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  魔法使いたちの憂鬱

           第四話 生徒会に入ろう?

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1.生徒会室(紅坂セリア)

「お疲れ様でした」
「はい、お疲れ様。気をつけて帰るのよ?」
「はい、お先に失礼します」
 やや緊張に強ばった声で、それでも満面の笑顔で頷きながら後輩がドアから姿を消す。流石にパタパタと廊下をかけるような粗相はしないが、それでも足早に遠ざかっていく足音が、彼女の緊張を物語っているようで、私は口元を緩めた。
 彼女はこの春から生徒会に参加した新入生の一人。中等部では生徒会長を務めていたとのことだが、今はまだその才気より初々しさが先に立つ辺り、微笑ましい物を感じてしまうから。

「……ふう」
 傾いた日はもうすぐ地平線に姿を消してしまいそうで、人影のない生徒会室は夕闇に沈んでいる。遠ざかる足音から意識を外し、代わりに校庭から僅かに聞こえる生徒達の声を耳にして、私は軽く伸びをして息をついた。

「会長?」
 タイミング良く……あるいは悪く。私の吐息に合わせるように、会議室のドアが空いた。そこから姿を見せたのは一人の女生徒。
 眼鏡越しに怪訝な視線を私に向けるその女生徒は、生徒会副会長の篠宮鈴(しのみや・りん)。何処か厳しい表情をしている事が多く、黒の短髪に眼鏡という風貌も相まって、社長秘書みたいだと評される彼女は、私が一番、信頼を置いている生徒会役員であり、なにより幼いときからの友人だ。
 会議室から私の鞄を持ってきてくれた鈴は、それを私に渡しながら、やや気遣わしげな表情を浮かべて私の顔を覗き込む。

「お疲れですか? 紅茶でよろしければお淹れしますけど」
「ううん。いいわ、ありがとう。それより……ねえ、鈴」
「はい」
「わたしって、人望無いのかしら?」
「……?」
 問い掛けに、きょとん、と目を開いて鈴は小首をかしげる。そして考えること数瞬。目を動かして、まわりに他の生徒会役員たちが居ないことを確認してから、彼女は「セリア」と怪訝に私の名前を呼んだ。

「なんの冗談ですか? あなたに人望がないとしたら、この魔法院の誰もが人望を持たないことになりますよ」
「そう……そうよね」
 あるいは過分とも受け取れる鈴の返事を、私は頷いて受け入れる。我ながら自惚れている―――とは、正直、思っていない。この魔法院において人望を勝ち取るべく努力してきたし、それにともなう結果も残してきたという自負があるから。その思いは鈴も共有してくれているのか、彼女は揺るぎない表情のまま、先程、後輩が出て行ったドアを指さした。

「先程の声は、卯月さんでしょう? セリアの人望なら、あの娘の反応でも瞭然でしょう」
「そうね」
 確かに彼女は私に「心酔」しているといってもいい。人望というのが、他人から寄せられる尊敬の念であるのなら、確かに彼女のような存在は私の人望を示す証拠の一つになる。……そのハズなんだけど。
 今ひとつ歯切れの良くない私の返事に、鈴の表情に僅かな陰が差す。

「らしくありませんね、セリア。やっぱり疲れてるのでは?」
「そうね……うん。そうかも」
 生徒会の会議自体は常と変わる物ではなかったけれど、それが始まる前に、一悶着あった所為で疲れていると言えば疲れているのかもしれない。……らしくない醜態をさらしてしまったことだし。

「鈴」
「はい」
 疲れていると自覚したのなら、気分を変えるためにもすることは一つだ。そう決めて、私は不安げに眉根を寄せる親友に、微笑みを投げて手を差し出した。

「お願いできる?」
「勿論。喜んで」
 短い言葉に、しかし私の意図を正しく了解して、鈴は恭しく頷く。そして私が差し出した手を押し頂くように両手で受け止めた。
 掌に触れる、鈴の手の温もり。その温もりを機転に、互いの魔力が波打つように揺れ、混じり始める。

 波が引くように、奪われて。波が押すように、満たされる。
 大きな感覚の渦に飲まれるような錯覚にたゆたいながら、私と彼女は互いの中身を入れ替えていく。

「……っ」
「……」
 喪失感と充実感。押し寄せる感覚に、声にならない息が零れて落ちた。行き交う魔力の波が麻薬のように精神を侵すのを知覚しながら、それでも私は細心の注意を払って、交換される魔力の流れを制御する。下手な魔力交換はどちらかに―――あるいは両方に疲労を残すが、上手く魔力の流れを操作しさえすれば、疲労を残すなんて言う無様は晒さなくて済むのだ。勿論、誰にでもできるような簡単な技術ではないけれど。これでも伊達に魔法院の生徒会長なんかを張っては居ない。

 そして、手を繋いでから、おそらくは1分。

「……うん。もう良いわ」
 疲労感が体から抜け落ちたのを自覚して、私は鈴の掌から手を引いた。気怠い感覚は消え、朝の静謐に似た清涼感が自分の中に満ちているのを確認して、私は鈴に笑みを向ける。

