/0.デートの朝(神崎良)

「お、晴れたな」
 カーテンを開けた途端、目に飛び込んできた青空に、俺は思わずそう呟いた。週末の朝。窓ガラス越しに空を覗けば、綺麗な薄雲が空高くに浮かんでいる。いわゆる絶好の行楽日和という奴だろう。

「違うか。デート日和、って言わないと怒られるかな」
 そう呟いてから俺は部屋時計に目を向けた。いつもの起床時間より一時間以上遅い。今日は学校が無いから十分に朝寝坊を楽しんだ……という訳じゃない。いやまあ、その側面が全く無いとは言わないけれど。でも俺がわざわざ「頑張って」遅く起きたのには別の理由がある。

「そろそろ、大丈夫だよな」
 心持ち足音を殺しながら俺は自室のドアへとそっと近づいて、一階から物音がしないかどうか聞き耳を立てた。穏やかな朝の空気の中、ドア越しに人の動き回る物音は聞こえてこない。なら、そろそろ動き出しても大丈夫だろう。そう頷いて俺は大きく息を吐き、そして今日の準備を始めるべく大きく体を伸ばした。

「さて、じゃあ、追いつきますか」
 時計の針が指し示す時間は、約束の時間の一時間前。寝過ぎたわけではないけれど、さほどのんびりしている暇もない。万が一、待ち合わせ時間に遅れようものなら、どんなことになるのか想像もしたくない。とはいえ、逆に準備を早くしすぎて、待ち合わせ場所に行くまでに綾に追いつきでもしたら、それはそれでまた怒られるのだろう。何しろ、綾と来たら同じ屋根の下に住んでいるというのに、わざわざ朝に顔を合わせないように俺の起床時間を制限までしたのだ。なかなか時間調節が難しい所だった。

「……でも、何を考えてるんだろうな。あいつは」
 そこまでして、綾は「待ち合わせ」を演出したいらしいのだけど、その意図は何なのだろうか。それがわからないまま、俺は「まあ、そういう所も綾らしいけど」とうそぶいて、誰もいないリビングへと、歩き始めたのだった。

 妹の綾とのデート。
 その待ち合わせ場所に、時間通りにつけるようにとこれからの行動順序を頭に描きながら。

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  魔法使いたちの憂鬱

       第三十話 神崎家の兄妹(前編)

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/1.魔法院研究棟(龍也と久遠)

「デート? 良君と綾ちゃんが?」
「はい」
「ふーん」
 貴重なはずの機材が乱雑につまれた東ユグドラシル魔法院研究棟の一室。その中で必要な器具を手探っていた緑園久遠は、速水龍也が口にした話題に手を止めて、感心するような表情で息をついた。

「デート、か。相変わらず仲がいいのね、あの兄妹は。羨ましいわ」
「羨ましい、ですか?」
 この研究室の主、緑園久遠。その彼女の捜し物を手伝いながら、龍也は首をかしげる。

「緑園先生は、ご兄弟がいらっしゃるんですか?」
「姉妹ならね。男兄弟はいないから、憧れるのよ。仲の良い兄妹って素敵だって思わない?」
「それは……はい。僕もそう思いますけど」
「……ふむふむ」
 龍也の返事に歯切れの悪さを感じ取って、久遠は少し目元をゆるめる。生気のあふれたその緑の瞳に、久遠は悪戯めいた光を浮かべつつ、ややわざとらしい口調で言葉を続けた。

「あ、でも。ちょっと変かもしれないわね」
「変って、何がですか?」
「あの二人、兄妹にしては仲が良すぎる気がするなーって。龍也君はそんなこと思わない?」
「思います! ……っ、あ、済みません」
 久遠の台詞に、龍也は勢い込んで言葉を重ねた。だが、その言葉の勢いが良すぎることに直ぐに気付いて、龍也は恥じ入るように頬を赤くした。いつもは落ち着いている龍也のそんな様子に、久遠は微笑ましい感情をかみ殺し、彼の瞳を覗いて感情を探った。
 速水龍也。高等部の学生でありながら、上級研究員にも比肩する魔法を行使し、「速水会」なんていうファンクラブまで組織している逸材……のはずなのだが。どうやら神崎兄妹のことになると、やや感情を揺らしてしまうらしい。さて、彼を揺さぶる原因は才色兼備の誉れも高い妹なのか、それとも十人並みと見られている兄なのか。

(ふふふ。若いって良いわね−。可愛いなあ)
 才能あふれる魔法使いが感情をもてあましている様子に、久遠は自分の感情が刺激されるのを自覚する。だが、思わず手を伸ばしそうになる自身を、彼女はすんでの所で堪えた。

(龍也君って、蓮香のお気に入りみたいだし。流石に手を出すのは不味いわよねー。ああ、でも良いなあ。可愛いというか、綺麗だし。持ち帰りたい……)
 脳裏に親友の顔を思い浮べて、何とか自制する久遠。そんな彼女の様子に龍也は、不思議そうに小首をかしげて問いかける。

「あの、緑園先生。どうかしましたか?」
「え? 何もしてないし、何もしないわよ? まだ」
「まだ?」
「うん、って、いや、なんでもないわ。こっちの話よ。うん」
 あはは、と久遠はあからさまにごまかす笑いを浮かべて手を振った。その態度に流石に疑問を感じた龍也だったが、差し当たって彼が選んだのは話題を元に戻すことだった。

