手は目を開いて、声を震わせる。

「せ、セリアお嬢様……っ!」
「ごきげんよう。いつも兄がお世話になっております」
「あ、いや、お世話だなんてそんな」
 感極まった声を出す助手に対して、セリアは柔らかな笑みを湛えて軽く会釈した。そんな彼女の挨拶に、まだ若いとは言え年上のはずの助手は顔を赤くしながら、目に見えて狼狽える。
 紅坂セリア。現紅坂当主の娘であり、既に後継者としての噂もある才色兼備の才女。研究所の一研究員にとっては、ほとんど雲の上の存在であり、今まで直接話したことなどあるはずもなく、彼は感激と動揺と興奮の織り混ざった視線をセリアに向ける。
 対してセリアは、その種の羨望を向けられるのは慣れた物なのか、そんな青年に悠然と微笑で答えてから、視線をカウルの方へと差し戻す。そして笑みを顔に貼り付けたまま彼に向かって歩み寄り―――。

「お兄さんに会いに来てくれたなんて嬉しいなあ」
「黙りなさい」
「うぼあっ?!」
 カウルの呑気な挨拶を遮って、いつのまにやら手にしていた箒でカウルの額を見事なまでに一閃した。

「い、いきなり何をするんだい?!」
 流石にいきなり箒で叩かれるとは想像していなかったのか、カウルは狼狽えながらも抗議の声を上げる。そんな兄に、妹は微笑みを浮かべたまま、その実、冷たい視線を投げかけて告げた。

「決まっているでしょう。懲罰です」
「ちょ、懲罰って、何のこと? 愛情表現にしてもちょっと過激じゃないのかな?」
「反省の色が見えません」
「痛っ?!」
 再び箒がカウルの額を一閃し、ぱしーん、と小気味良い音が、雑然とした研究室に響く。セリア曰く、懲罰とのことだが、その意図が掴めないカウルは額を抑えたまま、怯えを含んだ態度で妹に抗議の声を上げる。

「だ、だから、懲罰って何? それに暴力は良くないよ? ほら、助手君だって驚いて……」
「ああ、箒の音すら、お嬢様のお手にかかると美しい……」
「美しくないよ?! 箒の音なんて、誰が叩いても同じだからね?!」
 いきなり実の兄の額を箒で叩く、なんていう「令嬢」とはほど遠い行為を目の当たりにしてもなお、助手は羨望の表情を崩していなかった。当然のごとく、痛みに頭を抱える上司のことなど眼中にはない。

「うう、ひどいなあ、助手君。家庭内暴力と職場内暴力の現場を見過ごすなんて……」
「あなたは言葉で諭しても聞き流すでしょう。だから懲罰が暴力的な物になるんです。嫌なら自戒してください」
「そうです! その通りですよ! 主幹!」
「聞き流すのは、長生きする秘訣なんだけどなあ……痛!」
 再三の「懲罰」に額をさすりながら痛みを訴えるものの、実際には、あまり態度が変わっていない兄に、妹は呆れた様子で息をついた。

「相変わらずですね、あなたは。そんなことより、一体どういう事ですか?」
「どういう事って……何が?」
「天国への門での事故のことです。あなた、ちゃんと被害者に事情説明していないようですね」
「う」
 今まで箒で叩かれた事の理由がようやく飲み込めたカウルは、妹の非難の眼差しに、言い訳の言葉を探し始める。
 カウルとセリア。親と子ほども年の離れた兄妹ではあるが、妹の責める視線に身を竦めるカウルに兄としての威厳はほとんど見えなかった。

「いや、それはね……えーと、その、手紙で事情は説明したんだよ?」
「一歩間違えれば命に関わる事故だったです。ちゃんと出向いて謝罪すべきでしょう? 非常に認めがたいことですが、あなたはあそこの技術責任者なんですから」
「それはそうなんだけどね」
 正論で諭す妹に、兄の方はと言えば気まずげに表情を曇らせて、口籠もる。煮え切らない兄の態度に、セリアは訝しむように軽く眉をしかめた。