「ありがとう、鈴。おかげですっきりしたわ」
「こちらこそ」
 私の言葉にか、それとも疲労の抜けた表情にか。鈴は安堵の笑みを口元に浮かべて会釈を返す。その穏やかな表情に、私も口元を綻ばせようとして、ふと心をよぎった思いに別の言葉を口にしていた。

「ねえ、鈴」
「はい」
「今の、疲れなかった?」
「はい。まったく」
 返されるのは躊躇いのない肯定。その声に、嘘なんか無いって理解しながら私は更に問いを重ねる。

「……身体に異常はない?」
「ありません」
「本当に?」
「本当にです」
「そう。ならいいわ」
 問い掛ける度に返される歯切れの良い返事に、私は安堵の息をつく。自分でもらしくない気遣いの言葉。そんな感想は、目の前の親友も当然抱いたようで、彼女は訝しむ視線を私に注いだ。

「セリア。何かあったのですか?」
「あら、どうして?」
「セリアが私のことを心配するなんて珍しいですから」
「……実は喧嘩を売ってるのかしら」
「そんなことは、決して。単なる事実の指摘です」
「あなたねえ……」
 鈴の慇懃無礼な物言いに、しかし、彼女の気遣いを感じて、私は今度こそ表情を綻ばせることができた。

「大したことじゃないんだけどね」
「何かあったのですね?」
「ちょっと、勧誘を失敗してしまったのよ」
「……ああ、また彼にちょっかいを出したのですか?」
 納得しました、と私の返事に鈴は大きく頷いた。しかし、らしくない彼女の早合点に私は苦笑しながら間違いを正す。

「違うわよ。「彼」じゃなくて「彼女」、よ。今日、声をかけたのは速水君じゃなくて、桐島さんだもの」
「ええ。ですから、また「彼」にちょっかいを出したのでしょう?」
「……鈴? 話が見えないのだけど」
「ですから、また彼が絡んでいたんでしょう? 神崎蓮香先生の息子さん……神崎良君、でしたね」
「む」
 なんでそんなことまで見透かしているのか。一瞬、私が言葉に詰まると、小さく微笑んで鈴は私の髪に触れた。昔から、私をなだめるときに彼女がとる行為で、私も彼女以外には決して許さない行為。

「セリアは負けず嫌いですから。あの二人の勧誘に拘っているのは「彼」に対する意地もあるからだと思います。違いますか?」
「そうね。自覚はしているわ」
 親友に図星を指されて、私は降参、と軽く肩をすくめた。
 速水龍也に桐島霧子。一度、断られた相手になおも固執している理由は、おそらくは彼ら自身の魅力だけではないのだろう。彼ら二人が二人とも、あっさりと私ではなく、「彼」の意見を選び取ったことが気に入らないのだ。私は。

 それが、ひどく子供じみた感情だとは分かっている。
 それでも……今までにないことだったから、自尊心が傷つかないわけじゃない。

「でも、あの二人を気に入っているから生徒会に欲しい、というのは本当よ」
「それは分かっています。二人とも人望の点では申し分ありませんし、速水君の方は才能の方も突出しています」
 言い訳する言葉に、鈴は優しく私の髪を撫でながら頷いた。そして心持ち表情を改めて、私の心をのぞく様に鈴はその瞳に私を映す。

「セリア」
「何?」
「彼の指摘、まだ気になっているのですね」
「……多少ね」
 私の心を巡る思考。それを見透かした鈴の言葉に、私はやっぱり溜息混じりに首を縦に振る。本当にこの親友にだけは隠し事ができないようだった。

「敗因といえば敗因になったわけだし。鈴はどう思う?」
「……そうですね。悪癖といえば、悪癖でしょうね。改めるつもりですか?」
「んー。どうしよっか」
 軽く考え込む振りをして見せたが、鈴には見え見えの仕草だったのだろう。軽い苦笑で彼女は応じただけで何も言わなかった。
 言うまでもなく、私が改めるつもりが無いことを彼女は熟知しているのだから。

 そもそも「彼」が指摘し、そして鈴までも悪癖と評した私の性質とは、言ってみれば「気に入った人がいるとその魔力が欲しくなる」という衝動のこと。それは魔法使いなら誰しもが多少なりとも持っている衝動なのだから、改めるなんて言う考えがそもそも私にはなじまない。

 ……まあ、問題は、その衝動の度合いが、どうやら私は大きいらしい、ということにあるようだけど。

  『会長さん、こいつらが生徒会に入ったら独占しちゃうつもりでしょう?』

 彼はそんな言葉で指摘していたけど、確かに私の独占欲は人より強い。気に入った人がいるとその魔力が欲しくなる。それだけでなく、その人が、その魔力を「私以外の誰か」に渡すことが、酷く気に入らないくらいに。
 でも重ねて言うが、そんな「独占欲」みたいなものは魔法使いなら誰もが持っている感情で、別に恥じ入るようなモノじゃない。世の中に綺麗な建前がはびこっているけれど、誰かを求めるのは魔法使い云々以前に、人間としての本能だし。

