国立東ユグドラシル魔法院。

初等部から大学まで、魔法使いたちを対象に一貫教育を行う施設である。
生徒数はのべにして五千人を超え、国中から一流の魔法使いを夢みて子供達がその学園に足を踏み入れる。

そんな人知を超えた領域を目指すための学舎は、朝から賑やかな喧噪に包まれていた。


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  魔法使いたちの憂鬱


           第二話 とある魔法院の風景

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1.朝の風景

「速水先輩、おはようございますっ」
「おはよう」

「速水くん、あのね」
「あ、うん。ちょっと待ってね」

「なあ、速水。ちょっといいかな?」
「はいはい」
 朝の喧噪と言って済ませてしまうには、少々毛色の違う感情の声。言ってしまえば女の子たちの黄色い声が、講義室の中に満ちていた。
 教壇を中心に、すり鉢状スロープ状になっている講義室。100人を収容する講義室に満ちる騒々しいざわめきの中心は、まさにその教壇に佇む一人の少年だった。次々に訪れる熱い目をした少女たち……たまに男も混じっているようだが……に、その少年は優しい笑みを投げかけながら、次々と握手を交わしている。

 一応断っておくなら、今日はあくまでも平日であり、ここは魔法使いたちの学校であり、教室だ。有名人のサイン会場という訳ではない。その証拠に、握手をする方もされる方も、紺と白を基調としたブレザー姿。右胸に施された世界樹を意匠化した緑の刺繍が、彼らが歴とした魔法院の学生たちであることを示している。

 要するに一人の学生に、多数の学生が群がって握手を求めているだけの「ありふれた風景」。でも、そんな日常の光景を講義室の最後尾からぼんやりと見下ろしながら、俺、神崎良はこっそりとため息をつくのだった。

「……なんというかさ」
「なによ」
 ぼやくように零した声に答えるのは、俺の前の机に座りながら、ぺらぺらと教科書をめくるポニーテールの女の子。僅かに青みがかった彼女の黒髪を視界の端に捉えながら、俺は言葉を続けた。

「世の中って、不公平に出来てるよな」
「朝から僻み全開? そういうのは格好悪いよ、良」
 彼女はくくく、と笑いをかみ殺しながら、何故か愉しげに頬杖をつくオレの頭をポンポンと叩く。

「何故に、うれしそうなんだ、お前は」
「そうね、あんたの不幸は、視ていて楽しいから……かな?」
「本気で楽しそうだな」
 言いながら俺が手を払いのけると、彼女は髪と同じように仄かに青みがかった瞳を細めて肩を竦めた。

「冗談だってば。大体ね、あれは魔力交換でしょ。うらやむようなことじゃないって知ってるくせに」
「まあ、そうだけどさ」
 魔力交換。
 人が酸素を取り入れて、二酸化炭素を排出する必要があるように、魔法使いたちは自分の中の魔力と定期的に、外部の魔力と交換する必要がある。長く体内にとどまり続けた魔力はよどみ、心身に悪影響を与えることがあるためだ。しかし、魔力という代物は基本的に生体の中にしか存在しない。加えて、誰かと交換できるように魔力に形を与えられるのは、いわゆる「魔法使い」という人種に限定されてしまうのだ。

 故に、魔法院に在籍するもののほとんどは魔力を交換する必要があり、かつ魔力の交換対象となる資格もあるわけで、学生同士が互いの魔力を交換するなんて言うのは見慣れた光景であり、かつ、必然に迫られてのことでもあるのだが……。
 ああも人気が集中する人物がいると、中々複雑な気持ちになったりするのは、男として真っ当な感情なのではあるまいか。

「はいはい、そう拗ねないの。らしくないよ。良」
 そんな俺の気持ちを見透かしたのか苦笑混じりに、俺の頭を叩く女の子の名前は桐島霧子(きりしま・きりこ)。
 俺の級友であり、中等学校からの友人だ。初等部時代のあだ名は「キリキリ」だったらしい。尤も、今はそう呼ばれると烈火のごとく切れるので、滅多なことでは誰もそう呼んだりしないけれども。あだ名に違わない、少しきつい目つきが印象的だが、その実面倒見はよく「姉御」なんて呼ばれていたりして、とりわけ同性からの人気が高い奴だった。

「まあ、龍也も大変なんだから。大目に見てあげなってば」
「大変なのは同情するけどさ。それでも、あいつが異様に持てていることは変わらないだろ。お前あの中の何人が、本当に魔力交換目的なのか知ってるか?」
「まあねえ」
 呟きながら、彼女は俺と教壇の男との間で視線を往復させる。そしてなんだか気の毒そうに、僅かに視線を伏せて、ひと言。

「男は顔が全てじゃないよ。きっと」
「お前、なんて惨いことを……]
 しかも気の毒そうな顔で言われるとダメージも倍加するだろう。まあ、顔の造形が優れているなんて自覚はないけどさ。

「何気に残酷だな、お前」
「だって良って、平凡じゃない。身長、体重ともに平均。髪型だって至って平凡でしょ? 長くもなく短くもなく」
「まあなあ……」
 不満げな声で頷いては見せたが、平均って言葉は、それほど嫌いじゃなかったりする。あまり目立たずに、埋もれられるのは割と良いことのような気もするわけで。