「あなたがいい加減で気分屋なのは知っていますけど、こういう事柄にまでいい加減な態度を取る人ではないでしょう。何か出向けない理由があるんですか?」
「理由というか、その……うう、僕だってきちんとお詫びに行こうと思ってたんだよ? でもね、ほら、彼の保護者って「悪い方の神崎」なんだよ?」
「……なんですって?」
「あれ? 知らないかな。ボクが学生の頃は有名だったんだよ。ユグドラシルの聖女と魔女。勿論、魔女の方が神崎蓮香なんだけどね」
「神崎先生が……魔女?」
 神崎蓮香は魔法院の教師陣の中でも、セリアが一目を置いている魔法使いだ。その彼女を評する言葉として「魔女」という単語が使われているのを、セリアは聞いたことがなかった。しかし、それを問い質す前に、兄の方は更に言い訳の言葉を言い募る。

「だからね、お互いの幸せのために……というか、僕の生命維持のために出来れば、会わずに済ましたいなあとお兄さんは思うんだけどね?」
「そういう態度を、誠意がない、と言うんです。それに神崎先生を魔女だなんて、失礼にも程があります。とりあえず、神崎先生には私から謝っておきます。あなたも早急にしかるべき態度で謝罪して下さい」
「……はい」
 妹の叱責に、素直に兄は頷いて項垂れた。基本的にいい加減な彼ではあるが、やはり事故の責任者としてはお詫びに出向くのが誠実だとは思っては居たのである。トラウマに近い記憶が神崎蓮香にはつきまとってはいるが、なんとか頑張ってみよう、と妹の言葉に頷きながら、カウルは頭を上げた。

「まあ、うん、なんとか頑張ってみるよ。セリアちゃんも協力してくれるみたいだしね。いや、助かるよ。元々、セリアちゃんに代理訪問を頼もうと思ってたし」
「……あなたって人は」
「ところで、それより用件はそれだけじゃないよね。きっと」
 更に叱責を続けようとする妹の雰囲気を感じ取って、カウルは強引に話題を変える。その意図はセリアには見え透いていたが、元々、ここに長居する気のない彼女は兄の差し向けた方向に話題を乗せた。

「その事故のことですけれど、事件の原因は特定できたんですか?」
「うん。一応ね」
 セリアの問いかけに、カウルの声に張りが戻る。飄々とした表情の中に研究者としての顔を覗かせながら、彼は口を開いた。

「『神崎良の偶発的な魔法消去能力の発現が、羽型飛行装置の魔力構造に異常な負荷を与えた結果、内部機関の暴走を招いたものと思われる』が公式見解になりそうだね。つまりは原因は内部機関の暴走、ということ」
「公式見解、ですか」
 殊更にその言葉を使うと言うことは、本当の原因は別にある、という事だろう。そう了解してセリアは兄に問い掛ける。

「本当の原因は?」
「残念ながらまだ不明。まあ、役所のお偉いさん方は、魔力構造の切断にあまり関心を払っていないからね。今言った見解で問題なく捜査終了になると思うよ。実を言えば、所員の大多数も今の見解で納得している。魔力構造の壊れ方については疑問が残るけれど、内部機関の暴走でもああいう壊れ方をする可能性は、まあ、ゼロじゃないからね」
「あなたも、それで納得するんですか?」
「納得はしていないけれど、一応、公式な調査は止めるよ。これ以上は、薮を突く可能性がなきにしもあらず―――」
 と、ぺらぺらと内部情報を漏らすカウルの口が不意に止まった。そこで初めて気がついたように、不思議そうに妹の顔を見つめて問い掛ける。

「……って、そう言えば、なんでセリアちゃんが事情を知ってるの? 当事者に連絡していないとか。僕、そこまで詳しくは話しては居ないよね?」
「彼は私と同じ魔法院に在学中ですから」
「ああ、なるほど。彼とわざわざ会ってくれたんだ。いやあ、やっぱりセリアちゃんはお兄ちゃん想い……痛っ」
「あなたの為に会った訳じゃありません」
「じゃあ、どうして?」
「彼とは元々面識がありましたから。事故のことを聞いて気にかかっただけです」
「ああ、そうなんだ……へえ?」
 セリアと頷いてから、ふと、カウルはふと不思議そうな声をあげた。そして腕を組むと一人考え込むように、中空に視線をさまよわせる。

「彼とセリアちゃんが知り合い、か。ふんふん、ほうほう、なるほど―――って、イタ」
「私、勿体ぶられるのは嫌いなんです。言いたいことがあるのならはっきりと言って下さい」
「ぼ、暴力は良くないと思うなあ」
 既に何度叩かれたのか分からない額を抑えながら、恨めしげに呟くカウルだが、それ以上の抗議は伏せて話を続けた。痛みより妹への恐怖が、そしてそれ以上に彼女の話への好奇がカウルの中では高まっていた。