 そもそもそんな性質を曲げている様じゃ、紅坂の人間として胸を張って生きてはいけないじゃない―――。

「セリアはセリアのままでいいと私は思っていますよ」
「ふふ。そうね、ありがとう。鈴に言ってもらえると自信が付くわ」
 親友の言葉と態度に、心に僅かに巣くっていた陰りが消えていくのを自覚する。そう、私は私。例え傲慢と指さされても、それを受け止めて歩いていけない程に弱くはないし、弱くてはいけないのだから。

「それに今、このタイミングで性格を改めたら彼に完全に負けたみたいで嫌だしね」
 軽く茶化すように舌を出すと、鈴は困った物です、と応じて、次の瞬間、私が思っても見なかった提案を口にした。

「セリア」
「何?」
「いっそのこと彼を、勧誘してしまえばいかがですか?」
「彼を?」
 何を言い出すのか、と視線で告げる私に、鈴は至極真面目な表情で答えを返す。

「そちらの方が建設的ではないですか? 彼と直接、白黒とつけられます。結果として速水君や桐島さんも生徒会に入るでしょう」
「……そうね。考えてみてもいいかもしれない」
 と呟いては想像を巡らせる。確かに間に速水龍也や桐島霧子を間に挟むよりも、あるいは単純ですっきりとしたやり方かもしれない。なら悪くないのかも知れない―――、との思いが一瞬、脳裏をよぎったのが、それと同時に浮かんだ別の疑問を私は鈴に問い掛けた。

「ねえ、鈴」
「はい」
「彼って成績は良かったかしら?」
「魔法使いの才能は乏しいようですね。試験の上位者に名前を連ねていた、という事はありません」
「容姿はどう思う?」
「評価の基準には個人差があるでしょうが悪くはないでしょう。統計を取れば、きっと速水龍也の方が美形と答える割合が多いでしょうけれど。おそらくは圧倒的に」
「……鈴」
「はい」
「単刀直入に言って、彼に長所って在るの?」
「目立った短所がないことでしょうか」
「……問題外ね」
 成績は並み。容姿は悪くはないが、速水や桐島ほど目を引く物でも無し。妹の方は才色兼備で、文句なしに合格点なのだけど。やや憮然と肩をすくめた私に、鈴は愉しそうに目をほそめた。そこにもの言いたげな意図を感じて、私は言葉を促した。

「なによ。言いたいことがあるのなら、おっしゃい」
「そうですね。他に長所をあげるとすればまず、セリアが目を付けた人間を奪った、という所でしょうか」
「……嫌なこと、いうのね」
 悪戯な鈴の指摘に私は唇をとがらせて、そして彼女の不意を突いてその手を取って引き寄せる。

「あ」
「いじわるなこという子は嫌いよ」
 お仕置きだ、とばかりに強くその頭を抱きしめながら、その耳元で囁いた。

「それは困ります。私には貴方しか居ないのですから」
「ふふ、よろしい」
 おとなしく私の胸元で反省の弁を述べる鈴の頭をなでてから、私は話題を件の彼に差し戻す。

「でも、あなたは神崎良のこと、評価しているの?」
「そうですね。おもしろい人物だとは思っています」
「ふーん。どういうところが?」
「彼と居るとあなたが子供に戻るところが、でしょうか」
「あのね」
 ……こいつめ。全然反省なんてしていないじゃない。苦笑混じりに嘆息しながら、今日、生徒会で演じた子供じみた喧嘩を思い起こして、少し、頬が熱くなった。子供に戻る―――とは、確かに今日の醜態を表すのに相応しい言葉だろう。

 本当にもう。鈴の台詞は私を見透かしてしまうから困る。つきあいが長いというのも案外考え物なのかもしれない。

「セリア。少し苦しいです」
「お黙りなさい。私をからかう罰です」
「罰ですか。それなら仕方ありませんね。甘んじて受けましょう」
 言って、彼女は私の背に手を回す。反省とはほど遠い彼女の行為を、私は小さく笑って受け止めながらその頭を優しく抱いてやる。

「でも、そうね。私が彼を従わせられたら、少しは子供から抜けられるのかしら」
「どうでしょう。朱に交われば赤くなる、と言いますから」
「私が彼に混ざってしまうなんてあり得ないと思うけど」
「そうですね。私もそう思います……けど」
 不意に頷きを途中で止めて、鈴は私に抱かれたまま顔を上げて、真剣な眼差しを向けてきた。

「……鈴?」
「でも、セリア。彼を勧誘するのなら気をつけてくださいね」
「何を?」
「そこに恋愛感情を持ち込まれては困ります」
 真顔で告げられた鈴の意外な台詞に、私は一瞬硬直し、そして次の瞬間、思わず吹き出していた。

「……セリア? 私は真面目に話をしているのですけれど」
 だからこそ吹き出したのだが、それは言わずに私は彼女の頭をなでつけた。

「ごめん、ごめん。あまりに予想外の言葉だったから……そうなったら焼き餅やいてしまう?」
「はい」
 素直に頷く鈴に、私は「大丈夫よ」と苦笑で応じながら、今度はあやすようにその頭をなでつけていた。鈴は確かに心配性な面もあるが、こればっかりは流石に杞憂と言うべきだろう。

