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  魔法使いたちの憂鬱

       第二十一話 会長さんの方針

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/1.女性陣待機中(篠宮鈴)

 一体、セリアは何をするつもりなんだろう。

 神崎さんと速水さんの二人組が仲良く連れ立って、階上に姿を消した後、私はセリアの意図を推し量るために思考を巡らせていた。神崎さんとの関係を改善するために魔法を教えに来た、という事は勿論分かっているが、果たしてセリアは今のこの状況を予想していたのだろうか。そう思いながら私はリビングの中で視線を巡らせる。
 女性陣だけが残されたリビング。そこには、どこか薄い緊張感のようなものが漂っていた。中でも一番ぴりぴりとした雰囲気を醸し出しているのは綾さんだ。しかし、桐島さんの緊張度合いも負けてはいないように思える。二人とも表面上は平静を装っているが、互いを、そしてセリアの様子を伺っているのは見て取れた。
 対するセリアはと言えば、相変わらず悠然とした態度のまま、リビングにかけられた小さな額縁に目を遣っている。彼女のことだから綾さんや桐島さんの視線に気付いていないわけは無いだろうが、それに気付いていない素振りを見せている所をみると彼女たちがどんな行動に出るのかを愉しんでいるのかもしれない。

 ……本当に気ままなんだから。
 私は胸中でそう溜息を零しながら、綾さんの隣に腰掛けるもう一人の一年生の方に視線を向けた。綾さんの友達だという彼女は、あまり感情の読めない表情で紅茶のカップを両手で抱えたまま、中空に視線を漂わせている。ぼんやりとした雰囲気を感じさせるが、上級生三人を目の前に緊張した様子を見せていない辺り、なんだか不思議な印象を抱かせる下級生だった。

「そういえば、自己紹介がまだでしたね」
 互いが互いの出方を伺うような沈黙。そんな空気を不意にセリアの声が打ち破る。彼女は今まで見ていた絵画から視線を外して、綾さんの隣に佇む一年生へと向けて、優しい口調で微笑みかけた。

「いきなり押しかける形になってご免なさいね。あなたは綾さんのお友達なのかしら」
「はい。泉佐奈っていいます。綾ちゃんとクラスメートで親友です」
「そう。よろしくね。私は紅坂セリア。そして彼女が私の親友の篠宮鈴よ」
「篠宮です。よろしくお願いします」
「はい、こちらこそ、よろしくお願いします。先輩方」
 セリアと私の挨拶に、泉さんがぺこり、と丁寧にお辞儀を返してくれた。その振る舞いは礼儀正しいが、しかし、萎縮してはいない。そんな泉さんの様子に私は軽く舌を巻く。初対面でセリアに直接声をかけられて動揺も萎縮もしない下級生というのは中々に珍しいからだ。ひょっとしたらただ単に内心を表面に現わしていないだけなのかもしれないけれど、もしそうだとしても、その自制は大した物だと思う。
 泉佐奈さん、か。私が軽い感心と共に彼女の名前を脳裏に刻むと同時、今まで口を閉ざしていた綾さんが意を決したような面持ちでセリアに向かって口を開いた。

「それで……、会長さんはどういったご用件でしょうか」
「やっぱり綾さんは、焼きもちをやくタイプなんですね」
 ほんの少し尖った声での綾さんの問いかけに、セリアは少し口元を緩めてそんな答えを投げ返す。はぐらかすようなセリアの言葉に、綾さんが少し鼻白んだように眉を軽くしかめた。

「それは、どういう意味でしょうか」
「私の用件なんてわかっているのに、殊更にそうやって問いただすんですもの。だってあなたには直接言いましたものね? 私」
「う」
 セリアに図星を指されて、綾さんは僅かに頬を赤らめて言葉を詰まらせる。そんな彼女の言葉を継ぐように、桐島さんが横合いから代わりに問いを投げかけた。

「用件って、良に魔法を教える、ってことですか?」
「ええ。そのつもりなんですけれど……桐島さんは、どうしてそのことを?」
「あ、良から訊いたんです」
「そう。ふふ、じゃあ、そのことはきちんと神崎さんに伝えてくれたのね。綾さん」
「それは……、はい」
 流石に「仕方なく」とは言わなかったけれど、彼女の態度がそう告げていた。先日、セリアが彼女の前で「神崎さんに魔法を教える」と言い出したときにも、綾さんは「必要ない」というような態度を示していたが、その思いはまだ変わっていないようだった。
 セリアもそれは感じ取ったのだろう。少し首を傾げながら、確認するように綾さんに声かけた。

「神崎さんはその話を聞いて反対したのかしら?」
「いえ、そういう訳じゃないですけれど」
「そう。よかったわ」
「あ、でも、それなんですけれど……私も兄さんに魔法を教えることになりました。というか、もう教えています」
「あら、そうなの?」
「はい」
「……」
 綾さんの台詞を耳に、私は少し眉をしかめた。彼女は、セリアが神崎さんに魔法を教えるつもりだという事を知っていた。その上で、セリアより先に神崎さんに魔法を教える、という行動に出たという事になる。つまり、綾さんは、セリアの申し出をどうしても拒絶したい、という事なのだろうけれど……。それは一体何故なのか。
 セリアの強引な行動に反感を抱いたのか。あるいはそれ以外の理由があるのか。綾さんの意図を私が想像する傍らで、当のセリアはと言えば気分を害した様子も見せずに、事も無げに頷いて見せていた。

「そう。それは、いいんじゃないかしら」
「え?」
 そんなセリアの様子に、綾さんは少し拍子抜けをしたような声を漏らす。ぱちぱちと何度か瞬きを繰り返した彼女は、ゆっくりと確認するようにセリアに問いかけた。

「……いいんですか? 私が教えちゃっても」
「ええ。実際、綾さんなら神崎さんより実力はあるでしょうしね。適任だと思うわよ」
「じゃあ、会長さんは」
「色んな人から教えを受けるのは、悪い事じゃないと思うし」
「はい?」
 セリアの意図がつかめなかったのか。一瞬、気の抜けた声を漏らした綾さんは、次の瞬間には慌てた様子でセリアの顔を見つめていた。