「彼と知り合ったのってどんな切っ掛け?」
「そんなこと、あなたに話す理由はありません」
 カウルの問い掛けを、セリアはぴしゃりと切って捨てる。彼女からすれば「一人の生徒を取り合って負けた」苦い記憶を、このお調子者の兄に話す気にはなれなかったのだ。一方のカウルはそんな妹の連れない態度を気にした様子もなく、質問を続ける。

「じゃあ、彼との馴れ初めはともかく、セリアちゃん。彼と魔力交換はしてる?」
「していません」
「どうして?」
「どうしてって……」
 カウルの問いに、セリアが鼻白む。それは「どうして彼と友人じゃないのか」と同様に、はっきりとした理由を返せる類の問いかけではないからだ。

「どうしてもなにもありません。私は彼とそこまで親しい訳じゃありませんから」
「あれ? そうなんだ」
 妹の返事に、カウルは意外そうな声を上げて、首を傾げた。

「セリアちゃんが彼と面識あったんなら、彼に興味を持っていると思ったんだけどなあ」
「勿体ぶられるのは嫌いだと言ったでしょう? 次は肉塊に変えますからね」
「さ、さらりと怖い言葉を言わないで欲しいなあ……ほら、助手君も怖がってるよ?」
 剣呑さを増す妹の言葉と目つきに、カウルは助けを求めるように傍らの助手に視線を向ける。だが、しかし、そこにいるのは未だ恍惚の感情にとらわれたままの青年だった。

「大丈夫です、セリアお嬢様。主席を肉塊にお換えになるのなら、不肖この私、喜んでお手伝いさせて頂きます!」
「助手君? 一応、僕は君の上司なんだからね? 今期の査定はそれなりに覚悟しておいてね」
「ふふふ、大丈夫ですよ、主席。肉塊に査定は出来ませんから……ふふふ」
「じょ、助手君?! 目が笑ってないよ?!」
 これが狂信者の目のなのかなあ、なんていう感想を現実逃避気味に脳裏に浮かべつつ、彼は教祖……もとい、妹の機嫌を損ねないように彼女に彼の考えを告げた。

「あのね、セリアちゃん。事故の原因については正直、はっきりとした考えが僕にもあるわけじゃないんだ。神崎良君になにか要因があるんじゃないかと睨んではいたけれど、事故当日の検査では何も異常はなかったし、特別な才能があるような見解も未だ得られていない。だから、これはあくまで僕の直感で、確証は持てないんだけど……彼ってもしかしたらセリアちゃんと同類じゃないのかなあ、って、そう思うんだ」
「……同類」
 カウルの説明に、セリアは呟きを零し、そして目を細める。訝しむように。それでいて期待するように。

「それ……本当なんですか?」
「だから、全然、確証なんてないんだって。でも、「もしそうなら」ある程度、事故の原因に道筋がつくからね。「そうだったらいいなあ」っていうぐらいのアイデアだよ。それより、セリアちゃん自身は彼について、何か気付いたことはあるんだよね?」
「どうしてそう思うんですか?」
「セリアちゃんがわざわざここまで足を運んでくれたのは「聞きに来ただけじゃない」と思うからだよ」
「……そういう所だけは察しが良いんですから」
 ため息混じりに兄の言葉を肯定しながら、セリアは今日の出来事を彼に告げた。

「私の魔法の支配領域に、彼の魔法が割り込みました。しかも、余計なノイズを発生させずに、です」
「へえ。それは凄いね」
 セリアが法則を書き換えていた大地に、彼の落とし穴の魔法が割り込んだ。今日の午後に起きたその出来事は、別段不可能、という訳ではない。ただ、通常、それは強い魔力が必要だし、多少なりとも軋轢を現象として起こす。例えば、音や振動、熱や光といった形で。
 しかし、今回、そう言った軋轢は発生していない。少なくともセリアにはそんな兆候は知覚できなかった。そのセリアの説明に顎に手を当ててカウルは首をひねる。

「……うーん。やっぱりよくわからないなあ」
「主幹。それって、つまり「魔法の消去」が部分的に行われていたんじゃないんですか」
 上司の態度に釣られてか、助手もようやく恍惚の表情から醒めて、研究者としての意見を兄妹の会話に差し挟んだ。