「私が彼に恋愛感情ね」
 想像の埒外すぎることだけど、少なくとも鈴をからかうネタくらいには使えるかもしれない。

 その思いに私は軽く肩をすくめて―――、でも意外とおもしろいかもしれない、と少しだけ心の隅っこで呟いていた。


2.神崎家の食卓(神崎良)

「兄さん? どうかしましたか?」
「あ、いや何でもない。ちょっと寒気がしただけ」
「風邪か? 調子が悪いのなら早めに薬を飲んで休むんだぞ」
「わかりました。でも、大丈夫です」
 ……なんだろう。もの凄い悪寒が背筋を駆け抜けた。
 案外、会長さん当たりが呪いの人形でも使っているのだろうかと考えて、流石に考え過ぎか、と頭を振って再び夕食を再開した。

 食事当番は、本当に俺に押しつけられていたので、食卓に並ぶ品数はいつもより少ない。かつ切って焼くだけ料理が大半だったりするのだけど、その分、量は多いので良しとしよう。量が多すぎると女性陣には不興を買うのだけど、その分は自分で処理すれば問題はないわけだし。

「成長期だからといって油断してると太るんだからな」
 などと俺の思考に釘を刺すように、何処か呪詛のこもった視線でレンさんが呟いているが、それを聞き流して俺は綾に顔を向ける。

「なあ、綾」
「なに?」
「結局、お前は生徒会に入るのか?」
 野菜炒めを皿に取り分けながら問いかけると、レンさんが興味を引かれたように目を開いて反応した。

「生徒会? ひょっとして綾も紅坂に誘われたのか?」
「うん。今日のお昼に」
「ふうん」
 綾の返事に感心したようなうなり声を上げると、レンさんは俺を横目に見ながら口元をゆがめた。

「速水、桐島に続いて綾まで勧誘とはね。随分、お前と趣味が合うんじゃないのか? あの生徒会長は」
「たまたまですよ。たまたま」
「たまたま、ね。まあ、そう思いこみたいのなら構わないが」
 随分と含みを持たせた台詞を俺に向けながら、レンさんは話題を綾に戻す。

「それで、誘われた綾としてはどうするんだ?」
「んー、入らないと思う」
「ほう。理由は?」
「兄さんと喧嘩するような人だしね。あまり仲良くできそうにないかな、って」
 さらり、と言ってのけて綾がお茶をすする。その妹から視線を俺に移してレンさんが首を傾げた。

「喧嘩? 良、去年のこと、綾に話してたのか?」
「いや、そういう訳じゃないですけど」
 まさか「今日改めて、綾の目の前で会長と口喧嘩してました」とは言う気にならずに、俺は曖昧に言葉を濁す。が、その俺の曖昧な返事に今度は綾の方が食いついた。

「それ、ずっと気になってたんですけど。去年、会長さんと何を揉めたの? 兄さん」
「いや、ちょっとな」
「ちょっと、じゃないの。兄さんたちだけの隠し事なんてずるいよ」
 誤魔化そうとする俺の意図を悟って、綾は不満げに眉を曇らせる。ちょっとばかり本気で拗ねている時に見せる表情だ。
 
 ……まあ隠しておくような事じゃないか。
 妹に気圧された訳じゃない……と堅く自分に言い聞かせながら、俺は去年の顛末を少しだけ口に乗せることにした。

「去年、会長さんが龍也を生徒会に勧誘したんだよ」
「うん。それは聞いた」
「でも、龍也は嫌がってたんだ」
「そう言ってたね。でも、速水先輩がそういうの断るって意外なんだけど」
 そう不思議そうに首をかしげる綾に、無理はないか、と思いながら俺はなるべく穏便な説明を頭に浮かべながら話を続ける。

「まあ、ほんとに心底お人好しだけどな、あいつ。それでも苦手な人ぐらいはいるってことだよ。それに去年は体調の面もあって、ちょっと生徒会にはいるのは遠慮したいとうことになったんだけど」
「去年、速水先輩、体調悪かったの?」
「ちょっとだけな」
 正確には会長の妙な迫力だか魅力だかに当てられて魔力変調を起こしていたらしいのだけど、その辺を言い出すとややこしいので軽く流しておく。

「それで本人も断りを入れた訳なんだけど……」
「会長さんは、あきらめなかったの?」
「そういうこと。それで結構押し問答みたいなことになってさ」
「ふーん。そういうことがあったんだ……って、ちょっと待って」
 一度は頷きながら、何か疑問に思ったのか綾は再び小首をかしげる。

「それって、速水先輩のことだよね? どうしてそこに兄さんが絡むの?」
「龍也に助けてくれって泣き付かれたらしかたないだろ。それに体調が悪いのも見てて分かったからな」
「ふーん。そっか」
 非常に端折った説明だったのだが、一応は納得してくれたのか綾はウンウンと頷きを繰り返した。