「あの、先生。少しお尋ねしてもいいですか?」
「あら、なにかしら」
「さっき、良と綾ちゃんのことで「相変わらず仲が良い」っておっしゃいましたよね」
「あー、うん。言ったわね」
「じゃあ、その……緑園先生は二人のこと、お詳しいんでしょうか」
 その瞳にわずかな躊躇いを潜ませて、それでもまっすぐに久遠を見つめて龍也は彼女に問いかける。その表情を見つめながら、久遠はあご先に軽く手を当てて小首をかしげた。

「んー? どうかしらね。あの二人のことなら、君の方が詳しいんじゃない?」
「最近のことならそうだと思います」
「ああ、そういう事」
 要するに龍也が知りたいのは、二人の子供の頃の話か。そう了解して、久遠は軽く頷いた。そして脳裏に思い描くのは、まだ幼い頃の神崎兄妹の記憶。所々、色あせて、だからこそ綺麗なその思い出に、久遠は小さく笑みを零す。

「そうね。レンとは付き合いが長いから、あの子たちのことは昔っから知ってるわ」
「やっぱり、そうなんですね」
「ふふ、ちゃんと思い出してみると懐かしいわね。うん、昔っからお兄ちゃん子だったわね、綾ちゃんは」
「昔っから、ですか」
「そうよ。文字通り、良君にべったりとくっついていた時期もあったし。お風呂はともかく、トイレにまで良君といっしょにじゃないと嫌だって、ぐずる娘だったのよ」
「と、トイレもですか?!」
「そうそう。可笑しいでしょ? いやー、レンも随分と苦労してたわねー。あいつが「十歳は老け込んだ」とかぼやいてたのよ?」
 幼い子供二人に、あれこれと振り回される蓮香。親友のそんな姿を笑いながら見守っていたあの頃から、どれだけの時間がたったのだろう。そんな感傷めいた想いに指折り時間を数えそうになって、しかし、久遠は即座にその行為を止める。いつまでも自分は若いと信じる彼女は、時間の経過を考えるのは嫌いなのだった。

「でも、考えてみるとレンは、あの頃から綾ちゃんには振り回されっぱなしなのよね。ふふふ、困った娘よね。綾ちゃんってば」
「……あの。じゃあ良もですか?」
「良君?」
「はい。良の方も変わってないんでしょうか」
「そうね−」
 少しだけ記憶を巡らせて、そして久遠は首を縦に振る。

「うん、良君も変わってないかな。今と変わらず、綾に優しいお兄ちゃんだったわよ」
 今と変わらず、少し、優しすぎるって思えてしまうぐらいに。そう心の中で呟いて、久遠は「少し休憩にしましょうか」と龍也に言葉を向けた。
 少しだけ、遠い昔の記憶のページを物語る準備を心の中で整えながら。


/2.兄妹で待ち合わせ(神崎良)

 時間調節の甲斐あって、俺はほぼ待ち合わせの時間通りに、指定された公園にたどり着いた。駅前近くにある小さな公園。人もまばらなその公園の古びた時計台の下で、綾は約束したとおりに一人で佇んでいる。白のブラウスと紺のスカートという出で立ちの綾は、気遣わしげに腕時計に視線を落としていて、まだこちらに気づいている様子はない。

「あれ、ちょっと遅れたかな」
 そんな不安に俺が急いで綾に声をかけようとした刹那、綾が不意に顔を上げた。そして俺に気づいて、満面の笑顔を浮かべて大きく両手を振る。

「兄さん!」
「おはよう。ひょっとして、俺、遅れたか?」
 手を振る綾に足早に近づきながら尋ねると、綾は腕時計を俺に示しながら笑ってくれた。

「大丈夫。ほら、時間通りだよ」
「そっか。でもお前、結構待ったんじゃないのか?」
「ううん。私も、今来たところだから、大丈夫だよ」
「いや、今来た所って。お前、俺が起きたときには……」
「いま・きた・ところ・だから」
「あー、はいはい。わかりました」
「はいは一回です」
「はい。わかりました」
「よろしい」
 俺が折れると、綾は満足げに微笑んだ。どうやら今日は待ち合わせの演出にこだわるつもりらしい。本当に、なんのつもりなんだろうか。その思いに俺が軽く首をひねるけれど、綾の方はそんな俺の疑問には気づかない様子で、別のことを口にした。

「あれ、そう言えば兄さん」
「うん?」
「そんな服、持ってなかったよね?」
「ん?」
 そんな服、と綾が言った俺の服装は、別に奇抜な出で立ちという訳じゃなくて、少し前に買っていたシャツとジーンズ。ひょっとして、どこかおかしいだろうか。

「いや、前から持ってたよ。着たことはなかったけどな」
「ふーん。そっか」
 そんな返事に、なぜか綾は少し相好を崩した。そして嬉しそうに口元に笑みを湛えたまま、上目遣いで俺の表情をのぞき込んできた。

「なんだよ。どうかしたのか? って、やっぱりどこか変か?」
「ううん。違うの。あのね、兄さん。それって今日のデートのため新しい服をおろしてくれたってことなんだよね」
「え? いや別にこのために新調したという訳じゃなくてだな」
「照れなくてもいいのに」
「あのなあ」
 別にそう言う意識はなかったつもりなんだけど、でも言われてみるとそういう事になのだろうか。綾がいろいろと準備してくれているみたいだから、しまっておいた服を着てこようという気になったのかもしれない。