「あ、ちょっと髪が銀色がかってるのは特徴といえば特徴かな。その色、私は好きだよ?」
「おお、褒められた!」
「いや、褒めたのは最後だけでしょうが。そこで喜ぶかなあ」
「いいだろ、そのぐらいは」
 霧子の突っ込みに答えながら、俺は再び教壇の中心に視線を戻す。とぎれない喧騒。その光景の中心にいる友人の姿に、少し心を痛めながら俺は一人頷いた。

「……まあ、やっぱり人間、平凡が一番だよな。流石にあそこまでいくと大変そうだ」
 全く羨ましくない、なんて言うつもりはないけれど。正直、あんな生活を続けていく自信なんて無い。今朝の綾の言葉じゃないけれど、ハーレムなんて言う言葉は自分にとってはあまりにも縁遠い言葉なんだろう。きっと。

「覇気がないなあ……まあ、あんたらしいけど。それより、あんたはどうして朝から机でのびてる訳よ」
「そりゃ、朝から全力疾走してきたからな」
 準備運動もなしにあの坂を駆け上がるのは少々無謀だったかもしれない。

「全力疾走って、なんで? あんた、私より早く来てたよね?」
「レンさんより、早く学校に着かないといろいろ雑用を回される羽目になってさ」
「それで、遅刻でもないのに学校まで全力疾走してきた訳?」
「そう」
「あんた、アホでしょう」
「うるさいな。せめて「大変だね」ぐらい言えよ」
「大変だねー」
「うるせえよ」
 まったく気持ちが籠もっていない返答に、俺は唸って、再び机にへばりつく。そんな俺の頭をポンポンと叩きながら、霧子は苦笑混じりの声を落とした。

「しょうがないなあ、ちょっと魔力分けようか?」
「……いいよ。お前が疲れるだろ」
 健康に生きていく上で、魔法使いの必須スキルともいえる「魔力交換」。実は、これが下手なのだ。俺は。相手に魔力を渡す方は人並みに出来るのだが、受け取る方が上手く行かない。故に疲れが取れるぐらいの魔力を受け取ろうとすると、必然的に相手に大きな魔力を要求してしまうことになる。逆に「相手を疲れさせないように」と遠慮をしながら魔力交換をすると、必然的に俺が受け取る魔力の方が不足するハメになって、疲れることが多いのだ。

 まあ、言ってしまえば自分の未熟が招いた自業自得な訳で、そのツケを友達に回そうって言う気には中々なれない。

「別に気にすること無いのに。変なところで遠慮するよね、あんたって」
 呆れたような、それでも優しい声で霧子は笑う。その淀みない笑顔に、少しだけ目を奪われると、その刹那。

 ピーッ、と高い笛の音が突如と響いた。
 始業開始の合図―――というわけではなく、始業開始前の「解散の合図」だ。

「……終わったか」
「みたいね」
 俺と霧子が笛の音に顔を向けると、腕章をつけた女の子が、声だかに群衆に向かって解散を告げていた。

「はーいっ! 今朝の握手会は終了でーすっ! 各員速やかに教室に、もしくは席に戻ってくださーい」
「はーい。じゃあね、速水君」
「今日もありがとうございました、先輩!」
「うう、早いよぅ」
 口々に、件の少年に別れを告げながら―――中には不満を零すものもいたが―――、それでも全員が速やかに解散していくのは、いつみても見事だ。速水龍也ファンクラブ。その団結力と結束力は、魔法院の中でもトップクラスだとかなんとか。何に比較してトップなのかは深くは考えないけれど。
 瞬く間に散会していく群衆の中から、その騒動の中心人物は、一度大きく背伸びをすると、俺と霧子の姿を見つけて、笑顔で駆け寄ってきた。

「良、霧子。おはよう」
「お疲れ様」
「おはよ。朝から大変よね、あんたも」
「あはは、心配してくれてありがと」
 俺と霧子の挨拶に、安堵の表情で頷く彼に、俺は席を一つ右にずらして、龍也に奥の席を譲ってやった。俺の左隣、そして霧子の真後ろ。講義室の最後尾の左隅が、彼―――速水龍也の指定席だ。

 速水龍也。霧子と同じく、俺の中等部時代からの友人だ。
 線の細い顔立ちは、よく言えば中性的、悪意を込めて言えば、女みたいな造形。柔らかそうな栗毛色の髪とほっそりした体型とも相まって、後ろ姿なんかは良く女の子と間違えられるらしい。実際、女装してしまうと、正面からでも、そんじょそこらの女の子より可愛く見えるというまこと難儀な男である。その人気のほどは、さっきの光景が物語る通りなのだが、何しろ本気で「男女を問わず」人気があるため、気苦労が絶えない人生を送っているようだった。
 不幸中の幸いと言えばいいのか、龍也本人が、高い頻度で魔力交換が必要な体質なため、ああして握手のたびに誰かの魔力を分けてもらえるのはありがたいと言えばありがたいらしいけれど。

「でも、やっぱり大変だな。言ってもしかたないけど」
「うん、僕のことわかってくれるのは良だけだよ。愛してるよ」
「さよか。でも、そのぐらいの愛じゃ、まだ性の壁を越えることはできないぞ?」
「うう、厳しいなあ」
「あんたら、そういう会話が誤解を招いていることを自覚しなさいよ?」
 霧子の指摘に、俺の横顔に何とも言えない感情の視線が突き刺さっているのを自覚したが、もう慣れたものだった。
 それに、「速水会」という何のひねりもない……いや、失礼、簡潔きわまる名称のファンクラブに所属する女の子たちは、こちらに羨望の眼差しを向けながらも、しかし俺たちの会話に割って入ってきたりはしない。