「なるほど。じゃあ、評判と違って意外と性格悪いんだね、あの会長さん」
「いや、それは言い過ぎだと思う」
「そうなの?」
「多分」
 確かに去年は喧嘩にはなったけど、全ての原因を会長さん側に負わせるのは後味が悪い。実際、龍也がある種の特殊体質でなかったら、去年の騒動は起きなかったと思うし、早い段階でその当たりの事情を説明しなかった俺たちにも落ち度はあるのだし。
 その思いに押されながら、俺は彼女のフォローを試みる。

「多少の行き違いはあったから、ちょっと俺たちと会長さんの間にはしこりみたいなものはあるけどさ。基本的には面倒見のいい人だし、別にお前が会長さんを毛嫌いする必要は無いと思うぞ」
「嫌です」
「……嫌?」
 にべもなく拒絶の意思を示す妹に、一瞬俺が固まると、綾は笑いながら小さく手を振った。

「うん。やっぱり、兄さんと仲良くできない人とは、私も仲良くする自信ないから」
「あのな」
 人の話を聞いていないのかこの娘は。行き違いがなければ良い人だっていうフォローを完全に無視してのけた綾に、なんて言い返そうかと考える俺の真横で、レンさんはなんだか楽しそうに肩を震わせる。

「はは。なるほど、綾らしい理由だね」
「いや、納得しないでくださいよ」
 全くフォローに回る様子のないレンさんに俺は内心あせりながら、次の言葉を探す。下世話な話になるが、魔法院の生徒会を務めていた、ということは内申書的にかなりのプラスになるのだ。龍也のような特殊事情や、霧子のような苦手意識がないのなら参加して損、ということにはならないだろう。元々興味があったというのならなおのことだ。
 それなのに、俺の所為で辞退、というのは後味がよろしくない。

「会長さんの誘いに乗ったんだから、多少は興味あったんじゃないのか?」
 そんな俺の親心もとい兄心からの言葉に、何故か綾は不満げに眉をひそめた。

「なによ。兄さんは私が生徒会に入ってもいいの?」
「いや、だから別にいいけど」
「なんでよ!」
 一体、何が不満なのか、俺の言葉に、綾は憤慨して声を荒げた。

「何でいきなりキレてるんだ」
「何でって……だって、霧子さんのときにはあんなに反対したじゃない。その差はなんなのよ、差は!」
「だから、あれは本人が嫌がってただろ」
 それに傍から見ていてもはっきりとわかるほどに会長さんに対して及び腰だったしな、あいつ。

「私だって嫌がってるじゃない。今」
「……いや、だからな。放課後に進んで見学に行っていたのは誰だった?」
「それは過去の話ですー」
 何が不満なのか、綾の機嫌が坂道を転がるように悪くなる。

「なんでそんなに怒ってるんだ?」
「だって、最近、兄さんは霧子さんと私で扱いが違うような気がするから……」
「気のせいだろ。どちらかというとお前の方を心配してるんだぞ、俺は」
「……本当?」
「本当、本当」
「繰り返される台詞にはイマイチ誠意が感じられません」
「絡むなあ」
 本当にどうしたものか。軽い頭痛を覚えながら、俺は諭す言葉を探していく。

「いや、だからな。別に霧子が心配で、お前のことは心配じゃないから生徒会入りを進めている訳じゃないんだぞ?」
「じゃあ、どういう訳?」
「それはだな……」
 正直、綾をあの会長さんの側に置いておくことには不安が無くもない。放課後、会長さんと会っていたときはなるべくなら綾にも生徒会入りを遠慮して欲しい、と思ったのも事実ではある。
 でも、帰り道にいろいろと俺なりに考えた結果、綾の生徒会入りには、実は割と恩恵があるのではないのか、と思いついたりしていたのだ。多分、それは俺にとっても、なにより綾にとってもプラスになる。
 が、その恩恵とやらの内容を綾に直接言うと、また機嫌が急降下していくことがわかりきっているので、当たり障りのない台詞でお茶を濁す。

「えーと、あれだ、妹の将来を嘱望する兄心という奴です」
「すごーく、胡散臭い」
「ばっさりだな。おい」
 もう少し優しい言葉を、兄は求めています。
 ちょっと泣きそうになる兄を尻目に、妹はなお不満げに眉をつり上げる。

「そもそも今日の兄さんと会長さんのやりとりを見て、会長さんに好感を抱けっていうのは無理じゃない」
「だから、あれはレアケースだっていうのに。大体、お前の場合は、ああいう強引の人の方が相性が良さそうだし」
「ひーどーい。兄さんは私が強引に会長さんにどうにかされちゃえばいいっていいのねっ!」
 どうにか、って何がだ。

「あー、もう。レンさんも何とか言ってくださいよ」
 情けない話だが、最早、俺だけの言葉では埒が明かないと、観戦を決め込んでいるレンさんに水を向ける。縋る俺の視線に彼女は満面の笑顔で頷くと、自信満々の声で言った。

「何とか」
「下手すぎるぼけをありがとうございます!」
 最悪すぎるボケだった。せめてもう少しひねれ。

「ノリがわるいなあ。ここは笑うところだろう?」
「絶対違います。というか仕舞いには泣きますよ、俺だって!」
「じゃあ、慰めてやろう。おいで」
「うわ、ちょっと、レンさん?!」
 何を思ったのか、いきなり手を引いて、レンさんは俺の頭を胸に抱きかかえた。それは朝とまるで同じ体勢で、つまり、その後に続く綾の反応は―――。