「お前だって、そんな服持ってたっけ」
「えへへ」
「なんだよ」
「気づいてくれて嬉しいなーって」
 そう言って綾はその服をお披露目するように、くるり、と俺の目の前で一回転して見せた。白と紺のコントラストが、目に鮮やかに綺麗に回る。

「今日のために新調したんだ」
「そ、そっか」
 はっきりと言い放つ綾に、なんと答えたものかと言葉を探す。だけど俺が口を開くより前に、綾は少し照れくさそうにスカートの裾を少しだけ揺らした見せた。

「どうかな。似合う?」
「似合う、似合う。って、痛て」
 はにかむ綾に、俺は素直に賛辞を口にした……のに、なぜかいきなりほっぺたをつねられた。

「なんで、そこで怒るんだよ」
「誠意がありませんー」
「そんなこと無いって」
「本当?」
「本当」
「絶対?」
「多分」
「もう! そう言うときは、ちゃんと手を握って「綺麗だよ。綾」ぐらいは言ってくれないと駄目」
「言うか!」
 どこの兄が実の妹相手に、そんな告白まがいな態度と台詞を言うというのか。
 ……まあ、本音を言えば似合ってると思うけど。ちょっと見とれるぐらい、我が妹ながら可愛いとは思うけども。まあそんなことを正直に口に出すと、またどこからか「シスコン」との声が降り懸かってくるだろうから、言わないけども。
 と、内心でそんなことを呟く俺に、綾は少しふくれてみせてから、不意に不適な笑顔を浮かべて見せる。

「いいよ。兄さんが素直じゃないのは知ってるんだから」
「素直とか、そういう問題じゃないです」
「そういう素直じゃない兄さんには……えい!」
「おっと」
 何を思ったのか、綾はいきなり俺の腕をとって、そのまま腕に抱きついてきた。その急な行動に危うくバランスを崩しそうになって蹌踉めいたけど、俺は何とかバランスをとってそのまま綾を支えた。

「お前な、急に抱きつくな」
「えへへ。ごめんなさい」
「……」
 危ない、と起こらないといけないのだけど、綾の本気で嬉しそうな微笑みに、怒る言葉が出てこない。……まあ、今日ぐらいは良いか。そう思って腕に抱きつかれるままにしていると、綾が妙に不思議そうな顔をして俺の方を見上げた。

「……あれ?」
「ん? なんだ?」
「今日は振り払わないんだなーって。ほら、いつもだったら、腕に組み付くのは嫌がるのに」
「いつもならな」
 そんな綾の問いかける視線に、俺は少し視線を外してから答えを返す。確かにいつもならいきなり腕を組まれたりしたら振り払うなり、文句を言うなりするけれど。でも、まあ、今日は。

「デートなんだろ? 今日は」
 わざわざ早く起きて、俺と別行動をとって、新しい服もおろして。
 そこまでして、綾がそういう雰囲気を演出したいっていうのなら、少しぐらいはそれに付き合ってやらないと駄目かなって思っただけだった。そもそも、今日は綾にお礼をするための日だし。それで綾の機嫌が良くなるのなら、それでいい。

「だから、まあ、そういうこと」
「……うん!」
 自分でも「どういうことだ」と突っ込みを入れたくなったりもするけれど、それでも綾は満面の笑みで頷いて、抱きつく腕にさらに力を込めて、笑った。

「えへ。幸せ」
「……」
「兄さん? どうかした?」
「いや、なんでもない」
 本気で幸せそうな笑みを浮かべてたから。その屈託無い笑みに、思わず見とれていた……なんて、言うシスコン発言は口にするわけにはいかずに、俺は誤魔化すように小さく咳払いをして話題を変えた。

「それで、今日はどこに行きたいんだ? もう決めてあるのか?」
「んー、一応ね。でも、兄さんは行きたいところある? あるならそっちでもいいよ」
「綾の行きたいところでいいよ。今日はお礼だしな」
「本当にどこでもいい?」
「いいよ」
「お値段度外視でも?」
「常識の範疇でお願いします」
「はーい」
 そう悪戯っぽく笑ってから。

「じゃあ、今日一日、よろしくお願いします」
 綾は俺の腕に寄り添うようにして、歩き始めたのだった。

/3.尾行する人たち(桐島霧子)

 そんな二人の後ろ姿を、私は公園の物陰からのぞき見ていた。

「もう、良の奴……何を自然に腕を組んでるのよ」
「あら、兄弟仲がいいのは微笑ましくていいんじゃないかしら」
「良くないですよ。もう」
 確かに兄妹仲は良いに越したことはないだろうけど、それでも限度というものがあるって思う。そうぼやくと、私の隣で隠れている会長さんも「そう言われるとそうね」なんて感心した面持ちで首を縦に振った。

「でも、腕を組み慣れてるわよね、あの二人」
「会長さんはお兄さんとああいうことはしないんですか?」
「あの人と腕を組むぐらいなら、もぎ取るわね」
「もぎ……っ?!」
「しっ。声が大きいわよ、桐島さん」
 顔色一つ変えずに言い放った会長さんの台詞に、私は戦慄を覚えて軽く身震いした。あまり彼女の兄の事には触れない方が良いらしい。って、まあ、それはいいんだけど。

(……なんで私、こんなことしてるんだろ)
 腕を組み、仲むつまじく歩く神崎兄妹。遠くなっていく二人の後ろ姿を視界に映しながら、私は内心で深々と溜息をついた。一方、傍らの会長さんとは言えば、妙に張り切った様子で私に尾行の継続を促すのだった。