「え? あの、私が教えるんだったら、会長さんはもう手を引くってことじゃないんですか?!」
「どうしてそうなるのかしら」
「どうしてって、兄さんには私が教えるんですよ? だったら……」
「別に神崎さんに魔法を教えるのは一人でないといけない訳じゃないでしょう?」
「そ、それはそうですけどっ! でも、兄さんだって二人に教えて貰うとかになると時間の都合が」
「時間のことなら心配しなくても大丈夫よ。私も毎日付きっきりで教えられる訳じゃないもの」
「で、でも……」
「それに、その辺りのことを決めるのは結局、神崎さんですものね。ここで議論しても仕方ないんじゃないかしら」
 あくまで自分の提案を取り下げるつもりはない。言外にそう告げながら、笑顔のままでセリアは綾さんの意図を退けてのけた。綾さんの方はと言えば、セリアの言葉に反論する余地を見つけ出せていないのか、目に見えて表情を曇らせて口ごもる。そんな綾さんの態度を見かねて、私はセリアに向ける視線を少し強めた。

「セリア。程ほどにしてください。後輩をからかうのは感心しませんよ」
「だって、綾さんったら神崎さんの事になると、とても可愛い反応をするんだもの」
「セリア」
「わかったわよ。怖い顔しないの」
 私が声を強めると、セリアは軽く肩をすくめてから、綾さんに向かって小さく頭を下げた。

「綾さん、気を悪くしていたらごめんなさいね。綾さんがかわいらしかったから、つい意地悪を言ってしまいました」
「え?……からかってたんですか?」
「半分はね。でも、半分は本音よ。だってまだ神崎さんに提案もしていないのに、綾さんに門前払いされるのは悲しいもの」
「でも」
「だから、焦らないの。決めるのは神崎さん自身に任せれば良いんじゃない?」
「……わかりました」
 諭すようなセリアの言葉に、少しの間を挟んでから、綾さんはゆっくりと首を縦に振った。納得した……という風には見えないが、結局「神崎さん自身に任せる」という部分に頷かざるを得なかったのだろう。どうやら本当に、綾さんにとってお兄さんは最優先の事柄になるらしい。

「本当に……、綾さんは、お兄さん思いなんですね」
「はい、勿論です」
 思わず漏らした私の言葉に、綾さんは躊躇することなく頷いた。どこか誇るような綾さんの態度に、それを見るセリアの瞳がほほえましいものを見るように少し細まった。

「あなたたち兄妹は本当に仲が良いのね、羨ましいわ。家の兄も引き取ってくれないかしら」
「会長もお兄さんがいらっしゃるんですか?」
「ええ。変なのが」
「へ、変なの……ですか?」
 セリアの物言いに、綾さんが戸惑うように視線を泳がせた。まあ、いきなり「変な兄が居る」と言われても反応に困るのは仕方ないだろう。尤もこの場合、セリアの発言が不適切だというわけではない。彼女が言っているのは十中八九、カウル様の事だけど、あの方を形容するのに一番適している言葉は、確かに「変な人」だろうから。

「そうだ。綾さんは年上に興味はないかしら」
「え? あの、どういう意味ですか?」
「家の変な兄を引き取って欲しいんです」
「え、ええ?! 引き取るって、その……?!」
「変な人だけど 魔法使いとしては優秀よ? どうかしら。まあ、全ての長所を差し引いてマイナスにするぐらいに変人だけど」
「いえ、結構です」
「遠慮ならしなくて良いのよ?」
「遠慮なんかしてませんっ!」
「そう。残念」
 綾さんの拒絶に、セリアは少なからず落胆した様子を見せながら、小さく息を零した。ひょっとしたら冗談ではなく、本当にカウル様を綾さんに紹介しようとしていたのかもしれない。
 確かにカウル様は独り身で、親しい女性がおられる、という話は聞かない。だから妹として不安になる気持ちは分からなくはないけれど……。それにしてもカウル様はもうすぐ四十代になられるのではなかっただろうか。いくら何でも綾さんに勧めるのは年齢が離れすぎているように思う。まあ、紅坂の方々の中には二十歳以上の年の差があるご夫婦も少なくはないのだけれど。

「じゃあ、桐島さんはどう?」
「遠慮しておきます」
「そう、残念ね」
 桐島さんの拒絶に頷きながら、しかし、セリアはふと思いついたように目を開いて、桐島さんを見つめた。

「そう言えば、一度、桐島さんに聞いておきたかったのだけど」
「何でしょう」
「桐島さんは女の子にしか興味はないという噂は本当なの?」
「だ、誰がそんな噂をしてるんですかっ?!」
 セリアの言葉に、桐島さんは見る間に頬を赤くして、慌てた様子で首を横に振る。

「私は至って普通ですから。そんな趣味なんて無いです」
「そうなの? でも、慕ってくれる娘は多いんでしょう?」
「それでも、私にそう言う趣味はありませんっ!」
「あら、勿体ない」
「そういう問題じゃないです!」
「あの……霧子さん?」
「な、なに?」
 必死に否定を繰り返す桐島さんに、横合いから綾さんがなんだか真剣な面持ちで口を挟んだ。

「本当に違うんですか?」
「違います! もう、綾ちゃんまで変なこと言わないでよ」
「あはは、そうですよね。ご免なさい……ふう」
「……なんで、残念そうなの?」
「え? そんなこと無いですよ? ただもしそうなら色々と問題が解決するというか何というか」
「綾ちゃん?」
「こほん。なんでもないです」
 訝しげな桐島さんの視線に、綾さんは誤魔化すような咳払いを一つしてから、今度はセリアの方に言葉の矛先を向ける。

「でも、それだったら、会長さんこそどうなんですか?」
「私?」
「はい。会長さんこそ、その……女の子にしか興味がないんじゃないかっていう噂ありますよ」
「あ、私もそんな噂、聞いたことある。その辺、どうなんですか?」
 綾さんの問いに、反撃とばかりに桐島さんも身を乗り出してきた。そんな二人に、セリアは小さく微笑みながら首を傾げるような仕草で応じる。