「あー! またレンさん、ずるいです!」
 想像の通り、朝に続いて、綾とレンさんの口論が始まってしまい。結局、騒ぎが落ち着いても、綾の生徒会入りの話はうやむやのまま、その日の夕食はお開きとなったのだった。


3.神崎家の夜(神崎蓮香)

「あれ、レンさんだけ? 兄さんは?」
「ああ、さっき部屋に戻ったよ。すれ違いだったな」
「そう」
 騒々しく終わった夕食の後、軽い書類仕事を片づけてからリビングで一息ついていると、寝間着姿の綾がひょっこりと姿を見せた。夕食後は機嫌の悪いまま自室に戻った彼女だが、どうやら多少は持ち直したのか、その表情には目に見えるほどの怒気はなりを潜めているように見える。

「綾も飲むか?」
 パタパタとスリッパを鳴らしながらソファーに向かってくる綾に、手にしたコーヒーカップを掲げてみせると彼女は一瞬考える表情を見せてから首を横に振った。

「いいよ。寝られなくなっちゃうし」
 言いながら、ぽすん、と綾は私の向かいのソファーに腰を下ろす。そこは本来ならば彼の指定席。だけど彼が居ない時には綾は好んでその場所に座る。仲がいい兄妹―――、という言葉ですませてしまうには、些かにじみ出る感情が強すぎる行為。それを目に捉えたまま、私はカップに唇をつけ、そして問いかけた。

「なあ、綾」
「何?」
「本当に、生徒会に入らないのか?」
「……入りません」
 答えるまでの一拍の沈黙は、迷いなのかあるいは意地なのか。それは判然としなかったが、答えを綴る声には、不機嫌さが滲んでいた。どうやら先ほどの喧嘩は多少は尾を引いているらしい。

「興味あるんだろう?」
「そうでもないです。一度見学したから気が済んだし」
「ふーん。じゃあ、もう生徒会には興味はないと」
「うん。まあね」
「良が入っても?」
「だったら、入るけど」
「本当にわかりやすいな。綾は」
 この娘にとって、兄の後をついて回るのは至極当然の行為であるらしい。なるほど、良が綾の判断基準を自分から逸らそうと躍起になるのも宜なるかな、か。

「……いいじゃないですか。別に」
 私の苦笑に気づいたのか、綾は僅かに頬をふくらませる。そして―――。

「私、兄さんが好きなんだから」
 そんな飾り気のない、なによりもやっかいな感情を、はっきりと言葉に代えた。

「好きな人と一緒にいたいって思うのは当たり前でしょう?」
「……やれやれ」
 さらりと言ってのける綾に、私は苦笑して息をつく。綾の言う「好き」という感情。それが、家族に向ける類の感情ではない。そのことは昔から気づいていたし、実は、実際に綾から打ち明けられてもいた。だから、今更驚きはしないが、こうまで明け透けに宣言されると、母親としてどうしたものかと頭を抱えざるを得ない。

「困ったモノだね。相変わらず」
「いいじゃない。別に」
「普通は良くはないんだぞ」
 悪びれない娘にため息で応えながら、それでも私は綾の気持ちに否定を投げることはしなかった。本来、娘が母に、兄への思いを打ち明けて平然としているなど言語道断なわけだが、今のところ、綾を支えてやれるのは良だけだと言って良い。なら、彼に対する想いが愛情の方に振れている限りはよしとするべきなのだろうと思っている。感情のベクトルが逆方向に振れるよりよほど良いのだから。

「開き直るのはいいけどね。茨の道を歩く気概は嫌いじゃない。だが」
 しかし、そういう想いを明け透けにして悪びれない娘には、お仕置きが必要だろうと、私は多少維持の悪い質問を綾に向けることにした。

「少しは進展したのか?」
「……う」
「一度くらいは告白したのか?」
「……してません」
「根性なし」
「あー、ひどい! そんな言い方ないじゃないですか! 私だってがんばってるのに!」
「ほう。頑張ってるときたか」
 私の質問に綾は涙目になって拳を握る。その健気な意地に、更に好奇心を刺激されて、私は娘を促す。さて、一体何をどう頑張っているというのやら。

「具体的には?」
「……日常的なスキンシップに努めています」
「今更過ぎる」
 あまりに予想の範疇の解答に「落第だ」と印をつけて私は大げさに肩をすくめた。

「お前ら初等部までは一緒に風呂に入ってたんだぞ?」
「子供の時のことなんか、比較対象に出さないでよ!」
 怒りか羞恥か。綾は頬を赤くしながら悲鳴に近い抗議の声を張り上げる。
 ああ、もう可愛いなあ。こいつめ。

「あまり興奮すると良に聞こえるぞ?」
「う……ここで兄さんの名前を出すのは卑怯だと思います」
 良の名前を出した途端、不満げに、しかし大人しく声を潜めて綾は肩を落とす。