「さあ、桐島さん、行くわよ。惚けてたら見失っちゃうわ」
「……本当に尾行するんですか?」
「勿論。あの二人を見送るためだけに、わざわざあなたを呼び出したと思ってるの?」
「それは思ってませんけれど」
「じゃあ、行きましょう。あ、見つからないように慎重にね」
「会長なら、魔法で姿を消したりできるんじゃないですか?」
「できるけど、それって軽犯罪になるわよ? 他の人に見えない状態で道を歩いたりしたら危ないじゃない」
「あ、そうですよね」
 確かに会長さんの言うとおりだった。そう言えば、場所によっては透明化および盗聴を防止する魔法装置が設置されていることもあるんだっけ

「だから、少し離れて「遠視」の魔法を使います」
「……そっちは良いんですか?」
「単なる視力補助だもの。問題ないわ。行くわよ」
「は、はい」
 妙に生き生きとした会長さんの言葉に結局逆らうことが出来ずに、私はこそこそと気配を殺しながら会長さんの後に続いて、神崎兄妹の後を尾行する。……そう、現在、私こと桐島霧子は、良と綾ちゃんを、尾行しているのだった。
 どうして私が、二人を尾行しているのか。しかも、会長さんと二人で尾行しているのかと言われると、昨晩、電話で会長さんに誘われたのだ。「明日、あの二人を監視します。桐島さん、手伝ってね」と。そして集合場所と集合時間だけを簡潔に告げられて、電話は切られてしまった。
 いったいどういう事なのか、とよく事情が飲み込めないままに公園に来てみれば、いきなり会長さんに物陰に連れ込まれたあげく、良と綾ちゃんのデート現場を目撃して、今に至る、という訳なのだった。いったい何がどうなっているのか。事情を飲み込もうとして私は会長さんに小声で問いかける。
 
「あの、会長」
「なにかしら」
「今日は篠宮先輩は?」
「勿論、誘ったんだけど……」
 言って、不満そうに会長さんは唇を少しとがらせた。

「怒られたのよ。「そういうことをするのは悪趣味です」って」
「そういうことって、この尾行のことですよね?」
「そうよ。良さんと綾さんを尾行して、監視するって、正直に言ったの。そうしたら」
「そうしたら?」
「もの凄く怒られたわ」
「……そうですか」
 確かに篠宮先輩なら、そう言って怒るだろう。尾行して、観察するなんて言ったら「会長にも紅坂家のお嬢様にもあるまじき行為」って、それはもの凄く怒ると思う。

「って、怒られたのに、どうしてやるんですか」
「だって気になるんだもの。仕方ないじゃない」
「……」
 問いかけに、会長さんは何の躊躇いも見せずにそう言い切った。はっきりとした迷いのない声だけど、でも、何が、そしてどうして気になるんだろう。
 そんな私の疑問を、先に感じ取ったのか。私より先に会長さんが口を開いた

「あなただって気になってるんでしょう?」
「何がですか?」
「だから、あの二人のことよ」
 あくまで視線は良と綾ちゃんから話さないまま、会長さんはあっさりと言ってのけた。

「綾さんは、良さんの事が好きなのよね?」
「な……っ」
 あまりに率直な物言いに、私はしばし言葉を失った。

「ちょ、ちょっと、会長?!」
「声が大きいわよ、桐島さん」
「で、でも……っ」
「良さんに気づかれちゃうじゃない」
 慌てて周囲を見回したけど、幸いに誰かに聞かれた様子はない。そのことに軽く安堵してから、私は慌てて会長さんに向き直る。

「会長! 変なこと言わないでくださいっ」
「あら、そんなに変なことかしら」
「変なことです! もう、なにを言ってるんですか?」
「綾さんの態度を見ていれば瞭然でしょう?」
「それは……」
「違う?」
「……そう、ですけど」
 確かに。ここ最近の綾の様子を間近で見ているのだから、彼女が実の兄に抱いている感情が、一線を越えていることに気づいてもおかしくはないだろう。特に会長は、いろいろと目聡い人だから感づいても仕方ないのかもしれない。
 でも、だからといって軽々しく口にして良い内容ではないはずだった。だから、私は会長さんの目を見据えて、静かに告げた。

「会長。他の人には、その事、言わないでください」
「……そうね。気をつけるわ」
 ご免なさいね、と素直に頭を下げてくれた。普段の会長さんの態度から考えれば、びっくりするぐらいに素直な態度に、少し驚きながら、私は言葉を続ける。

「だから会長は……止めに来たんですか」
「止めに?」
「ですから、綾ちゃんが、そういうことに踏み切らないように」
「うーん」
 当然、「そうよ」と肯定の返事が返ってくるものだと思っていたが、しかし、会長さんはふと口をつぐむ。

「どうなのかしら」
「……はい?」
「気になって、放っておけないって思っているのは確かなんだけど。どうしたいのかってと聞かれると自分でもよくわからないのよね」
「……」
 どういう事なんだろう。少なくとも、とぼけているとか嘘をついている様には感じられなくて、私は返す言葉を見つけられずに口ごもる。

「あら、あの二人、駅に向かってるわね」
「え?」
「急ぐわよ。同じ列車に乗れなかったら、見失っちゃうわ」
「会長?!」
「ほら、早く!」
「は、はい!」
 ……本当に。なにしてるのかなあ、私。