「そうかも知れないし、違うかも知れない。いくつかの仮説は用意できない訳じゃないけどね。絞り込むには材料が……」
 と、そこまで言って、カウルは助手の顔をのぞき込んだ。

「なんですか。いきなり、人の顔を凝視して」
「助手君ってさ、結婚していた? お子さんっている?」
「独身です。彼女も現在おりません。絶賛、募集中です」
 なぜか、セリアを横目で意識しつつ答えてしまう助手にカウルは満足げに頷く。

「じゃあ、この世に未練ってあまりないのかな」
「あるに決まってるでしょう!」
 何を言い出すのか、と目を剥く助手に、カウルは惚けた表情のまま言葉を続けた。

「いやー、神崎家に玉砕覚悟で突撃取材を敢行して欲しいなあって」
「神崎家の取材に行くと命に関わるっていうんですか?!」
「場合によってはね。少なくとも僕が行くと寿命が縮むね。恐怖で」
「……いったい、神崎先生にどんな恨みを買ってるんですか。あなたは」
 兄と助手の会話に、セリアはあきれ果てた、といった様子で肩をすくめる。「悪い方の神崎」だの「魔女」だの、よほど学生自体に神崎蓮香にひどい目に遭わされていたのだろうが……正直、その原因の9割方はこの兄の方にあるのだろうと、妹は確信していた。

「わかりました。調査が必要なら私が行っても構いません」
「セリアちゃんが?」
 妹の台詞に、今度はカウルが軽く目を剥いた。

「どうしたの? 珍しく、というか、かつて無いほど協力的だね? 同類かも、っていうのは本当に思いつきレベルに過ぎないんだよ? あ、もしかして、そんなに彼が気にかかる?」
「おかしな言い回しは止めなさい。分からないことを分からないまま放置されるのが気持ち悪いだけです」
「ふんふん。なるほど、それはセリアちゃんらしいけどね。じゃあ、セリアちゃんにお願いしようかな。是非、やって欲しいこともあることだし」
「やって欲しいこと?」
 兄の声に潜む好奇の色に、セリアは嫌や予感を覚えつつ、「それは?」と先を促した。

「うん。是非、彼と……神崎良君と魔力交換してみて欲しいんだ」
「……意味が分かりません」
「あれ? 彼のこと嫌い?」
「そういう問題じゃありません。魔力交換なんて誰かに言われてするものじゃないでしょう」
 魔力交換は心の交換に例えられることもある。少なくとも嫌いな相手とする行為ではないし、そもそもそういう相手との魔力交換は双方にとって有害なのだ。

「無理にとは言わない。相性の問題もきっとあるだろうしね。でも、きっと、ひょっとしたら、何かこう運命的なものを感じ取れるかもしれないよ?」
 戸惑いの表情を僅かに覗かせる妹に、兄は相変わらず飄々とした声のまま、告げた。

「もし、本当に彼が、セリアちゃんと同じように……世界樹に連なる魔法使いなら、ね」


/2.神崎さん達の状況分析(神崎良)

「ということで、俺に変な力があるんじゃないか疑惑がかかってるんですけど」
「ふうん?」
 夕食後のリビングで、俺はレンさんに相談を持ちかけた。相談内容は勿論、綾のこと……ではなくて、今日の会長さんとの出来事だ。いきなり絡まれたとか、縛り付けられたあげくに魔法で突き刺されそうになった、という過激な部分はとりあえず伏せて、彼女がこだわっていた「俺が持っているはずの能力」について俺はレンさんに尋ねる。
 
「レンさん、遊園地の人からそういう事、何か聞いてます?」
「んー。まあ、大したことは聞いてないな」
 俺や綾も遊園地の人からの謝罪自体は受けたけど、あまり細かい事後報告などは聞いていない。ひょっとしたら保護者のレンさんには細かい説明があったのでは、という俺の期待を、レンさんは首を傾げながら否定した。

「一応、事故調査の経過は聞いているけどね。現時点では向こうの装置の不具合、ということで捜査は進んでいるようだよ。遊園地の態度も全面謝罪だし、向こうも良の方になんらかの原因があるとは考えていないと思うよ。まあ、そのうち技術責任者とやらが謝罪と一緒に説明に来るのかもしれないが」
 そこでレンさんは一度言葉を切って、一瞬考える表情を浮かべてから、俺に頷く。