「ねえ……母さん」
「うん?」
 二人っきりの時、そして本音を漏らすとき綾は私を「母」と呼ぶことが多い。おそらくは良が私を「レン」と呼ぶから、彼が側にいるときにはそれに合わせているのだろう。
 どこまでも兄にべったりな妹は、今は娘の表情になって自信なげな視線を母親に投げかけていた。

「なんか、最近、兄さんの私への扱いがぞんざいな気がしない?」
「ぞんざい、と来たか。それは、気にしすぎ、という気がするけどね」
 それは良が妹に兄離れを促そうとしているからだ、とは気付いていたが、私はそうは答えずに代わりに疑問符を浮かべて首をかしげて見せた。

「生徒会入りを進められたのがそんなに気に入らないか?」
「そうじゃないけど。ううん、それもあるけど、それだけじゃないよ」
 そんな兄の思惑などどこ吹く風の妹は、不安げな視線に不満げな感情を混ぜ込んで、頬をふくらませる。

「そもそも、最近の兄さんは、霧子さんに妙に優しい気がする」
「心配のしすぎだろう」
 客観的に見ると多分あいつは、お前を一番甘やかせていると思うぞ、綾。私としては桐島に対してはもっと優しくしてやれと常々思っているぐらいだ。

「そうかな」
「そうだろう」
「じゃあ……」
 私の答えに納得できないのか、綾は顔を上げて口を開きかけ、止める。その表情に浮かぶのか微かな逡巡。しかし、数拍の間をおいて彼女は意を決したように次の言葉を口にした。

「………………速水先輩にはもっと優しい気がするのも心配のしすぎかなぁ」
「………………それは心配だね、確かに」
 今度ばかりは綾の言葉を笑い飛ばせない私だった。本当に、速水に関してはもう少し距離を置けと思って居るぐらいだ。
 いや、誤解を招きかねないので断って置くが、速水との友人関係をないがしろにしろ、と思っているわけでは断じてない。生涯を通じてわかり合える友人がいかに大切か身にしみている。

 しかし、速水が良を見る目に時として友人以上のものが混じっているような気がしてならないのは私の勘ぐりすぎなのか、彼の女性めいた美貌が招く業なのか。

「……まあ、一応、同性婚は法律で認められてはいるか。しかし、私としてはきちんと孫を抱かせて欲しかったなあ」
「母さん! なにを遠い目をしてるのよ! かつ、過去形で語っちゃ駄目! 受け入れちゃ駄目だってば!」
 一瞬、諦観の領域に踏み込みかけた私を、身を乗り出した綾が肩を揺すって引き戻す。

「む。危うく悟りを開くところだった」
「開かないで、お願いだから」
「……兄に対する妹の思慕を聞いている段階でかなりの悟りの境地に入っている自信はあるんだけどね、母は」
「う……」
 私の指摘に、綾は焦ったように言葉に詰まって僅かに目をそらす。しかし、一瞬で焦りの表情を打ち消すと、今度は至って真面目な表情で私の目を見つめてきた。

「……母さん」
「何だ?」
「今、兄さんに告白したらどうなるかな」
「そうだね」
 どうやらどこまでも開き直ってしまうつもりらしい。その娘の一途さに胸中にこみ上げるのは愛しさか。私は、その感情に押されるままに、心持ち表情を和らげて―――、

「十中八九……いや、99パーセント、もとい全くの疑いなく振られる。玉砕確定だ」
 愛娘の希望を木っ端みじんにしてやるべく、否定の言葉を投げつけた。

「ひ、ひどい! 夢も希望もないこと言わないでよ!」
「気休めを言っても仕方ないだろう? 気休めを言って欲しいなら言うけれど……きっとうまくいくわ。がんばりなさい? お母さんは応援してるわよ?」
「棒読み過ぎです! あげく疑問系じゃない! 誠意の欠片もみえませんっ!」
 涙目で声を張り上げる綾に、私は軽く肩をすくめて息をつく。

「ショックを受けるぐらいなら、少しは女としてみてもらう工夫をしなさい」
「……してるもん」
「例えば?」
「だから、その……抱きついたりとか」
「だから、そんなスキンシップは今更だって言っただろう? 慣れられてるから、効果は薄い」
「うー」
 昔から子犬のように兄の後をついて回っていた綾だ。今更、多少のスキンシップを繰り広げたところで、過去の延長線以上のものにはなり得ないだろう。

「じゃ、じゃあ、もっと過激なことをしろってこと……?」
「そう来たか」
 なかなかおもしろいことを言い出す娘に、めげないなと感心しながらも私はしばし思案する。あまりに可愛い反応をするものだから、ちくちくと悪戯心が刺激されたりしたが、流石にここで過激なことを嗾けたりすると洒落にならないことになる。故に、私は寸前で思いとどまって綾の思考を軌道修正してやることにした。

「過激といっても難しいだろう。そもそも家族なんだから。裸を見せたところで効果も薄い」
「は、裸でも駄目なのっ?!」
 やる気だったのか、この娘は。

「多少気まずい思いをするだろうが、欲情はしないだろうなあ……繰り返すが、お前らは初等部の頃まで」
「だから、あの頃と一緒にしないでってばぁ! 私だって成長してるんだから」
 ……今、私の胸を見ながら言ったな? この馬鹿娘め。
 自分でもひくり、とこめかみの辺りが引きつったのを知覚して、私は静かな笑みを綾に向けてやる。