「良の馬鹿。そもそもどうして、綾ちゃんとデートなのよっ。もう」
「? 何か言ったかしら」
「独り言です」
 我ながら、流されているとは思うけれど。
 どちらにせよ、会長さんを一人にするわけにはいかないだろう。そう観念して、私と会長さんという組み合わせで、良と綾ちゃんへの尾行が始まったのだった。

 
/4.自然公園にて(神崎良)

 しばし列車で揺られた後、綾につれられて着いたのは、郊外にある自然公園だった。豊かな緑に彩られ「公園」というよりは「森林」といった風情のその場所は、木々がはき出す清涼な空気に満ちている。

「おー。空気が綺麗な気がする」
「うん。気持ちいいよねー」
 大きく深呼吸すると木々から放たれる濃い緑の香りが、胸の中を心地よく満たしていく。

「綾ってここによく来るのか?」
「内緒」
「なんで内緒なんだよ」
「内緒ったら、なーいしょ。ふふふ」
 何を企んでいるのやら、綾は俺の問いかけをはぐらかすように笑う。ここに着くまでの綾の態度から察するに、来たことがあるようには思えないんだけど……まあ、いいか。

「兄さんはどうなの? ここ、来たことある?」
「んー。あんまり来たことないよ。小さいときぐらいかな」
 魔法院から一時間強でたどり着ける場所ではあるのだけど、あまり訪れることの無い場所。たしか魔法院の初等部で、遠足に来た記憶があるのだけど、それ以降に来た事ってないはずだった。
「そうなんだ。ちょっと意外」
「そうか?」
「兄さんって、こういう場所好きかなー、って思ってたんだけど」
「そう言われると、そうかもな」
 たしかに、緑の中で日差しを浴びるのは、好きだけど。そもそも魔法院の施設に森林地区があるので、魔法院の学生が森林浴をしたいのなら自然とそちらを利用することが多くなる。でも、そう考えるとまずます綾はどうしてここに来たのだろうか。綾は、あまりこういう空に近くて緑が多い場所は好きじゃなかったと思ってたんだけど……ひょっとして無理に俺の嗜好にあわせてくれてたりするんだろうか。
 そんな疑問が顔に出ていたのか、綾は小さく笑ってから答えをくれた。

「えーとね。ここを選んだ理由は幾つかあるんだけど、重要なポイントはね」
「重要なポイントは?」
「ここなら、あんまりお金がかかりません」
「……お気遣い感謝します」
「どういたしまして」
 悪戯っぽく笑う綾。冗談半分、本音半分という感じだろうか。ごめんな、甲斐性なしの兄さんで。

「兄さん? どうかした?」
「ん。なんでもないよ。それより、行こうか」
「うん!」
 暖かな日差しの下、俺と綾は手を取り合って、緑の森の中へと歩き始めたのだった。

 /尾行組(桐島霧子)

「結構、気づかれないものなんですね。尾行」
「きっと、私たちの尾行が上手なのよ。桐島さん、隠れるの上手だし」
「……そんなの、自慢になりません」
「そう? 別に謙遜しなくても、特技は誇ってもいいのよ?」
「なんで私の尾行が特技なんですかっ!」
「だって、手慣れてる感じがするもの」
「手慣れてません! もう、変なこと言わないでください」
「ふふ、冗談よ」
 ユグドラシル市立自然公園。そんな文字の記された看板の影に身を潜めながら、私と会長さんは相変わらず良と綾ちゃんに対する尾行を継続しているのだった。途中、列車に乗られたときには、どうしようかと思ったけれど、結局の所、今まで気づかれずに尾行が成功してしまっている。だけど、断じて、私が尾行に「慣れている」なんてことはない。……ホントだってば。

「どっちかと言うと、良が鈍いだけじゃないでしょうか」
「ああ、それはあるかもしれないわね。良さんって、その手の警戒心は薄そうだもの」
 疑惑を晴らすための私の指摘に、会長さんは素直に手を打って頷いてくれた。そして会長さんは視線を良からその傍らで微笑む綾ちゃんへと移してもう一度頷いた。

「綾さんは鈍い方ではないと思うけど……あの調子じゃね」
「そうですね。あの様子じゃ、綾ちゃんも周りが見えてませんよね」
 会長さんの指摘に今度は私が頷きながら、私と会長さんは目を合わせて、そしてどちらともなく深く息をついた。

「……兄妹仲が良いのは良いと言ったけど」
「ええ、言いましたけど」
「それにしても……」
「ええ。本当に……」
「ひっつき過ぎよね」
「ひっつき過ぎですよね」
 そうなのだ。あの二人、ずーと手をつないだままなのだ。駅前の公園から、列車に乗っている間も、そして今も、すーと。腕を組む姿勢は時折崩れたりもするのだけど、それでもつないだ手はきっと一度も離していない。

「もう良の奴……少しは、周りを気にしなさいよ」
 兄妹だってわかっているけれど、それでも綾ちゃんの気持ちもわかっちゃっているから、胸の中のもやもや刻一刻とその密度を増していって。でも、良の気持ちもわかっちゃってるから。飛び出していって、二人を引き離すことはできそうにない。

「……ばか」
「桐島さん?」
「あ。何でもないです」
 会長さんに指摘されて、私は急いで口を閉じる。耳が赤くなるのを誤魔化すように、私は慌てて別の話題を口にした。