「うん。やっぱり、それは紅坂の勘違い、もしくは勇み足、じゃないかな」
「やっぱり……、そうですよね」
 分かっていたことではあるけれど、レンさんの口から言われると「その可能性は本当にない」と諦めがついた。諦め、と表現してしまうのは俺自身、「そんな力が本当にあるのなら……」、と少しだけ期待してしまっていたからだろう。
 そんな思いが顔に出てしまっていたのか、レンさんは俺を見て少し意地悪そうな笑みを浮かべた。

「なんだ。やけに残念そうじゃないか」
「いや、別にそういうわけじゃ……」
「わかってるわかってる。男の子というのはそういう設定に憧れたりするものらしいからな」
「……なんですか、設定って」
 訳知り顔で俺の言葉を遮ったレンさんは、訝しむ俺を尻目に一人納得したように頷きながら答える。

「だから、あれだろう? 自分には隠された力あると妄想しちゃったりしたんだろう? ほら、額が疼いたり、左手が疼いたり、誰かが呼ぶ声が聞こえたり。まあ、男の子にはそういう妄想にふける時期があるのは知っているが、なるべく中等部で卒業して欲しいな。そういうのは」
「だれもそんな妄想に耽ったりしてませんよ!」
 息子を痛い学生みたいに言わないで欲しい。まあ、そういう妄想に耽ったことがないとは、言わないけどさ。……いや、本当に、今はしてないよ? 本当。

「ま、良の妄想癖はさておき」
「だから、ありませんってば」
「紅坂がその考えに至った理由は知りたいな」
 憮然とする俺の抗議を、綺麗に受け流してレンさんは腕を組んだ。

「紅坂セリアという魔法使いが何の根拠もなく、そういう話を信じるとは思えないからね。何か彼女なりの仮説があるんだろう」
「案外、無いかもしれませんよ ただ単に俺をからかいたかっただけとか」
「へえ」
 呟くような俺の言葉に、レンさんは興味を引かれたように少し目を細める。

「良にとっては紅坂セリアはそう人物に見えるのか?」
「え? いや、あまり深い意味はないですよ。でも意外と気まぐれというか、お調子者っぽい所あるじゃないですか、あの人」
「紅坂セリアがお調子者ね……ふふふ、彼女の取り巻き連中が聞いたら、泡を吹いて怒りそうな評価だね」
「い、言わないでくださいよ。そんなこと」
「言わないよ。私も彼女にはそういう側面はあると思っているしね。しかし、なんだ良。やけに紅坂の事を分かっているように言うじゃないか」
「別に、そんな訳じゃ……」
「惚れてるのか?」
「怖いこと言わないでください」
「ふふ、冗談だよ」
 そう笑いながら頷いて、レンさんは少し表情を改めた。

「確かに気まぐれな所はあるが、しかし魔法に関する限り、彼女はいい加減な態度では臨まない。という訳で、良をからかうにせよ、何らかの意図と理由があったと考えた方が良さそうなんだが……果たして、紅坂のお嬢さまは何を考えているのやら」
「レンさんでも会長さんの考えって気になるんですか?」
「気になるよ。技術、という点ではまだまだ荒いが、才覚の点では抜きん出ているからね」
 さらりと答えるレンさんに、俺は改めてその凄さを思い知らされて軽く息をのんだ。会長さんを指して「技術が荒い」と評するレンさんに、そして、そのレンさんをして「抜きん出ている」と評させる会長さんに。

「ということで私が見落している事に、紅坂が気付いているということは十分にあり得るんだ。もし、そうなら……」
「そうなら?」
「そうなら、勿論、大収穫だよ。万が一、良が「魔法消去」やそれに準ずる高等魔法を、私にも内緒でこっそり使えるようになっていた、というのなら親としても教師としても喜ばしい限りだしね」
「だから、使えませんってば」
「分かっている。少なくとも良が意識してその魔法を使える可能性はない」
 苦笑混じりの俺の言葉に、しかし、レンさんは真面目な表情で答えた。

「だから、残る可能性は、「良が無意識に高等魔法を使った」という可能性だね」
「無意識にって……そんなこと出来るんですか?!」
「理論的には不可能ではないよ。勿論、可能性としてはごくごく低いけどね」
 驚く俺に、レンさん小さく頷いてから、 教師の表情になって俺にまっすぐ視線を向ける。