 『始業開始の笛から、放課後までは、極力、速水君に干渉しないこと』。それは抜け駆け防止、かつ混乱防止のために、決められた取り決めであり、現在の所、厳粛にそのルールは守られているようだった。
 ……まあ、それでも油断が出来ないから、こうして俺と霧子で龍也を守るような体勢になっているわけだけど。

   $****$

2.レンさんの講義

「それより、良はどうして疲れてるの?」
「それがねー。遅刻でもないのに全力疾走してきたんだって。アホでしょう」
「アホ言うな。傷つくから」
「だって、アホじゃない」
「ダメだ。傷つきすぎて、もう立ち直れない」
「まあまあ。それより、でもなんだって全力疾走なんて―――」
 俺と霧子と龍也。三人の何気ない朝の僅かな時間の会話は、しかし、長くは続かずに、

 キーンコーン……

 という、今度は校舎全体に鳴り響く鐘の音に中断される。そして、それとほぼ同時。

「予鈴がなったぞー。断ってる奴は席に着けー」
 ガラリ、と講義室のドアが開き、一時間目の授業の担当教師が姿を見せた。黒銀の長髪をなびかせるスーツ姿の少女―――もとい女性は、言わずとしれた俺の母親、レンさんである。
 彼女が教壇に向かうのに合わせて、生徒達は一斉に椅子を引いて立ち上がり、

「きりーつ」
 の号令と共に、「お早うございます」と教壇にたったレンさんに一礼をする。

「お早う。欠席している奴はいないか?」
 頷いて生徒に着席を促しながら、レンさんはぐるりと席を見回して生徒の出欠を確認する。が、その途中で、彼女の表情が不意に固まった。

「うん……?」
 僅かに首をかしげながら、教壇の周りに視線を巡らせるレンさん。何事か、と少し生徒の間から僅かなざわめきが生まれた瞬間、彼女は、それを制するように軽く手を振って笑う。

「ああ、気にしないでいいよ。まあ……、若いウチは多少無駄がある方がいいからね」
 などとよく分からない言葉を口走りながら、視線を教室の隅、つまりは俺達の方へと投げ掛けた。

「それより、速水」
「はい」
 呼びかけられて俺の隣の龍也が起立する。

「今日もおつとめご苦労さん。体の方は大事ないか?」
「え、はい。問題ありません」
 いつもの朝の騒動は、レンさんも把握しているはずだが、こうやって確認することは珍しい。

「そうか、無理はするなよ。体調が優れないようなら保健室に。魔力が足りないようなら隣の席から分けてもらえ」
「はい」
「……頼むからそこで頷くな」
 まだ俺から魔力を吸うつもりか。というか、速水会の面々を刺激するような台詞は厳に慎んでいただきたい。……ああ、ほら。女の子からの敵意の視線が痛いから。

「モテモテだね、良。良かったじゃない」
「黙れ」
 ほんの少しだけ首を曲げて、後ろの俺に笑いかける霧子。こういう殺気のこもった視線を浴びてもモテモテとは言わないのだ、普通は。

「さて」
 龍也の話は終わり、と生徒の意識を教壇に集めるように少し声を大きくして、レンさんが生徒に呼び掛けた。

「今日は久しぶりに世界樹の葉が降ったな。みんな、見たか?」
 レンさんの問い掛けに、ほとんどの生徒は首を縦に振っていた。一番混み合う登校時刻よりは少し前だったので、見ていない人もいるかと思ったが、そうでもないらしい。

「風に舞うように踊る世界樹の葉。あの光景はなかなかに趣があっただろう。今日は理論講義の予定だったが、あの景観に敬意を表する意味で「風」に関する実技をやってみようか」
「げっ」
「よしっ」
 先生の台詞に思わずうめいた俺と対照的に、前に座る霧子は小さく拳を握る。霧子は実践派、俺は理論派……と言えば聞こえはいいが、霧子は理論が不得意で、俺は実践が苦手なのだ。

「桐島、元気があっていいな。良、お前はもうちょっと覇気を出せ」
 レンさんが呆れたように、俺と霧子の顔を見比べる。

「す、済みません。でも、天候で授業の内容を変えるのはどうなのかなーと」
「世界樹の葉が降った日には、魔力が回復しやすい傾向にあるからな。こういう機会を逃す手はないよ」
 ささやかな抗議の言葉をあっさりと受け流して、レンさんは意識の切り替えを促すためか、パンと手を叩いた。

「よし、じゃあ二人一組でペアになれ」
 号令の下、ざわざわと講義室がざわめき始める。こういう場合、隣の席同士でペアになるのが普通だが、中にはそう思わない人たちもいるわけで、そういう人たちが向けた視線の先には、ほかでもない我が親友の姿があった。

「速水君―――」
 そんな要領のよい誰かが龍也に声をかけようとする前に、

「龍也、組もうぜ」
「あ、うん。いいよ」
 俺は素早く人の良い親友に声をかけて、ペアの了承を取り付ける。と、その刹那、

「あー、ずるい!」
「神崎君、ずるいよ!」
「そこ、五月蠅いぞ」
「す、済みません」
 不平を口走った生徒にレンさんの叱責が飛んだ。人の良い龍也は、怒られた女の子に気の毒そうな一瞥を投げながらも、小声で俺に礼を言う。