「でも自然公園とは、ちょっと予想外の場所でしたね」
「そうね。もうちょっと賑やかな場所に遊びに行くのかと思っていたのだけど」
 てっきり繁華街あたりに出かけるのかと思っていただけに、意外だった。確かに綺麗な場所だけど、市内にある自然公園の規模としては大きくない……というか、結構地味な場所だった。規模だけで言うのなら魔法院の森林区画の方が大きいような気もする。

「綾さんの好みなのか、良さんの趣味なのか。どちらなのかしらね」
「どちらかと言えば良の趣味のような気がしますけど」
 とはいえ、わざわざ列車をのりついて自然公園に遊びに来るほどにアウトドアな趣味は良にはないような気がするけれど。そんなことを考えるうち、別の理由がふと脳裏を過ぎった。

「あ、ひょっとして……」
「理由がわかったの?」
「お財布に優しいとか」
「……なるほど」
 綾ちゃんなら、良の懐具合を予測してこういう場所を選んだのも頷ける。市立の公園なので、入場料は無料だし。

「今日は良さんがお礼する立場なんでしょうしね。綾さんの気遣いなのかしら」
「私の勝手な想像ですけどね。他に理由があるのかもしれませんけど」
「そうね。まあ、私たちとしては尾行はしやすいから、ありがたいけど」
「そうですね」
 自然公園、という場所柄、当然のごとく周りに木は沢山ある。というより、森の中を道が通っている、という形容が近い場所なので、身を潜める物陰には事欠かない。そんな事を考えていると、不意に会長さんが「あっ」と小さな声を上げて、口を押さえた。

「会長?」
「ひょっとして、それが理由なのかしら」
「? なにがでしょう」
「ここって人混みを避けて二人っきりで、という意味ではなかなか良い場所じゃない?」
「ああ、なるほど」
 確かに。
 綺麗な場所だけど、町中に比べればどうしても人口密度は格段に下がる。魔法院の森林区画のように知り合いに会う可能性も低い。つまり必然的に二人っきりに慣れる場所も機会も多くなるわけで……って、あれ。それって、要するに。二人っきりになれる機会は格段に増えるという訳で。

「……」
「……」
 果たして会長さんも同じ事に思い当たったのか、ふと私の目をみて頷いた。

「どうなのかしら。二人っきりって言っても、あの二人は同じ家に住んでいるわけだし」
「でも、綾ちゃんとしては「デートで二人っきり」という状況が大事なのかも知れません」
「……」
「……」
「行くわよ」
「はい」

 綾ちゃんには悪いって思いながら、私と会長さんの尾行はまだ続くのだった。
 

 /兄妹二人(神崎良)

「わあ、見て見て、兄さん! ほら」
「おおっ、よく見えるな」
 公園の入り口から歩くこと、小一時間ほど。開けた場所に作られた質素な展望台からは市内が一望できた。青空の彼方、遠い世界樹の影の下に、俺たちの暮らす風景がそこにある。

「魔法院は……あれかな」
「あ、そうだね。じゃあ、家はあの辺かな?」
「そうだな。あー、でも、ここからじゃ、流石にはっきりとは見えないか」
「ふふ。そうだね」
 二人並んで、慣れ親しんだ町並みを見下ろす。ただ、それだけの行為に綾は心底嬉しそうに笑ってくれている。というか、今日は待ち合わせの場所からずっと、上機嫌な妹だった。
 ちょっとテンションが高すぎる気もするけれど、この所、勉強とかで面倒をかけ続けていたから、こうやって綾が喜んでくれているのは俺としても嬉しい。

「良い場所だな、ここ」
「そうだね。人もあまりいないし……二人っきりになれるし」
「ああ。そう言えばそうだね」
「ね? 良い場所だよね。二人っきりになれるし」
「そうだな」
「……むう」
 綺麗で落ち着く場所なんだけれど、あまり人気はないようで人影はまばらだった。公園の入り口からこの展望台にたどり着くまで、すれ違った回数も数えるほどしかない。まあ、規模としては「天国の門」とは比べるまでもなく小さいし、遊ぶ場所としては不人気なのかもしれない。
 でも、その割には時折、妙に視線も感じたのだけど……気のせいだろうか。ちくちくというか、ぐさぐさというか、妙に突き刺すような、そんな感覚を覚えたのだけど、単なる自意識過剰だろうか。ちらり、と背後に茂る木々の影に視線を送ってみるけれど、特段、誰かが居るような様子はない。

「兄さん? どうかしたの?」
「ん? あ、いや、なんでもないよ。ちょっと自然と一体化してただけ」
「それって、ぼーっとしてたって事だよね?」
「そうとも言うかもしれない」
「そうとしか言いません。もうっ」
 俺の返事に、綾は少し怒ったように頬を膨らませて、でも、すぐに笑顔に戻って握ったままの俺の手を振った。

「じゃあ、兄さんを現実に連れ戻すために、ここでお昼にします」
「ああ、うん。そうしよっか」

 /尾行組

「今のは少し危なかったかしら」
「良の奴、こういう時に限って鋭いんだから」
「これ以上、近づくのは危険ね」
「でも、ここからじゃ様子がわかりにくいですよ?」
「大丈夫よ。遠視から透視の魔法に変えるから」
「……透視は不法行為じゃないんですか?」
「街中なら、ね。こんな開けた、公の場所で盗撮も何もないでしょう?」
「そうかもしれませんけど」
「それに見えないところで、何かが起こるかもしれないでしょう?」
「……透視。お願いします」
「ふふ、その思い切り、好きよ。桐島さん」