「そうね。その噂は私も聞いたことはあるのだけれど……どうなのかしら。そう言われると、確かに好きになる子は女の子ばかりかしら。ね、鈴」
 そういってセリアは意味ありげに私の方へ視線を向けて微笑んだ。……ここで私に振られても困るのだけれど。

「問題なのはセリアのことでしょう?……私に訊かれても困ります」
「あら、私のことは鈴の方がわかってるじゃない」
「そんな事実はありません」
「あの……えーと、お二人はその、本当にそういう関係なんですか」
 私たちのやり取りに本当に興味がわいたのか、綾さんが少し頬を赤らめて問いを重ねてきた。そんな綾さんの態度がおかしかったのか、セリアは軽く口元を隠して微笑みながら、はぐらかす言葉を彼女に返す。

「その辺はご想像にお任せするわ」
「私とセリアは友人です」
「む。随分、つれないのね、鈴」
「セリアは余計なことを言わないで下さい」
「はいはい。あ、でも、男性に興味がないという訳じゃないわよ? ね、桐島さん」
「何で、私に振るんですか?」
「だって貴方も関係者だもの」
「関係者って……、それ、龍也のことですか?」
「ええ。あんなに一生懸命男性にアプローチしたのは初めてのことだったのに」
「え? じゃあ、会長さんは龍也のこと……?」
「どうかしら」
 桐島さんの問いかけに、セリアはあご先に手を当てて少し考えるように視線を伏せた。

「手元に置きたいと思ったのは確かだけれど、恋愛感情とまでは行っていない気はするわね」
「あの、お聴きして良いですか?」
「? ええ、どうぞ」
 不意に、会話に割り込んできた声は、今まで黙って話を聞いていた泉さんのものだった。感情の読めない、曖昧な光が揺れる眼差しでセリアを捉えたまま、彼女は淡々とした口調でセリアに問いかける。

「会長さんは、どんな男性が好みなんでしょうか」
「……」
 率直な問いかけ。その物言いに私は少し感心した。正直、セリアに向かってこの手の問いを正面から投げかける人物は少ないのだけれど……この娘は物怖じはしない性格なのだろうか。
 そんな私の感想をよそに、綾さんと桐島さんもこれ幸いとばかりに身を乗り出して、泉さんの問いかけに食いついた。

「あ、それ、知りたいです」
「私も興味あります」
 ただの好奇心、というには、二人の瞳に覗く光は真摯なものを帯びている気もする。おそらくは、セリアの好みが彼女たちの意中の人と一致するかどうかを、見極めようというのだろうけれど。さて、セリアはどう答えるつもりなのだろう。
 熱を持って自身を見つめる三対の視線に、セリアは一瞬、考えるそぶりを見せてから、ゆっくりと答えを口に乗せた。

「そうね……強いて言えば、見るべきものがある人、かしら」
「……それは、一芸に秀でている、ってことですか?」
「ええ。言い返せば、普通の子にはあまり興味はないの」
「なるほど……」
「そうなんですか」
 セリアの返事は曖昧だったが、それでも綾さんと桐島さんの表情には一瞬、安堵の色が浮かんだように見えた。おそらく神崎良という人物がセリアの好みの範疇から外れていると判断したからだろう。確かに神崎さんに関しては、際だった才能がある、という情報はないから彼女たちが安堵する気持ちはよく分かった。
 尤も、それで安堵するのは早計かも知れないけれど。だって今現在、セリアは「神崎さんは普通ではない何かを持っているのでは」と予測、あるいは期待しているのだから。

「ですから、残念ながら神崎さんには、恋愛感情は抱かないわね」
「そうですよね。うん、兄さんって普通ですもんね」
「ええ。普通よね。今はまだ」
「……はい?」
 含みを持たせたセリアの言葉。その意図を感じ取ったのか、機嫌良く頷いていた綾さんの首の動きが、瞬く間に硬直した。その彼女の反応が面白かったのか、セリアは僅かに目を細めると、笑いを堪えるような表情のまま続けた。

「だって、私が魔法を教えるんだもの。だったらいつまでも「普通」の範疇に居て貰っては困るでしょう?」
「え、ええ?!」
「そうね。神崎さんに魔法を頑張って教えれば、その内、綾さんに「お姉さん」って呼んで貰えるようになるのかしら」
「なりません! そんなの、頑張らないでください!」
 そんな綾さんの悲鳴のような言葉が、リビングに響いた刹那。

「なんだ、頑張らないのか?」
 ドアの開く音と共に神崎蓮香先生が、姿を見せた。

「あ、母さん。お帰りなさい」
「先生。こんにちは」
「お帰りなさい、先生」
「お邪魔しています」
「大勢で押しかけて申し訳ありません」
 口々に挨拶して慌てて腰を浮かせる私たちに、神崎先生は「座っていて良いよ」と気さくに笑いかけて、自らもソファーにぽすん、と腰を下ろす。そして先生は、セリアの方に向かって確認するような言葉を口にした。

「紅坂は今日から、うちの息子に魔法の手ほどきをしてくれるのか?」
「はい。神崎さんが良ければそのつもりです」
「え? あれ? なんで知ってるの? 母さん」
「ん? ああ、例の事故の件で丁寧に謝りに来てくれたからね。そのときに、そっちの申し出も訊いた」
「それって何時?」
「今日の休み時間だよ。それより良はどうしたんだ? 速水も居ないみたいだが」
「兄さんは部屋を片づけにいってます。速水先輩はそのお手伝い」
「ほう」
 綾さんの返事になんだか感心したような声を漏らすと、神崎先生は意味ありげに口元を緩めてからゆっくりとした口調で言った。

「ということは、今、二人っきりというわけだな。良と速水は」
「……」
「……」
 ただ事実を確認するだけのどうということもない台詞。だというのに、綾さんと桐島さんは途端に言葉を失って、そして互いに顔を見合わせる。そして彼女たちが焦った様子でソファーから腰を浮かしたのはほぼ同時のことだった。