「ありがと、恩に着るよ」
「別にいいよ。俺も今日は疲れてるし。お前と組んだ方が気が楽だ」
「なるほどね。でも、ありがと」
「そう言うことしてるから怪しい噂を立てられるのよ、あんたらは」
 と、これまた小声で、笑うのは霧子。そういう彼女本人は隣の席の女の子とペアを組んでいる。
 ……怪しい噂の内容については深くは考えないことにしておこう。どちらにせよ、朝に引き続いて授業中にも龍也に気疲れさせるよりはマシだろう。

 そんな小さな騒動のなか、生徒全員が他の誰かと向き合う体勢になったことを確認しながら、レンさんは指示を飛ばし始めた。

「ペアは組めたか? ……よし、じゃあ流体干渉から始めようか。勿論、扱うのは「風」だ。とは言え、風を起こすだけでは芸がないからな、多少は工夫をしてみよう」

 魔法。それは魔力を使用することによる法則の書き換えだ。

 無から有を生み。
 有を無へと変えてしまうように、物理法則を無視・改変することがその本質だと言われている。

「今回、作り上げるのは竜巻だ。大きさは手のひらで踊るくらい。風速は各自に任せようか。手のひらに穴が開かない程度には威力を抑えるんだぞ?」
 レンさんの冗談めかした注意に、くすくすと小さな笑いが教室に零れる。とは言え、笑う余裕のある生徒は教室の半分ぐらい。残り半分は、今から実現すべき魔法に、早くも意識を集中しかけている。

「さて、問題は持続時間だな。高等部になって「今更」と思うかもしれないが、魔法の持続時間は、難易度を決める重要な要素だ。決してその設定を軽く考えるな」
 魔法を長時間に渡って実現しようとするほど、その魔法を実現する難易度は跳ね上がる。例えば、町を丸ごと一つ空に浮かべて固定する、石を金に永続的に変換する、なんという真似はまず学生レベルでは実現できないレベルの魔法になる。

「書き換える対象になる法則、書き換えた後に実現したい法則、そしてそれを維持するための時間。その三要素が魔法の難易度を決める、初等部の頃から聞き飽きているだろうが、初心忘るべからず。常に自分の扱える魔力量と相談しながら適切な値を、項に設定しろ」
 確かにそれは初等部の頃から教え込まれてきたこと。だが、実際問題、その「難易度」を実感することはなかなかに難しい。
 だけど、自分が行使しようとする魔法の難易度は、適切に把握・設定しないといけない。魔法の難易度が上がると、それを実現するために使用される「魔力」もつられて上昇する。自分の体の中の魔力量を上回る難易度の魔力を行使した場合、文字通り「干からびる」ことがあるらしい。

「目標とする持続時間は……、そうだな、3分。それを実現できるように各自、風の強さを加減しろ。二人一組で交互に、五回。相方の魔力がつきそうなら、即座に魔法を中断させろ。できないようなら、大声で私を呼ぶこと。いいな?」
 てきぱきとした指示が教室に響き、生徒たちの表情からも笑みが消え、皆、その眼差しに力を込めていく。

「良。どうする? 僕、先にやろうか?」
「いや、たまには俺からやってみる」
「そう? なら、いいよ。良って風の扱いは得意な方だもんね」
「他に比べると、だけどな」
「腐らない、腐らない。ほら、神崎先生が見てるよ」
 俺の自嘲を、龍也が苦笑しながらなだめる。緊張をほぐしてくれる龍也の気遣いをありがたいと思いながら、正直、それに笑みで応える余裕はなかった。
 なにしろ「旋風」ではなくて、「竜巻」を実現しろ、と言ってきた。しかも、手のひらの上で、だ。実技苦手な俺にはなかなか難易度が高い注文なのだ。気を抜くわけにはいかなかった。

「では……始め!」
 レンさんの声。それが発せられると同時に、俺は目を閉じて、意識を自分の内側に集中する。
 集中の起点にするのは、胸の中央。体を巡る魔力の中心点を意識して、次いで体内の魔力の動きを捉えるために意識を広げていく。
 魔力の感じ方というものは人によって差があるものらしいが、俺の場合、たぐり寄せる魔力の感触は、血液に似た何か。冷たく、あるいは熱く、体の中を巡り流れるものが、俺の中にある魔力の形と動きだ。その動きを知覚しながら、さらにその流れを自分自身で制御し、体の一点に集まるように思考を紡いでいく。
 体を巡る魔力を、どこか一点に集めることは魔法を使うための基本的な手順だ。どこに集めるかはこれまた個人差があるし、また実現しようとする魔法によっても最適な場所は異なる。
 今回、使う魔法は「掌の上に小さな竜巻をつくる」、というもの。
 必然的に、魔力の流れを右の掌に集めるように思考を操り、同時に「魔法の言葉」……呪文を口にする。

 呪文。それは、世界の規則を上書きするための「規則」であり、一点に集めた魔力に形を与えるための「鍵」だ。

「……流れる風に足枷を」
 呟きと共に、イメージするのは現実を縛る法則の破棄。掌の上にある空気の動き流れるための規則に干渉し、ひびを入れ、その働きを止める。

「閉ざされし風には、螺旋の道を」
 間を置かず、脳裏に実現したい形を描きながら、仮初めの法をくみ上げていく。法則の組み立ては正確に、緻密に、迅速に。ひびを入れた「本物の」規則が息を吹き返す前に、ひび割れた規則の隙間に風が螺旋を描くための「道筋」を形作っていく。