 /兄妹二人

「……ん?」
 木造の展望台。その一角に備え付けられた古びた木のテーブルに綾が弁当を広げている。少し離れて、その様子を眺めていると、また背後になにやら気配を感じた気がして振り向いた。が、振り向けた視界の中には、やっぱり誰の姿も映らない。
 こんな人気のない場所でまさか泥棒とか強盗って訳じゃなだろうけど……ひょっとして、動物かなにかだろうか。ここで弁当を食べる人たちのおこぼれを狙っているとか、そういう感じの。少し気になって、少し木々の間を覗いてみようかと考え始めた俺の思考を、綾の元気な声が引き戻した。

「兄さーん。準備できたよー」
「あ、わかった。すぐ行くー」
 やっぱり、気にしすぎか。そう自分に頷いて、綾の元に向かって、俺は広げられた弁当の豪華さに一瞬、息をのんだ。

「お前、こんなに作ってたのか。って、こんな材料、ウチにあったっけ」
「ふふふ。秘密」
「いや、秘密って」
「秘密ったら、ひ・み・つ」
 にっこりと笑ったまま、答えを隠す綾だった。でも、なんとなく、想像はつく。きっと佐奈ちゃんの協力を仰いだんだろう。俺自身は、あまり手の込んだ料理をするわけじゃないけど、目の前に並んでいる料理のいくつかは、少なくとも前日からの仕込みが必要になるって事がわかった。だから、綾は神崎家以外の場所で料理を行っていたと言うことになるわけで、そう言うことに協力してくれるのは、きっと佐奈ちゃんだろう。

「じゃあ、頂きます」
「はい。じゃあ、あーん」
「自分で食えます。そして自分で食え」
「えー」
「えー、じゃない」
「いじわる」
 唇をとがらせて、綾がむくれてみせる。だけど、その目は笑みを湛えたままで、総じて機嫌は良いようだった。その事に安堵しながら、綾の料理を口に入れる。瞬間、口の中に広がった味に、俺は思わず声を零していた。

「あ、うまい」
「本当?」
「うん。これはお世辞抜きに上手いよ」
「えへへ。よかった」
 綾の手料理なんて普段から食べ慣れているけど、こういう「余所行き」な感じがするのは新鮮だった。その味に素直に感心しながら、俺は妹の手料理に舌鼓をうつ。揚げ物にしても、煮物にしても、一つ一つに手が入っていて、いかに綾が気合いを入れてくれてくれたのかが伺える品々だった。

「いや、ほんとに上手いな。作るの大変だっただろ?」
「頑張りました」
「そっか。ありがとな。綾、こう言うのも作れるんだな」
「いくつかは新しく練習したんだよ。えへへ、どう? 見直した?」
「うん。見直した。凄い凄い」
「じゃあ、その……惚れちゃった?」
「ああ、それはない」
「何でよ! もう」

 /尾行組

「綾さん、料理上手なのね」
「びっくりです。あんなに上手だって、知りませんでした」
「良さんも随分と美味しそうに食べてるわね」
「綾ちゃんなら、良の好みは知り尽くしてるでしょうから」
「……」
「……」
「……私たちもお昼にしましょうか」
「尾行しながらですか?」
「はい。スポーツドリンク」
「……頂きます。って、あ!」
「あっ、今」
「ええ、いま、あーんってしてましたよ?!」
「……結局、良さんは綾さんのお願いに勝てないみたいね。もう」
「……もう。押し切られてるんじゃないわよっ。ばか」


/5.魔法院研究棟(龍也と久遠)

「と、まあ。結局、良君は綾ちゃんに泣きつかれると断れなかったのよねー。……と、まあ、今思い出せるエピソードはこんなところかしら」
 多少の誇張はあるかもしれないけど、そこは許してね、と悪戯っぽく笑いながら、久遠は軽く手を打ち合わせた。彼女が語ったのは、良と綾の幼少期の話。それを聞き終えた龍也は深々と頭を下げた。

「お話、ありがとうございました」
「少しは参考になった?」
「はい、とても」
 少しの興奮に口元をほころばせたまま、龍也は素直に首を縦に振る。どうやら本当に二人の話を聞けたのが嬉しかったらしいと、久遠は彼の態度をそう理解した。

「あの、先生」
「なにかしら」
「その……その頃の写真とかお持ちだったりしますか?」
「んー、どうだったかしら。探せばあるとは思うけど……」
 探すのは面倒だなあ、と内心で呟きながら久遠は、じっと龍也の表情を伺い、そして言った。

「でも、そんなの良君に言えばいいじゃない。昔のアルバム見せて欲しいって」
「それは、その……」
 久遠の当然の疑問に、しかし、龍也は言葉を詰まらせて視線を下げる。そして、沈黙を挟むことしばし、やがて龍也は、消え入るような声で答えを告げる。

「ちょっと、あの、恥ずかしくて」
「……」
 恥じらいに頬を僅かに赤く染めてる龍也に、久遠は尋常ならざる可愛さを感じて思わずよろめいた。蓮香をして「節操なし」と言われるほどに、男女関係には寛容で、経験豊富な彼女ではあるが、龍也から放たれる愛らしさは普通ではない。というか、抱きしめて頬ずりしたい衝動を押し殺すのに懸命な久遠だった。