「あ、えーと、私、様子を見に行ってきます」
「わ、私も行こうかな」
 そういって慌てて二階へと向かおうとする二人を目にして、セリアは好奇に塗れた瞳を私の方へと向ける。

「……ねえ、鈴」
「はい」
「神崎さんと速水さんはそういう関係なの?」
「その手の噂なら訊いたことはあります」
「そ、そう……」
 私の返事に、セリアは少しだけ驚いたように声を詰まらせた。そんなセリアの様子に、神崎先生が愉しそうに目を細めて笑う。

「おや、紅坂もその手の話には食いつくのか」
「食いついてはいません。でも、そうですね。綾さん達が行くのなら、私もそろそろ、神崎さんのお部屋にお邪魔しようと思います」
「ああ、構わないよ。階段を上がって突き当たりが良の部屋だ。まあ、騒がしいだろうから直ぐに分かるだろう」
「はい。では、失礼します」
 先生には「食いついてはいない」、と答えていたセリアだったが、やはり好奇をくすぐられていたのか、いつになく足早に綾さん達の後を追っていった。そんな彼女に苦笑して、私も後を追おうと腰を浮かせる。と、そのとき。

「あの、先生」
「うん?」
「台所をお借りして良いですか? 紅茶を入れ直していきたいんです」
 一人、ソファーに腰掛けたままの泉さんが、神崎先生にそんなことを申し出ていた。

「ん? それなら私が……いや、そうだな。頼めるかな、泉」
「はい。ありがとうございます、先生」
 一度は断ろうとしていた神崎先生だったが、泉さんの言葉に何かを感じ取ったのか、口に仕掛けていた否定を取り消して、代わりに頷きを返す。そして泉さんは神崎先生の了解を受けてから立ち上がると、今度は私の方に物言いたげな視線を向け、そして言った

「あの、篠宮先輩。申し訳ありませんが、よろしければ紅茶の準備、お手伝いをお願いできませんでしょうか」と。


/2.台所で密談中(篠宮鈴)

「泉さんはよくこのお家に来られて居るんですか?」
 泉さんは慣れた手つきで、台所を行き来して手際よくお茶の準備を整えていく。どうやら台所の何処に何があるのかをほとんど把握しているようだった。そんな彼女の様子に、私は準備を手伝いながら問いかけていた。

「はい。勝手知ったる他人の家、です」
 私の問いに、淡々と答えるその表情は先程までと変わらない……ようにも見えるが、その実、少し和らいでいる気がした。やっぱりセリアを前にしている時は多少なりとも緊張していた、という事なのだろう。尤もそれは仕方のないことだとは思う。カウル様の言葉を借りるのなら、「セリアを前にして、ある種の威圧感を感じ取るのは、魔法使いとしての本能のようなもの」らしいから。
 
 だから、誰もがセリアを前にして身構える。例えセリア自身が、本当は、それを望んでいなくても。

「篠宮先輩」
「……はい?」
 一瞬、物思いに耽りかけた私は、泉さんの小さな呼びかけに意識を引き戻した。そして、声に振り向いた視線のさき、じー、と泉さんが落ち着いた瞳で私の顔を見つめていることに気付く。

「どうかしましたか? 泉さん」
「ひとつお聞きして良いでしょうか」
「ええ、どうぞ」
「篠宮先輩は良先輩のこと、好きなんですか?」
「……」
 先程までの何気ない話題を口にするときと、ほとんど変わらない言葉の響き。だから、一瞬、何を言われたのか掴めなくて、そして彼女の問いかけの意味を理解した瞬間、私は呆れとも感心とも付かない溜息と共に、小さくない笑みを浮かべていた。

「いきなり大胆なことを聞くんですね」
「先手必勝とか、単刀直入がおかーさんの教えなんです」
「なるほど」
 彼女のお母さんは、かなり行動的な人なのだろう。それが良いことなのか悪いことなのかは意見が分かれるだろうけれど、少なくとも泉さんはそのお母さんの教育方針に沿って成長してきたらしい。その教育の成果に敬意を表して、という訳ではないけれど、私は彼女の問いに素直に答えを返していた。
 
「私は特に、神崎さんに恋愛感情を抱いている、という訳ではありませんよ」
「……そうですか」
 答える私の瞳をのぞき込み、泉さんは一拍の沈黙を挟む。まるで、そこに嘘がないことを確認するようなその作業の後、泉さんは小さく頷いた。まるで私を試すかのようなその態度には、少し抵抗を感じたが、しかし、次の瞬間に彼女が見せた安堵の表情が、私から毒気を抜いてしまった。それは気を抜けば見落してしまいそうな、あまりに儚げな笑みに見えたから。

「わたしは……良先輩が好きなんです」
「そうですか」
「同じくらい綾の事も大好きなんです」
「そうなんですか?」
「はい。二人とも大好きです」
「……なるほど」
 泉さんの訥々とした口調の告白に頷きながら、私は彼女の意図に思い当たった。彼女が、わざわざ台所に私を呼びこんだ理由。それはつまり、私に釘を刺すため、ということなのだろう。「神崎さんと綾さんに手を出さないで欲しい」と。そう私に、そして間接的にセリアに伝えたかったに違いない。

 『泉さんは、本当に物怖じしない人なんですね―――』

 思わずそう口を突きかけた言葉。それを私はすんでの所で飲み込んだ。私を見つめる彼女の瞳。微かに震えるその瞳の奥には、ほんの僅かな恐れのような感情が見えたから。だから、きっと、物怖じしない、という形容は正しくないのだろう。
 最上級生に対してあまりにも不躾な問いかけを、非礼と承知しながら、なおも問いかけたのは、きっと畏れがない訳じゃなくて、勇気を振り絞った結果なのだろうから。

「理由を聞いても構いませんか?」
「理由、ですか?」
 私の言葉が意外だったのか、泉さんは、きょとんとした表情で小首を傾げた。その仕草が可愛らしくて、私は少し口元が綻ぶのを感じながら彼女に頷く。