「掌には、四方閉ざす壁」
 最後にイメージするのは、幻を現実に留めて置くための法則の施行。掌に透明の壁を打ち立てて、その範囲を限定する。
 そして。

「以て、風よ。道に従い、その箱庭に吹き荒れよ―――っ!」
 魔力によって組み立てられた法則の発動を命じながら、呪文の最後を語気強く、結ぶ。

 ―――ふわ。

 掌に感じる浮遊感。
 そして流れる風が、次第に勢いよく螺旋を描いていくのを瞳を閉じたまま、自覚する。

 ……できた。
 胸中で呟き、僅かな安堵に小さく手を握りかけた。

 でも、まだ気を抜いてはいけない。持続時間は、三分。正規の魔術師なら、呪文の発動とともに意識を解放しても思い描いたとおりの持続時間を実現できるが、見習いに過ぎない学生の身においては、最初から最後まで意識を魔力に集中させて、その行使を管理しないといけない。
 掌に感じる風の動きが変化しないように、魔力の動きを調節しながら、螺旋のイメージを脳裏に流し続ける。ドクドクと、掌が脈打つように熱くなるのは緊張のためか、魔法の余波か。その熱に、多少焦りながらも、必死で目標の時間が訪れるまで、魔力を掌に流し続ける。

 そして、

「三分」
 終わりを告げる、レンさんの声。その声に、俺は意識をほどいて目を開けた。掌はじっとりと汗ばんでいたが、渦巻く風に穴が開いている訳でも、やけどを負っているわけでもない。
 それを確認してから目の前の龍也に、おそるおそると目を向けて、聞いた。

「……、で、できてた?」
「うん。ばっちり」
 我ながら不安げな声に、にっこりと微笑みながら龍也が頷く。

「よしっ」
「良く出来ました―――、と言いたいが、一つ、要修正だ」
 龍也の頷きに思わず拳を握る俺の頭を、こん、と教科書の背で、軽くレンさんがつついた。

「な、何かまずかったでしょうか……?」
「魔法の正否を他人に確認してどうするんだ。お前、一度も目を開けなかったな? 内面ばかりに意識が行き過ぎている証拠だぞ」
「しゅ、集中しようと思って」
「集中するのは重要だが、あまりに目の前の現象から目を背けるのはマイナスなんだ。自らの内面を、現実という外面にかぶせるのが魔法なら、内面、外面のどちらかから目を離すのは自殺行為になる。まあ、これは今まであまり注意しなかったことだけどね。他にも何人か、目を閉じてた者がいるな?」
 教室を見回すレンさんに、何人かが気まずそうに顔を伏せる。その様子を目に捉えながら、レンさんは教壇へと歩きながら言葉を続けていく。

「今までは、内面の形成に重点を置いていたから五月蠅くは言わなかった。しかし、もう高等部の二年なんだ。そろそろ自分の内と外、両方に意識を拡散できる訓練もした方がいい……では、交代だな。今言ったことを忘れずに。始め!」

   $****$

3.悩める子供達

「つ、疲れた……」
 昼休み。
 レンさんの講義が予定外の実習だったせいか、昼飯を食べ終わった俺はぐったりと中庭のベンチに横たわっていた。
 うららかな日差しの下、仄かに緑が風の下、力なく倒れ伏す俺に、霧子が今日何度目かの溜息を零す。

「だらしないなあ。成功も一回だけ。しかも、午前中の授業で疲労困憊なんて、ホントに魔法院の生徒?」
「うるさいなあ……意識は一つなんだから、内と外なんかに集中できるか」
 痛いところをつかれて自然、答える声が尖る。
 霧子の指摘通り、結局、レンさんの講義で俺の魔法が成功したのは最初の一回だけ。「外にも意識を」なんて慣れないことを意識したせいか、手の平に生まれたのは竜巻どころか、そよ風だった。……いや、そよ風だったのかのさえも怪しかったけど。

「それは、あんたが不器用なだけよ。ね、龍也もそう思うでしょ」
「あはは、ノーコメントで」
 ちなみに霧子は5回中4回成功。龍也に至っては全て成功だ。だがそんなことを鼻にかけない龍也に、霧子は不満そうに口を尖らせる。

「なによ。事なかれ主義なんだから。龍也はもっと威張って良いに」
「事なかれ主義の何が悪いー」
「何であんたが切れるのよ。良」
「自覚があるからだ、勿論」
「そんなことで威張るな」
 言いながら霧子の手刀が俺の額に落ちる。

「痛いな。何すんだよ」
「うるさい。気合いよ。気合い……、って、あれ? ちょっと、良」
「うん?」
 不意に声の調子を改めて、霧子が俺の額に手を当てると、そのまま顔を覗き込んできた。

「な、なんだよ?」
「あんた……平気? 大丈夫?」
「いや、だからバテてるけど」
「そうじゃなくて……いつもより疲れた顔してるわよ。大丈夫?」
「……別に。大したことないよ」
 流石に、こういう所は目ざといな。やはり伊達に陰で「姉御」なんて呼び方をされていない。

「そう言えば、朝もそうやって倒れてたわね」
「良、調子悪いの? 大丈夫?」
 霧子の指摘に、龍也も狼狽しながら俺の顔を覗き込む。

「ゴメン、僕、気付かなくて……保健室行く? 肩かすよ?」
「いや、大丈夫。心配ないよ」
 心配してくれるのはありがたいが、大げさすぎるし、ちょっと顔が近いぞ、お前ら。
 あまり寝そべり続けていると、大事になりそうな気がしてきたので俺は慌ててベンチの上に体を起こした。が、まだ心配そうに龍也は俺の顔色を伺う。