「だめ……我慢しないと……レンが……ああ、でも、可愛いし。もう」
「緑園先生?」
「……久遠」
「はい?」
「久遠って呼んでくれたら写真は探してきてあげます」
「本当ですか?!」
「ええ」
「ありがとうございますっ。久遠先生!」
「うっ」
 感謝の気持ちに押されるままに、彼女を見つめる龍也の瞳。その瞳の綺麗さに、久遠は色んな意味で蹌踉めきそうになる自己を押さえる。

「さ、流石にファンクラブを持つだけはあるわね」
「先生?」
「まさか、狙ってやってるの? だとしたら、なんて恐ろしい子なのかしら」
「あの、久遠先生」
「はっ?! な、なにかしら、龍也君」
「いえ、その、よろしければもう少し教えて頂きたいなって。二人の小さいときのこと」
「え? あ、いいわよ。うん、それはいいんだけど……」
 飛びかけていた意識を龍也の声に引き戻された久遠は、頷きを返しながらも少し首をひねって問いを返した。

「でも、龍也君は、どうしてそれが気になるの?」
「え?」
「だから、どうしてそんなにあの二人の「昔」が気になるのかなーって」
 彼が久遠の元を訪れた理由、そして今までの態度から、速水龍也という魔法使いが神崎兄妹に並々ならない関心と感情を抱いていることを久遠はもう理解している。しかし、その彼が、二人の「過去」にこだわる理由がなにか。
 それを掴むために問いかけた久遠の言葉に、龍也は僅かに逡巡を見せてから、やがてゆっくりと答えを口にした。

「何か切っ掛けがあるのかなって。そう思っているんです」
「それは、あの二人の仲が「良すぎるようになった」切っ掛けの事ね?」
「……はい」
 綾が良に対して家族を超えた感情を抱き、良が綾に対して強い優しさを見せるようになった理由。

「なるほど。龍也君は、あの二人のことほんとに心配してるのね」
「はい……やっぱり、兄妹で親密すぎるって言うのは、困るんじゃないかなって」
 そう頷いてから、龍也は確認するように久遠の瞳を覗いた。

「あの、久遠先生はご存じなんですよね? 綾ちゃんのこと」
「勿論。その事でレンから愚痴を聞かされた回数なんて数え切れないわよ」
 それはつまり、綾が良としか魔力交換ができないということ。そしてなにより綾が良のことを異性として好きだと言うこと。それを勿論知っている、と答えてから、「でも」と久遠は首をかしげて、唇に手を当てる。

「でも、そんなに心配しなくちゃいけないことなのかしらね」
「……え?」
「好きなら好きでいいのよ。結婚しちゃえばいいのに」
「け、け、結婚?!」
 さらり、と何でもないことのように言ってのけた久遠に、龍也が驚きのあまり目をむいた。

「あの、その、久遠先生!? あの二人は兄妹ですよ?」
「大丈夫よ。龍也君」
「な、何がですか」
「私、不倫とか禁断の愛とか大好物だから」
「そういう問題じゃありませんっ」
 真顔で言い放つ久遠に、戦慄の表情を浮かべて龍也は首を振る。

「そ、そもそも! 兄妹じゃ結婚できないじゃないですか。無理なんですよ」
「龍也君。心配しなくても法律には必ず抜け穴があるものなのよ」
「怖いことを真顔で言わないでください! って、抜け穴なんてあるんですか?!」
「ん−。どうかしら」
「あ、あのですね……」
「でも、無理ならしなければいいだけの話なのよね。結婚しないで付き合えばいいだけ」
「……え」
「だから、結婚できないのなら出来ないでいいのよ。別に婚姻関係だけが唯一の愛の形じゃないんだし」
「……え、いや、そんなの」
 からかっているのかと訝った龍也だったが、しかし久遠の口調に揶揄の響きは感じ取れなかった。あまりにあっさりと言ってのける彼女に、龍也に動揺が渦巻いていく。そんな彼の様子に、久遠は小さく笑って軽く手を振った。

「ごめんなさい、変なこと言っちゃったわね。龍也君やレンの心配が間違っているわけじゃないんだから。あんまり深く考えないで」
「そうなんですか?」
「そうよ。ただ、そういう意見もあるっていうことを言いたかっただけ」
「……:
「それよりもう一つ質問していいかしら」
「なんでしょう」
「龍也君は、綾ちゃんのことが好きなの?」
「え?」
「それとも、良君のことが好きなの?」
「えええ?!」
 綾という言葉よりも良という言葉に露骨に反応した龍也に、久遠は口元を隠しながら納得したように首を縦に振った。

「なるほど。やっぱり、そうなのね。うん、そうじゃなかったらわざわざ研究棟に来ないものねー」
「な、なんのことでしょうか?」
「隠さなくても良いのよ。良君って良い子だものね。優しいし」
「いや、別にそういう事じゃなくてですね?!」
「あら、隠さなくてもいいわよ? 私、同性愛には寛容だから、というか、私も彼女いるしね」
「そ、そうなんですか……?」
 久遠の言葉に一瞬、なにやら安堵めいた表情を浮かべた龍也だったが、次の瞬間には我に返って大きく首を左右に振った。

「で、でも、そういうんじゃないです。友達としてですね!」
「ふーん」
 真っ赤になる龍也をひとしきり愉しげに眺めならがら、久遠は頭の中で考えを巡らせていた。良と綾。そして神崎家の人々の過去。それをどこまで語ることが許されるのだろうか、と。

続く

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