「ええ、あなたは神崎さんのどういうところに惹かれたんですか?」
「それは……内緒です」
「それは私が、神崎さんの事を好きなったら困るからでしょうか」
「はい」
 しれっと頷く泉さんに、今は畏れのような感情は見えていない。中々に一筋縄ではいかない一年生のようだ、と私は小さく苦笑して肩を竦めた。

「泉さん? 普通は、そう言われると却って気になってしまうものですよ」
「あ、ダメです。気にならないでください」
「そうですね。泉さんのお願いなら、なるべくそうします」
 少しだけ泉さんに意地悪をしてから、私は努めて優しく彼女に向けて微笑んで見せる。

「頑張ってください。……泉さんの気持ち、神崎さんに届くと良いですね」
 本当は「私に出来ることなら協力します」とでも言いたかったのだけれど。一瞬、脳裏をかすめたセリアの笑顔が、その言葉を口にすることを私に躊躇わせてしまった。しかし、そんな私の躊躇いは、泉さんに気付かれてしまったようだった。

「会長さんは……、良先輩のこと、好きなんですか?」
「それは私が聞いてみたい所です」
 泉さんの問いに苦笑混じりに答えながら、私は深く溜息を零す。セリアが神崎さんのことを本当にどう思っているのか。私にはまだ、わからない。……あるいは。ただ私が「分かろうとしてない」だけなのかもしれない。

 だって、その事を考える時にチクリと胸を刺す痛みに、私はまだ耐えられていないから。セリアに対して、対等に言葉を交わせるようになるまでに、私が払った時間と努力。その全てをあっさりと乗り越えていける人がいるなんて事を、あまり考えたくはないのだから。

 本音を言えば……、私は神崎良という人物に嫉妬を覚えて始めているのだと、思う。遠慮無く喧嘩をして、それでも心を許せる、という関係にセリアと彼が収まってしまうことが、堪らなく怖くて。だから、本当はセリアが彼に関心をもって欲しくはなくて、彼にもセリアに近づいて欲しくない。それがきっと偽ることのない私の本音。
 でも。
 でも、同時に。彼とセリアにそうなって欲しいって思う気持ちも、私の中には確かにあった。そんな関係は、きっと今までのセリアの中にはほとんど無かったはずのモノだから。

 ……何のことはない。分かっていないのは、セリアの気持ちじゃなくて、私自身の感情なのか。

 そんな自嘲めいた呟きは、私の表情に出ていたのか分からない。でも。

「済みません、お役に立てなくて」
「……篠宮先輩は」
「はい?」
「とても優しい方なんですね」
 でも、私を見つめるおとなしげな風貌の少女は、とても優しい微笑みを浮かべて私にそう言ってくれていた。

/3.教育方針検討中(神崎良)

「はい、そこまで」
「っ、は―――っ」
 終了を告げる会長さんの声と同時、俺は大きく息をついて、どすん、と床にへたり込んだ。会長さんたちが俺の部屋に入ってから、そして俺が会長さんの魔法を教える、という申し出を受けてから、既に二時間が経っている。その間、ほとんど休むことなく、会長さんの指示に従って魔法を使い続けていたものだから流石に限界だった。

「つ、疲れた……」
「兄さん、大丈夫?」
「な、なんとか」
 座り込む俺を気遣ってくれる綾にそうは答えたものの、流石にもう限界だった。
 昨日はほぼ徹夜で綾の魔法講座があったわけで、それに引き続いての魔法院での授業、美術部活動、そして会長さんの魔法講義、と続いているわけで、流石に辛いものがある。いや、まあ、昨日の徹夜が無くても今の会長さんの魔法講義だけでへばっていた自信はあるけれど。
 なにしろ「今の実力を見る」との事で、初歩的な流体干渉(風を起こす)、個体干渉(筆箱を潰す・戻す)、熱調節(加熱・冷却)から、やや上級な流体干渉(小さな竜巻を特定のパターンで動かす)、個体干渉(筆箱の形を動物の形に)、熱調節(氷と水と水蒸気の混合状態の維持・調節)まで。延々といろんなパターンの魔法をぶっ続けで使う羽目になったのだから、きつすぎる。

「大丈夫か? 良。しかし、中々、厳しいんだな。紅坂は」
「……ほんとに大丈夫? 無理してない」
 へばる俺に、綾に引き続いてレンさんと霧子が声をかけてくれた。二人とも……会長さんが俺に指示する様子を見守っていてくれていた訳だけど、やっぱり、この二人でも会長さんの指示は厳しいと思うらしかった。
 当の鬼教官……もとい会長さんはと言えば、へばっている俺を見下ろしながら、ふむふむ、となんだか満足げな表情で一人頷いていたりした。というか、何でこの人は平然として居るんだろうか。俺に指示を出す前には必ずお手本を見せてくれていたから、魔法を使った量は俺と同じはずなんだけれど……汗一つ書いているようには見えないんだけど。

「魔法で悩んでいる、って聞いていたから余程お粗末なのかと思っていたけれど、試験の合格点には届いているのね」
「そこから伸びないので悩んでるんです」
 会長さんの言葉に、俺はぐったりとした口調で本音を口にする。そんな俺の悩みを、会長さんを莫迦にすることもなく、いつになく優しい笑みを見せてくれた……気がした。

「そう。ふふ、向上心があるのはとても良いことね。誉めて上げます」
「え……、ええ?」
「? どうかしましたか?」
「いや、やっぱり疲れてるんですかね、俺。今、会長さんが、誉めて上げますって言ったような幻聴が……っ?」
「……神崎さん。何が言いたいのかしら」
「いえ、何も。嬉しくて舞い上がっただけです。はい」
 どうやら幻聴ではなかったらしい。そんな、あんまりといえばあんまりな俺の反応に、会長さんは深々と溜息をついて拗ねるような眼差しで俺を睨む。