「本当に大丈夫?」
「だから、大丈夫だって。さっきのは、そんなに疲れてないから」
「ふーん?」
 そんな俺の返事に何か思い当たったのか、霧子は意味ありげに口元をゆがめた。

「なるほど。「さっきのは」か。つまり朝から綾ちゃんとしたんだ」
「……正解」
 疲労の原因は、多分、魔法の授業より前に綾とレンさんと魔力交換したことにある。言ったとおり魔力交換が下手なので、あの行為が少々尾を引いていたりするのだ。
 でも、それは別に隠すようなことでもないので、霧子に素直に頷き返すと。

「あ、綾ちゃんとしたの?!」
「うおっ?!」
 不意に大きく響いた声に、俺と霧子が慌てて龍也に振り返る。

「お、脅かすな、龍也」
「驚いたのはこっちだよ。ほ、ほんとに綾ちゃんとしたの?」
「したけどさ」
「う、ええ?」
「なぜ、狼狽える」
「いや、別に? 別にうろたえてなんか無いよ?! でも、兄妹で……い、いいのかな?」
「……一応、念のために言っておくが、綾としたのは「魔力交換」だぞ……?」
 なにか龍也がすさまじい勘違いをしている気がして、俺は半眼で奴の顔をのぞく。すると案の定、龍也は自分が何かを勘違いしていたことに気づいたようで、

「え、あ……い、嫌だな。そんなこと分かってるよ。はは」
「……」
「……」
 露骨に視線をそらす龍也に、俺と霧子は黙ったまま二人で目を見合わせた。

「……」
「……」
「な、なんだよ、二人ともその目は」
「別に」
「別に」
「だから、勘違いなんかしてないんだってっ!」
「へえ」
「そうなんだ」
「し、信じてくれないの?!」
「勿論信じるけれどさ。幾らなんでも魔法で疲れた、という話から、『そっち方面』の事柄を連想するのは、想像力が逞しすぎないか?」
「だ、だから違うんだって……」
 心なし頬を赤く染めつつ、龍也は拳を握って否定する。

「わかってる、わかってる。とりあえず、あんたにそう言う属性があるのは理解した」
「だ、だから……そもそも、そういう属性ってなんのことだよ」
「大丈夫。友人として秘密にしておいてあげるから」
「秘密にしてもらうことなんかないよっ! 一体、何の勘違いしてるんだよ! 霧子は」
「え? そういう禁忌が好きなんでしょ。近親相姦」
「そんな属性はないよ! あと、女の子がそんな言葉言っちゃ駄目だよ!」
「ふーん。じゃあ、あんたの部屋に行ってもいい?」
「な、なんで?」
「エロ本を探すのよ。決まってるじゃない」
「やめい」
 調子に乗ってきた霧子の頭を、龍也の代わりにぽかり、とはたく。……今日、他人様の頭を叩いたのは何回目かなあ、なんて思いが脳裏をかすめるが気にしないでおこう。

「なによ、もう。叩くこと無いじゃない」
「お前が悪のりしすぎなの。男の部屋でエロ本探すなんて残酷な真似はやめなさい」
「じゃあ、良の部屋で探す」
「人の話を聞いていなかったのか、お前は」
 そんな突っ込みに、霧子が盛大にため息をついて腕をくむ。

「だって、良も龍也も一向に彼女作らないしさ。ちゃんと女の子に興味あるの? あんたたち」
「失礼な」
「あ、あるよ、ちゃんと」
「ほんとにー?」
 そろって否定する俺達に、しかし霧子はやけに疑わしげな視線を向けてくる。

「なんだよ、その疑いの眼差しは」
「まあ、龍也は信じても良いわよ。不特定多数の女の子に囲まれてるし、さっきみたいにソッチ方面の欲求も豊富みたいだし」
「ありがとう……って、そんな信じられ方、嬉しくないよっ!」
「まあ、龍也の主張が認められたのは良いとして……霧子」
「だから、良くないんだけど……」
「良いとして」
「うう」
「俺の主張が認められないのは何故だ」
 そう指摘する俺に、霧子は「やれやれ」とばかりに、肩をすくめて目を細めた。

「だって、現に彼女いないでしょうが。あんた」
「お前……彼女居ないという事実を、女に興味がないなんていう仮説に結びつけるなんて暴論も良いところだぞ?」
 世界中の数割を敵に回す発言をしたのかわかってるのだろうか、こいつは。

「そもそもお前だって、彼氏いないだろうが。ちゃんと男に興味あるのか?」
「……」
「何故、そこで目をそらす」
「たまに自信なくなるのよね……毎週のように女の子から迫られるとさ」
「……そ、そうか」
 桐島霧子。そのさっぱりとした性格と、面倒見の良さから、「女の子」たちから多大な人気を誇るのだった。龍也の人気が凄すぎて、目立たなくはなっているものの、霧子自身も下級生を多数のファンをもつ魔法使いだったりする。まあ、霧子ファンの女の子は、速水会の面々より攻撃的(アグレッシブ)ではないので、見た目平穏な日常を送っているように見えるのだが、なかなか苦労が忍ばれる発言だった。

「ま、それは冗談よ、冗談。私にそっちの気はないから安心しなさい」
「そうか。一瞬、信じかけた……痛て」
「余計なひと言は言わなくて宜しい」
 再び俺の額に霧子の手刀が落ちる。