「あのな、綾」
「はい」
「胸ばかり成長しても仕方ないとは思わないか?」
「思わないです」
「やれやれ」
 自信たっぷりに断言する綾に、私は哀れみの視線とため息を返して小さく首を横に振った。

「無知というのは、残酷だな」
「ど、どういうこと?」
「お前は良の部屋にあるエロ本の内容を知らないから、胸がふくらんだと短絡的に喜んでいられるんだ」
「そ、そうなの……っ?! って、ちょっとレンさん、それ本当なの?!」
 果たしてエロ本の存在を確かめているのか、良の趣味趣向を確かめているのか。おそらくは両方だろうな、と笑いながら、興奮にソファーから立ち上げる綾に私は軽く手を振った。

「冗談だよ。私だって息子のプライバシーぐらいは守るよ。エロ本の中身をチェックしたりはしていない」
 昔、その類の本を発見した際には、中を改めずに机の上に置く程度で許しておいてあげたものだ。まあ、表紙が特徴的だったりすると否応なく性癖は知れてしまうわけだけど。ちなみにそれが中等部の頃。以来、隠し場所には苦心しているようで、こちらとしても隠し場所を突き止めるのに中々骨が折れる―――いや、閑話休題。

「もう……レンさんに相談した私が馬鹿でした」
「確かに、実の兄を落とす相談を、義理の母にする娘が利口かどうかは怪しいな」
「どうせ利口じゃないですよ。私は」
 再三からかわれて完全にすねてしまった娘に、しかたないと肩をすくめて私は口を開いた。

「そうだな。少し距離を置いてみる、というのはどうだ?」
「嫌」
「……あのな、綾。これは真面目なアドバイスなんだぞ?」
 唇をとがらせたままの即答に、私はため息をかぶせて応じる。

「今まで当たり前に隣にいた人間が、そうじゃなくなる、というのは案外堪えるものなんだ。言っただろう? お前たちは慣れすぎているって。距離が近すぎることが、お前の女を感じさせない一因かもしれない」
「そう言われれば……そうなのかも」
 ……実際問題としては、近かろうが遠かろうが母や妹に「女」を感じることなど希だし、普通は感じてもらっては困るのだが。しかし、今は綾が納得しかかっているので余計なことを言わずに、彼女の理解を無言で待つ。

「……つまり兄さんに危機感を抱かせる、ってこういう訳ですね? 私が側にいなくなっちゃう、っていう」
「そうそう。できるなら嫉妬心を煽るまで持って行ければ望ましい」
「なるほど……兄さんが、私をねらう誰かに嫉妬……」
 呟きながら中空を見つめる綾の目。それが、次第に熱を帯びてくる。
 さて、どんな妄想に耽っているモノやら。想像は付くが、詮索はよしておこうと私はため息を隠して言葉を続けた。

「そういう意味では生徒会入りは渡りに船かもしれないぞ」
「あ、そうか……今現在、兄さんは生徒会には入りにくい。そして、生徒会には私を狙う……かもしれない会長さんたちがいる……?」
「そういうこと」
 生徒会に入る動機としては不純きわまりないが、まあ良しとしよう。親としては、綾の人間関係を広げるチャンスは活用して欲しいし、これが兄離れの第一歩になるのなら、教師としても歓迎すべき事態でもある。
 そして、恐らくは良も、私と同じような動機で夕食の時に綾に生徒会入りを進めたのだろうから。

 ……やれやれ、どこが「ぞんざいな扱い」なのやら。尤も綾の求めている「扱い」と、良の行っている「扱い」にはその感情の質において埋めがたい溝がある。だから、綾の不満も当然と言えば当然かも知れないが。

 困った物だ、と自身への揶揄を含めて私が軽く肩をすくめながら思考を巡らせている内に、しばし黙考に沈んでいた綾は何かを決意したようにその瞳を私に向けた。

「レンさん」
「うん」
「私、生徒会入り、考えてみます」
「それは結構。お前の見識を広げる上でも有益だろうね。それは」
 そんな私の内心を知ってしらずか、私を見つめる綾の瞳は、輝く希望に満ちていた。果たしてその希望が叶うことがあるのか。それにまだ否定を導けないまま、私は「そうか」と頷きながら微笑んだ。
 この世界、この国において「そういう前例」が皆無というわけでは実はない。なら―――精一杯頑張ってみるのも一つの路だろう。見せつけられた若い覚悟に、いつになく感傷的になる私に、綾はふと何かに思い当たったように小さく声を上げた。

「どうした?」
「あ、その……実は一つ問題が」
「なんだ」
「兄さんと私の距離が開くということは、私も寂しくなると言うことなんですけど……って、痛」
「黙りなさい、ワガママ娘め」
 綾の頭に手刀を落としながら、まだまだ先は長そうだなあ、と私は何度目かのため息を零すのだった。

続く

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