「本当に神崎さんは私には意地悪なんですから」
「それは、セリアに原因があると思います」
「もう、あなたまで意地悪言わないの、鈴。それより……どう思う?」
 会長さんの傍ら、邪魔にならないように天井に浮かしてあるベッドの影の下で、篠宮先輩は腕を組んで少しだけ考え込むそぶりを見せる。ちなみにベッドだけじゃなくて、机やタンスはほとんど全て天井に張り付けてある。「部屋を片付けろ」と言われた俺と龍也が採った方法な訳だけど、おかげで全員がなんとか座れる場所を確保できていた。……まあ、見上げると机の脚が見える風景というのは、あまり見た目はよろしくないのだけれど。と、閑話休題。
 会長さんに意見を求められた篠宮先輩は、考えをまとめるように少し瞳を閉じてから、ゆっくりと彼女の見解を口にした。

「そうですね……魔法の種類による得手不得手は見受けられませんね。それが、長所でも短所に思えます」
「そうね。万能選手の可能性も無くはないけど、下手をすると器用貧乏で終わってしまうかも知れないわね」
 篠宮先輩の分析に、会長さんは大きく頷きながら、今度はレンさんの方に視線を向ける。

「先生はどう思われます?」
「そうだね……ああ、いや、止めておこう。私としてはお前達の自由な見解を知りたい」
「そうですか、わかりました」
 先入観を与えたくない、というレンさんの意見に、会長さんは素直に頷いて、今度は龍也に声をかけた。

「じゃあ、あなたの意見はどうかしら。私や鈴の見方に異論はある?」
「いえ、僕もそう思っています」
「昔から、平均的なのが良の良いところですから」
「霧子、褒めてくれてるんだよな? それ」
「……もちろんじゃない」
「何故、目をそらす」
「そこの二人。まじめな話をしてるんだから漫才しないの」
「済みません」
「ご免なさい」
 会長に呆れた視線を向けられて、普段のノリで話していた俺と霧子は二人揃って頭を下げる。そんな俺たちに龍也はいつも通りに苦笑してから、会長にまじめな視線を差し向けた。

「でも、僕は良のそう言うところ長所だと思っています。苦手な魔法がない魔法使いって少ないはずですから」
「そうね。それはその通りだと思う」
 そう言って龍也に頷いた会長さんだったが、「それでも」と言葉を続けて首を横に振る。そしてその碧色の瞳に俺を映して、告げるような口調で言った。

「私は短所が無いことよりも、まず一つでよいから長所を見つけて、伸ばすべきだと思うの」
「なるほど」
 長所を伸ばす。短所をつぶす。どちらも大切なことだけれど、どちらを優先するのかと言われればそれこそ教育方針による、という物だろう。そして会長さんは長所を伸ばすタイプらしい。

「では、会長は、何処を伸ばすべきだと思うんですか?」
 興味を湛えた瞳で、龍也が会長さんに問いかける。つい先ほど、「得手不得手は見受けられない」と評したばかりだけど、会長さんはどこに特徴を見いだしてくれたのか。
 自然、部屋にいる全員の視線が会長さんに集まるけれど、彼女のその視線をはぐらかすように小さく笑うと、俺の方に言葉を向けた。

「じゃあ、神崎さん自身に聞きましょうか。あなたが一番、得意な魔法って何かしら」
「えーと、実技の話で、ですか?」
「理論の話でも構わないわよ。あなたが魔法を行使する上で扱いやすい対象は何かしら」
「うーん。これといって無いんですけれども……強いて言えば風を扱うのは楽です。多分」
「あら、そうなの? てっきり固形物への干渉が得意なのかと思ったのだけれど」
「え? そう見えましたんですか?」
「ええ、落とし穴を掘るとかね」
 そう言って、会長さんは少し口元を緩めた。おそらくは会長さんの「槍」を落とし穴に潜って回避した事を言っているのだろう。

「……あれは緊急避難でしたからね。別に得意って訳じゃないです」
「得意じゃないのにあれだけ出来れば大した物よ」
「じゃあ、会長さんは兄さんに固形干渉の辺りを重点的に教えるつもりなんですか?」
 俺の傍ら、俺と会長さんの会話に眉をしかめていた綾が、会長さんに確認するようにそう問いかけた。

「そうしても良いのだけれど……いえ、少し方針を変えます」
 綾の問いに、そう答えてから会長さんは俺を見つめる表情を改めた。少し真剣な彼女の表情の中、碧色の瞳に仄かに紅い光が見え隠れする。

「思うに、神崎さんにまず必要なのはもう少し別の事よ」
「別のこと、ですか?」
「ええ、あなたに必要なのは……」
「……必要なのは?」
 一度言葉を切る会長さんに、再び、みんなの注目が集まる。今度はそれをはぐらかすことなく受け止めて、会長さんは俺に指を突きつけて、言った。

「あなたに必要なのは、『自信』よ」
「……じ、自信、ですか?」
「そう、そういう態度がまずいけないのよ」
「痛っ」
 会長さんの意図が分からずに俺が首を傾げた瞬間、彼女は、ぱちん、と指先で俺の額を軽く叩いた。

「あなた、魔法に関する話題になると途端に弱気になるでしょう? 言葉からしてもそうよ。「えーと」「多分」「強いて言えば」「別に」ってさっきから何回言ったか覚えているかしら」
「う、そう言われると確かに……」
 今に限らず、魔法の講義や練習中にはその手の弱気な言葉を口にすることが多いかもしれない。確認の意味を込めて周囲に視線を向けると、龍也と霧子と綾はどこか気まずそうな表情を浮かべ、レンさんはといえばなんだか感心したように何度も首を縦に振っていた。どうやら周りから見ても、会長さんの指摘は正鵠を得ている、という事らしい。

「自信がないことはそれ自体が悪循環の原因になるわ。弱気は失敗を生み、失敗は自信を突き崩す。躊躇いは綻びを産み、綻びは躊躇いの温床になる」
「な、なるほど」
「魔法とは世界の仕組みを書き換える力よ。それを弱気なままで行使するなんて駄目。まずそれを自覚なさい」
「はい……」
 知識や技術云々以前に、まず魔法使いとしての気構えがなっていない。厳しいその指摘は、流石に答える物があったけれど思い当たる節もあるわけで、俺は素直に会長さんの声に頷いていた。