「まったく。ねえ、龍也。こいつに発破をかける意味でも、あんたが先に彼女作ったら?」
「自分は度外視か……って、だから痛いっての」
 バシバシと連続で俺の額に手刀をたたき込み始めた霧子に、龍也は軽く頬を掻きながら苦笑した。

「まあ、僕も当分はそういう気にはなれないかなあ。ほら、今の状態で特定の彼女を作ったりすると、ね」
「そっか……まあ、そうかもね」
 そこで言葉を止めると、龍也は霧子と目を見合わせて小さな苦笑を交わした。お互い慕ってくれる相手が多いだけに、下手に相手を絞ると騒動が起きる、ということだろうか。
 やはりここまでいくと羨ましいなあと思うよりも、大変すぎてやっぱりいいや、が羨望の気持ちを払拭してしまう。まあ、金持ちには金持ちの、貧乏人には貧乏人の苦労がある、ってことで納得しておこう。

「あ、でもさ。いっそのこと速水会の全員に手をつけちゃえば? いいじゃない、ハーレムみたいで」
「……それは止めとけ。自殺行為だから」
「なんでよ。男の夢でしょ? そういうの」
 さらりと宣う霧子に、俺はこめかみを押えながら首を横に振る。

「今日、その夢の果てに、小坂さんが干からびてるのをみた」
「……うわあ」
「ほ、本当?」
「本当。もの凄く血色悪かった。まあ、ダイエットにはいいかもな。龍也、痩せたいのか?」
 俺の脅しに、龍也はぶんぶかと勢いよく首を横に振りたくる。対して、霧子は軽く戦きながらも、なお自説を棄てていなかった。

「でも男なら、それも本望じゃないの?」
「お前はアレを見ていないから、そんなことが言えるんだ……」
「そ、そんなに……?」
 潜めた声に、ますます怯える龍也を横目に見ながら、「まあ、確かに、ある意味では本望っぽくはあったけど」という余計な感想を付け足すのは控えておく。多少脅しが過ぎるような気もするけれど、親友が干からびるのを見るよりはマシだろう。

 と、俺が友人二人が無謀な未来を夢みることがないように諭していると―――。

「いや、男ならあれを目指すのが正しい姿だぞ、良」
 そんな俺の気遣いを根本から粉々にするような台詞が、横合いから割り込んだ。

「レンさ―――先生」
 声に振り向けば、いつから居たのか、レンさんが腕を組みながら、俺達の方へと呆れた視線を向けていた。中庭に吹く風に黒銀の髪をなぶらせながら、彼女はこちらに歩み寄り、そして大げさに溜息をついてみせる。

「前から思っていたが、どうしてお前たちはそう消極的なんだ」
「そうですよねー」
 我が意を得たとばかりに、レンさんの言葉に同調する霧子。そんな彼女の頭をレンさんは軽く指で突いた。

「桐島。私は「お前たち」と言っただろう? 当然、お前も対象だぞ」
「えー、私、消極的ですか?」
「……さっきの会話を聞いていたんだけどな。彼氏、いないと言っていただろう?」
「うっ。彼氏がいないのと、消極的なのをイコールで結ぶのは暴論だとおもいます……」
「お前、さっきと言ってることが違うだろうが」
「うるさい」
 余計なことを言うなと霧子が俺を睨むのを横目に、レンさんは僅かに口元を綻ばせた。

「まあ、それでも速水と桐島はまだいい方か。「交際相手」はいなくても、「交換相手」は多いからな。魔法使いとしては特に問題はないだろう」
 レンさんは、そこで言葉を句切ると、俺に改めてもの言いたげな視線を向ける。

「で……、良。お前の交際相手は何人だ」
「……いませんけど」
「じゃあ、交換相手は何人だ?」
「だから、えーと」
「5人ですね」
「5人ですね」
「……なんで、お前らが答える?」
 即座に答えてくれた霧子と龍也に呻きながらも、俺は返す言葉を持たない。
 俺が日常的に魔力を交換している相手と言えば、綾とレンさん。霧子に、龍也。あとは綾の友達の佐奈ちゃんぐらいで、確かに五人なのだから。

「家族が二人。腐れ縁の友人が二人。まともな相手は一人だけか」
「いや、まともな相手って……」
 別に魔力の交換相手は異性である必要もないし、恋愛感情を持たないといけないわけでもない。そもそも決まり決まった魔力の交換相手が1人もいない魔法使いだっているにはいるのだ。個人的には5人もいれば十分すぎると思ってるんだけど……。
 しかし、そんな俺の覇気のなさを見抜いたのか、レンさんは軽く眉をしかめて俺を見た。

「良」
「はい?」
「私の息子なんだから、もう少し甲斐性をもて」
「別に良いじゃないですか。そもそも彼氏や彼女がいない奴なんて、魔法院にごまんと居るでしょう? 決まった交換相手が居ない奴だって……」
「だから、そいうい奴らと比較してる訳じゃない。私の息子なら、と言っているだろう?」
 やれやれ、と溜息をつきながらレンさんは、俺の頬に手を添えた。

「……レ、レンさん?」
「素材は悪くないんだがなあ……それとも、五人の内に、やっぱり好きな子でもいるのか? だったら話は別だ。多数の人間と魔力を交換するより、その一人と深く交換したい、という気持ちはわからなくもないからな」
 その「五人の中」に家族が二人と、男が一人が含まれていることをわかって言ってるのだろうか。この人は。