「良が無意識に魔法消去を使ったのを事実としよう。良、では、その場合、お前にあるはずの能力はどんなものと考える?」
「あるはずの能力……ですか」
 問われて、俺は視線を中空に彷徨わせながら考えを巡らせた。正直、俺は無意識に魔法を使った、なんてことは事実ではないだろう。でも、レンさんの質問はそれを事実と仮定した場合の思考実験をしろ、ということ。だから、俺は現実を無視して、仮定の中で仮説を組み立てていく。あの時、翼を背中から引きはがそうとしていた俺が出来ていたはずのことと言えば……

「そうですね。あの時の俺にそんなことが出来たとしたら、呪文無しに魔法を使える能力と。それから、知らない魔法を使える能力。その二つが俺にある……ということだと思います。自分で言っても、かなり無茶だと思いますけど」
「おおむね正解。流石に理論は得意分野だね」
 我ながら無理のある回答だなあ、と不安混じりに口にした答えに、しかし、レンさんは満足げに頷いてくれた。

「尤も、良が考えるとおり二つとも無茶に思える能力だけどね。では、その両方の能力が存在しうるかどうかを考えようか。まず知らない魔法を使えるかの可能性。これについては、「本人がまったく知らない魔法が偶発的に発生する可能性」はほぼ零と考えて良い。逆に、その魔法についての素質がある、もしくは知識があるのなら可能性としては零、とは言い切れない、かな」
「……じゃあ、今回のことは発生しうる、ということですか」
 魔法消去の魔法の存在について、俺は知っていたし、レンさんや綾、そして龍也がその種の魔法を操る所を見たこともある。つまり全くの無知という訳ではない。

「そういうことだね。だから、正確には「知らない魔法を使える能力」ではなくて「知識としてのみ知っていて普段は使えない魔法を使える能力」という事になる。ふむ、こういうとますます男の子の妄想に近いものがあるね。恐ろしく万能だ」
「……本当にそんな能力なんて、あり得るんですか?」
「あくまで可能性の上ではね。魔法とはすなわち世界の再構築であって、呪文とはそれを実現するための図面だ。再構築のイメージと、そのための図面が、瞬時に脳裏に描かれることは、可能性として零ではないだろう?」
「なるほど」
 可能性として零ではないけれど、ほぼあり得ない。それでも良しとしてレンさんは話を進めているのだから、これは本当に思考実験なのか。レンさんの意図をそう受け取って、俺は頷いた。

「では、次の「呪文を使わずに魔法を行使する能力」についてはどう思う? 良」
「これまた無茶な能力ですけど……ありえる、とは思います」
「ふむ。根拠は?」
「こっちの方は現実に呪文なしに魔法を維持している例があるからです。生徒会室の鍵なんかは、魔法紋様で維持されてますよね?」
「そうだね。その考えは、半分正しい。私たち魔法使いは呪文という言葉を媒介にして世界に干渉する。それは、自らの中にある魔力の形を整え、指向性を持った力として世界に放つためにだ。つまり呪文という方法以外で、それが出来ればいいという事になる。実際、良の言うとおり生徒会室や職員室の鍵は魔法紋様で出来てはいるが……アレ自身は呪文によって生み出されるものだからね。魔法紋様による魔法は「呪文なしに魔法を使っている例」としては、完璧とは言えない」
「あ、そうか……」
 確かに紋様自体が呪文によって生み出されるのなら、結局は呪文に頼っていることになるのか。そう頷く俺に、レンさんは「目の付け所は悪くなかったけどね」と微笑んでくれた。

「稀少な例だけど、過去に、一切の言葉を使わずに紋様を紙に書くことで魔法を行使する魔法使いがいたという記録もある。これもまた理論上の話になるけれど、紙と鉛筆さえあれば魔法を使うことは可能ではあるんだよ」
「か、紙と鉛筆で、ですか」
 それはまた俺が持っている魔法使いの概念が大きく揺らぐような発言だった。