「確かに、自信ってないですね、俺」
「そう。まずはそこを直すことが先決ね」
 と、そう言ってから会長さんは少し声の口調を改めて、かすかに同情するように軽く肩をすくめる。

「まあ、神崎さんの場合、自信が付かないのは仕方ないのかも知れませんね」
「……どういうことです?」
「比較対象となる家族・友人が少し特殊すぎるもの」
「ああ、そういうことですか」
 確かに俺の周囲には、レンさん、綾、龍也という天才、なんて言葉で表現されてしまう魔法使い達がすぐ傍に、しかも、複数人いる。それは恵まれすぎている環境とも言えるけれど、確かに周りと自分を比較して魔法使いとしての自信を持てたことは一度もないような気はする。

「……ちょっと待ってください」
 そんな会長さんの言葉を、こわばった声が遮った。振り向けば、綾が俺の服の袖を堅く握ったまま、睨むようにして会長さんを見つめている。

「じゃあ、兄さんの魔法が伸びないのは、私や母さんの所為だって言うんですか?」
「恵まれた環境が、ある一面では仇になることもある。そう言っているだけよ」
「でも」
「いや、なかなか的を得ている意見だと思うよ」
「母さん!」
「少し落ち着け。紅坂は問題点を上げてくれているだけなんだから」
 不満げな綾の頭を軽く撫でながら、レンさんは会長さんに向かって軽く微笑んで見せた。そうしてレンさんが綾を宥めている横から、霧子が首を傾げながら会長さんに問いかける。

「でも、具体的にはどうするつもりなんですか? 綾ちゃんや龍也を見て自信を無くすっていうのなら、会長さんだって適任じゃないってことになりますよね?」
「そうかしら」
 と、霧子の指摘を笑顔のままで受け止めて、会長さんは自信ありげな声で続けた。

「神崎さんが私を打ち負かせれば、それは彼にとって自信になるんじゃない?」
「いや、それは無茶な……って、痛て」
「言っている傍から弱気になるんじゃありませんっ」
「す、済みません」
 思わず謝る俺に、会長さんは不満げに眉をしかめてから、溜息をついて見せる。

「いつも私に突っかかってくる神崎さんはどこに行ったんです?」
「誰も好きこのんで突っかかって言ってる訳じゃありません」
「うん、そんな感じでいいのよ。こういう時は強気なのよね、あなた」
「それはそれ、これはこれでしょう。魔法とごっちゃにしないでください」
「ごっちゃにしていいの。そういう気概を常に持て、っていうことなんだから」
「う、うーん」
 わかるような、分からないような会長さんの主張に、俺は戸惑いを隠せずに頭をひねる。そんな風に悩む俺を見かねてか、霧子が再び会長さんに向かって問いを投げた。

「会長。気構えの問題はわかったんですけれど、実際問題として、良が会長に魔法で勝つって難しいって思うんです。会長さんがもの凄く教えるのが上手だとしても、一朝一夕に出来る事じゃないでしょう?」
「そうです! 兄さんが会長さんに勝てるわけ無いじゃないですか!」
「本当にそうかしら? 神崎さんが私に勝てる可能性は、本当に無いって思う?」
「無いです」
「無理です」
 会長さんの質問に、即答する綾と霧子だった。

「……いや、まあ、そうだけどな」
 確かに会長さんに勝てるなんて微塵も思っては居ないけれども。そうまで「勝てない」と連呼しなくてもいいんじゃないでしょうか。みなさん。

「神崎先生もそう思われますか?」
「条件にもよる……、と言いたいところだけどね。最大限ひいき目に見たとしても、今の良が魔法使いとしての能力でお前に勝てる要素は、ない」
「うう……そ、そうですけどね」
「ああ、ほら、凹むんじゃない」
 レンさんにまで「無理」と断言されて流石に凹む俺だったけど、そんな俺の頭をレンさんは自分の胸の中に抱え込んだ。

「れ、レンさん……?」
「さっきからお前も綾も、慌てすぎだぞ? 今は、って言っただろう?」
「わ、わかりましたけど、そのこの格好は、その?!」
「ふふ。照れるな照れるな」
 慌てて逃げようとする俺の頭を、そうはさせないとばかりに抱え込んでレンさんはぐりぐりと胸に押しつける。いつものレンさんとの魔力交換の格好と言えばそれまでだけど、みんなの前で流石にこの格好は恥ずかしすぎるわけで、案の定、周りからも慌てた声が巻き上がった。

「ちょ、ちょっと母さん!」
「か、神崎先生、何してるんですか?!」
「ん? 見ての通り、落ち込んでる息子を慰めてるんだ」
「平然と言わないでください!」
「ちょっと良! あんたも早く離れなさいよ!」
「痛、ちょっと霧子、耳を引っ張るな、耳を!」
「うるさいっ、ほら、早く離れるの!」
「母さんはこっちです!」
「痛い痛い、こら! いくらなんでも髪を引っ張るな、髪を!」
 綾と霧子の二人に問答無用で引き離されて、俺は安堵の、そしてレンさんは不満げに溜息を零す。

「むー。親子の交流を邪魔するとは」
「先生。生徒の前だって言うことを忘れないで下さい」
「いや、つい」
「つい、じゃありません」
「だって良が可愛かったモノだから。そうだ、代わりに慰めてみるか? 桐島」
「……か、代わりません!」
「……今、一瞬考えただろう?」
「考えてません!」
「先生と桐島さんも漫才を止めてくださいね」
 レンさんと霧子のやり取りを前に、会長さんは呆れたような面持ちで肩をすくめる。

「……神崎さんの魔法が伸びないのは、先生が甘やかしているからじゃありませんか?」
「うーん。そう言われると耳が痛いな。それより、話を戻そうか。紅坂は良がお前に勝る才能を持っている、と考えている訳だな?」
 仕切り直し、とばかりに口調と表情を改めるレンさんに、会長さんもまた表情を引き締めて頷いた。