「あのですね」
 溜息を殺して視線を動かすと、親友二人が、すました表情を装いながらも、興味津々な視線を向けているのに気付いた。どうやら俺がどう答えるかが楽しみで仕方ないらしい。
 ……こいつらは。ならば、少し捲き込んでやろう。

「霧子」
「な、何?」
「好きだ。愛してる。結婚してくれ」
「死ねよ」
 思い切った告白への返礼に、思いっきり脛に蹴りを入れられた。

「って、ホントに痛いだろ! 加減しろ!」
「うるさい! 痛くしてるんだから、痛くて当たり前でしょうが!」
 流石に少々軽率な言葉だったのか、霧子は顔を僅かに赤らめて怒りに息を荒くする。

「霧子、先生の前だから。ね、落ち着いて」
「うっ……」
 猛る霧子を宥めながら、龍也がなぜか朗らかに笑って、俺に声を向けた。

「これはまた壮絶に玉砕したね。良」
「決死の告白だったのにな」
「本当に死んでしまえ! ばか!」
「わ、こら、蹴るなって」
 さらに激しく蹴りを繰り出す霧子の足を、後ろに飛んで寸前で躱す。

「こんな文脈で告白されて喜ぶ女の子がどこにいるって言うのよ」
「わかった、悪い! 俺が悪かった、ごめん」
「うるさい! 反省してないでしょ、あんた」
「してるしてる」
「誠意が見えないっ!」
「よし、二人ともそれまで」
 と、流石に見かねたのか俺と霧子の間にレンさんが割って入った。先生に直接、制されては暴れるわけにはいかないのか、霧子は「命拾いしたわね」と言わんばかりの視線で俺をにらみつける。いや、何故にそこまで怒るのか。

 ……まあ、後でちゃんと謝っておくのが無難かも知れない。
 少々、ビビリながら反省する俺を尻目に、レンさんは「ふむ」と何かを考え込みながら霧子の顔を覗き込んだ。

「桐島」
「な、なんですか」
「同性愛者という噂は嘘なのか?」
「信じないでください、そんな噂っ!」
「そうか。なら、やっぱりそうか」
 などと一人だけで納得しているレンさんは、そのまま、ぽん、と俺の肩を叩いた。

「まあ、とにかく、だ。せっかくこんな場所(魔法院)にいるんだ。いろんな人と触れ混じることはマイナスにはならないよ。魔力の質を高める意味でも、勿論、それ以外の意味でもな。少しは速水を見習って見境無く異性を、桐島を見習って見境無く同性をおそってみても構わないんだぞ」
「構います」
「というか、僕、襲ってません!」
「私も襲ってません! 加えて、同性愛者じゃないんですってばっ!」
「おっと、昼休みも終わるな。お説教はほどほどにしておくか」
「だから、先生、聞き流さないでください!」
「そうです! 人の話を聞いてください!」
「あ、そうそう。あ、肝心な用件を忘れるところだった」
 本当に「柳に風」と生徒二人の抗議を受け流しながら、レンさんは俺の方へと向き直る。

「なんでしょう」
「今朝私より遅れたからな。ちゃんと今日の家事はするんだぞ?」
 鬼か、この人は。

   $****$

「もう……本当に。神崎先生ってああ言うところ、何とかならないのかなあ」
「まあ、ああ言う人だからな。諦めろ。霧子」
「あ、あはは。良が言うと説得力あるね」
 言いたいことだけ言って、さっさと去っていったレンさんを見送りながら、俺達三人はそうぼやいた。
 本当に嵐みたいな人だな。我が母親ながら。

「でも……レンさんのことだからちゃんと意味があるのかも」
 ふむ、と腕を組んで考え始める霧子に、俺は「どうだろうな」と首をひねって応じる。
 レンさんの言葉の意味。冗談の部分を差し引いてきちんと意味のある部分があるとしたら……

「……確かに、幅が少なすぎるのかなあ」
 結局は、俺に対するその警告がしたかった、という事になるのだろう。そう結論づけて俺が呟くと、霧子と龍也が少し驚いたように目を開いた。

「え?」
「あれ?」
「いや、ほら、今日、俺、レンさんの授業でほとんど失敗しただろう? だからああして忠告に来てくれたのかなあって」
「う、うん。まあ」
「……ま、まあ、そうかもね」
 と多少の自戒を込めた俺の台詞に、何故か二人は僅かに動揺したように目を泳がせて、

「なんだよ、その反応は。さっきまで覇気がないとか言ってなかったか?」
「そうだけどさ……あ、そうそう。いきなり無茶は良くないんじゃないかなって。ほら、今日も疲れてるし」
「そうそう。危なっかしいのが良の良いところだしね」
「そう、焦らなくても良いんじゃない? のらりくらりが良っぽくていいし」
 レンさんが来る前とは微妙に方向性が違う二人の返事。

「……どういうフォローなんだ。それは」
 それに何とはなしに不自然なものを感じつつも、まあいいやと、二人に笑って頷いた。

「まあ、確かに。事なかれで済むなら、それに越したことはないよな」
 午後の授業が始まる少し前。
 風吹き抜ける中庭で、緑の息吹を感じながら、俺はそんな風にまだまだ、日々は平穏なまま続くのだと信じていた。


 でも、少しだけ。
 そうほんの少しだけだけど、「もう少し幅を広げないといけないかなあ」、なんて思いは、この時から俺の胸の中に蟠ることになったのだった。


(続く)

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