「ま、極端な例だけどね。私たちは世界へ干渉する方法を「声」、「言葉」に依存する。体内の魔力を世界に還すための器官が喉だっていわれる所以だけど、例外はあるって言うことだよ。つまり、ただ「思う」だけで魔法を使えてしまう魔法使いの存在自体は否定できないんだよ。勿論、可能性は希薄だけどね」
「レンさんにも、出来ないんですよね」
「残念ながらね。そんな神様みたいな力、院長だって持っていない」
 神様みたいな力。ちょっと不謹慎かな、と思ったけれど、確かに今、俺とレンさんが話していたような能力は人間離れしすぎているし、本当にそんな能力を持っている人がいたらきっと神様みたいな魔法使いだろう。
 少なくとも俺みたいに期末の度に実技試験で四苦八苦するような平凡きわまりない学生には、縁がなさ過ぎる能力だ。

「結局、「無意識に普段を使えない魔法を使う」なんて可能性はほぼ、ゼロってことですよね。そんな神様みたいな力があるなんて、無茶苦茶ですし」
「……さて、どうかな。神様なんて、誰の中にもいるのかもしれないよ。意外とね」
 そう答えるレンさんの口調は冗談めいていて、彼女もやっぱりそんな才能は存在しない、と思っていることがわかった。

「まあ、思考実験はこの辺ににしておこうか。それより、良」
「はい?」
「お前、紅坂のことをどう思ってるんだ?」
「え?」
「だから、付き合おうとか、玉の輿をねらっちゃおうとか、思ってるのか?」
「思ってませんよ!」
 なんて怖いことを言い出すのか、この人は。慄然とする思いで否定する俺に、何故かレンさんは不満げに唇をとがらせた。

「何故だ。はっきりいって容姿・家柄・才能のどれをとっても非の打ち所はないぞ、あいつは」
「……普通、まっさきに「性格」に対する評価がでるもんじゃないですか?」
「でも、良にはああいうサドっ気のある性格があってるんじゃないのか? ほら、桐島とかもそうだしな」
「人をマゾっ気のある性格みたいに言わないでください」
 息子をなんだと思っているのか。

「いや、しかし、紅坂と付き合うと言うことは婿養子が前提なのか。紅坂良、か。ううん、私としては神崎性の方が……」
「どれだけ話を飛躍させるつもりなんですか!」
「照れるな、照れるな。大体、やけに紅坂について理解しているじゃないか、お前。まんざらでもないんだろう?」
「だから、そういう怖いことは―――」
 不穏な発言を繰り返すレンさんに、俺は必死でそう否定の言葉を繰り出して。
 結局、その日の会話は、レンさんにからかわれるままに終了することになってしまったのだった。

 /(神崎蓮香)

「綾の魔力が原因だと思っていたが、良の方が原因か。なら……多少、話は違ってくるな」
 深夜。自室で一人、机に向かいながら神崎蓮香は、夕食後の良との会話を思い起こして、そう呟いていた。

 良に秘められた力。
 本当にそんなものがあるのかどうか、蓮香自身にも判断はついていない。少なくとも彼をひきとってから今まで、その手の特殊才能の片鱗を見たことはない。
 彼をして特殊と言わしめるとすれば、それは綾と魔力交換が出来るただ一人の魔法使いだと言う点だが、その要因はおそらく良ではなく、綾にある。つまり、特殊なのはやはり良ではなく、綾と考えるべきでだろう。

 だが―――。

「紅坂はどういうつもりなんだろうね。彼女が紅坂の魔法使いとして接触してきたのなら、少し話がややこしくなる、か」
 ひょっとしたら、自分は何かをずっと見落とし続けていたのだろうか。そう考えながら、蓮香は背もたれに、体を預けて腕を組む。そして考え込むことしばし、彼女は「考えすぎか」と呟いて、頭を振った。
 良と綾に関しての検査は、彼らが子供の時に嫌と言うほどにやっている。今更何か、新事実が見つかるとも思えない。そう判断して、彼女は思考を穏便な方向へと切り替えた。つまり、魔法使いとしての思考から、野次馬な母親としての思考に。

「……これで紅坂セリアと良の関係が進展したりすると、面白いんだが」
 呟いて蓮香は息子とセリアが手を繋いで歩く光景を想像して、苦笑した。

「綾と付き合うのとあまり良の苦労は変わらないのかも知れないね」
 彼にとって果たしてどちらが幸せなのやら、と呟きながら、蓮香は机の灯を消した。

 良について、自分が見落としている事があるのかもしれない。その想いを心の奥底から振り払えていないことに、まだ彼女自身が気付いていないままに。


続く

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