「その可能性は零じゃないとは思っています」
「根拠は?」
「魔法使いとしての直感、では理由にはなりませんか?」
「いや、十分だよ。紅坂はこう言っているが、どうだ、良。何か一つ、紅坂に勝てるか?」
「無理です」
「即答するんじゃありません」
「痛い痛い痛い」
 思わず即答してしまった俺の耳を、会長さんが容赦なく引っ張った。
 いや、だって仕方ないだろう? この間から、縛られたり、槍で突かれそうになったり、散々、会長さんの魔法を目にしてきたけれど、正直言ってその一つ一つが俺とはレベルが違いすぎる。
 だけど、俺のそんな考えも会長さんは「弱気だ」として切って捨てた。

「いいですか、神崎さん。私はあなたに私なりの魔法の使い方も教えます。でもそれだけに集中しては駄目。私があなたに魔法を教える間、私に勝つ方法を考え、実践なさい。その間、弱気と躊躇いを捨てる事。特に……躊躇いは絶対に抱いては駄目よ。他の誰に対して抱いていても良いけれど、私に対してそんな気遣いは無用だから」
「躊躇いを抱くな、ですか……?」
「そう」
 俺の目を見据えたまま、それこそ躊躇いなくそう告げる会長さんに、俺は早くも気圧されて、それこそ躊躇いを抱く。

「そう言われても……そもそも勝つ方法って言われても、具体的にはどういうことなんですか?」
「それをあなたが考えるの。私に負けたと思わせれば何でも良いわよ。極論すれば、魔法以外の方法でも構わないわよ」
「魔法以外?」
「ええ」
「なるほど。思い切った方法だが、悪くはない」
 会長さんの提案に、レンさんが愉しそうに微笑んで、ぽん、と俺の肩を叩いた。

「その条件ならいけるんじゃないのか? 良」
「……どういう事ですか?」
「つまり、だ。紅坂の寝込みを襲って、を押し倒せばお前の勝ちという言うことだ。いける」
「行けませんっ!」
「何を言ってるんですか、先生は!」
 綾と霧子に再び突っ込まれるレンさんだったが、対して会長さんはと言えば、なんだか不敵に笑いながら俺の方に視線を向ける。

「ふふ、それでも構いませんよ? できるなら、ですけれど」
 言外に「命が要らないのならどうぞ」と微笑まれて、俺は慌てて首を横に振った。

「わかりました。俺なりの方法を考えてみます」
「楽しみにしているわ」
 俺の言葉に、満足したように頷いてから、会長さんはその視線を、綾の方に向けた。

「私の方針は、綾さんもそれで構わないかしら?」
「……会長さんの方針はわかりました。でも、私は私のやり方で兄さんに教えますから」
「そう。じゃあ、勝負ね。ふふ、どちらの教え方がより効果があるのかしら。楽しみね」
 挑むような綾の台詞に、負けじとばかりに会長さんも挑発的な言葉で応じる。そんな会長さんの態度に、篠宮先輩がため息混じりに諭す言葉を投げかける。

「セリア。遊びではないのですよ」
「わかってるわよ。でも、私と綾さんのどちらの主張が正しいのか勝負するのも楽しいじゃない? 教える方にも刺激がある方がいいしね」
「確かに面白いな。しかし、判断はどうする? 紅坂と綾が同時に教えるのなら、どちらの方法が効果があったのか、混同してしまうだろう?」
「本人には分かると思います。きっと」
「なるほど。それはそうかもしれないが……うん。いいだろう。じゃあ、しばらく綾と紅坂の二人が交互に良に魔法を教えるような日程を組もうか」
「ええ。お願いします」
「はい。負けません」
 いつの間にか仕切り始めたレンさんに、綾と会長さんは「望むところだ」とばかりにお互いを見つめたまま頷きをかわす。なんだか、試合直前の格闘技の選手みたいだなあ、なんていう感想が頭をよぎった刹那、俺は正気を取り戻して慌ててレンさんに詰め寄った。
「……いや、ちょ、ちょっと待ってくださいよ、レンさん」
「なんだ?」
「なんだ、じゃないですよ。なにも勝負になんかしなくていいじゃないですか!」
「そっちの方が面白いじゃないか」
「そういう問題じゃないでしょう!」
「大丈夫! 兄さんは私に任せて下さい!」
「そうです。神崎さんは黙って従っていてください」
「いや、だから」
「大丈夫」
 言い募ろうとする俺の言葉を遮って、綾が力強く俺の手を握った。

「綾……」
「私を信じて、兄さん」
「いや、あのな」
「大丈夫。私は、ちゃんと勝つわ。勝って兄さんに言うこと聞いて貰うんだから……っ!」
 なんだか燃える瞳で、ひとり決然とそう言い放つ綾だったが、その発言内容に、ぴくり、と周りの空気が揺れた気がした。

「言うことを訊いて貰う? それは、どういうことかしら」
「はい。成績が上がったら、お互いに「何でも」言うことをきくって約束したんです」
 問われて綾は、えへへ、と少し照れたように会長さんに答える。と、その答えに反応を示したのは、会長さんではなく霧子と龍也の二人だった。

「ちょ、ちょっと良?!」
「それ本当?!」
「きゃあ?!」
「うおう?!」
 いきなり綾を押しのけて俺に迫る霧子と龍也。

「何でもって、何? それ、本当なの? 良?」
「ああ、本当だけど……」
 二人の剣幕に気圧されながら、俺は質問に素直に首を縦に振った。と、その刹那。

「アホか―――っ!」
 問答無用の霧子の突っ込みが勢いよく俺の脳天に直撃し、実のところ疲労が限界にまで来ていた俺は、実に気持ちよく意識を失ってしまったのだった。

 /

 その後、俺が気を失っている間に、散々、揉めることになったらしい。
 そして果たしてどういう経緯をたどって、そういう結論に達したのかは、全く持って不明だが、俺が目を覚ましたときには、霧子と龍也の二人まで俺に魔法を教える事態に発展しており、一番、俺の成績を伸ばした人には、「どんな命令でも一つだけ俺が絶対服従する」ということまで決定されていたのだった。

続く

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