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  魔法使いたちの憂鬱

       第二十話 集合

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/1.休み時間の教室にて(速水龍也)

「それで、今日は専用車での送迎はなかったわけね」
「今日は普通に徒歩だったよ。まあ、相変わらず注目浴びまくりだったけどな」
 一限目が終わった後の休み時間。いつものように教室の片隅に陣取っている僕たちだったけれど、霧子に頷く良の表情には疲れが浮かんで見えた。その様子に、僕は思わず気遣う言葉を良に投げる。

「大丈夫? 凄く疲れてるみたいだけど」
「大丈夫だよ。一応は」
 そう言って良は軽く笑って手を振るけど、どこか少し無理をしているように感じた。やっぱり、会長さんと並んで登校なんていう注目度抜群の事をしてしまうと気疲れが凄いんじゃないだろうか。僕がそれを指摘すると、良は苦笑混じりに頷いた。

「まあ、会長さんが悪い訳じゃないんだけどな。あそこまで周りからじろじろ見られると、流石に気疲れする」
「あの人、注目度抜群だもんねー」
「人間とは、普通に、平凡に、地味に生きていくのが一番じゃないかと俺は思うんだがどうだろう、霧子」
「何を悟ったようなことを言ってんのよ、あんたは。まあ、気持ちは分からなくもないけどね」
 呆れ半分、同情半分といった口調で答える霧子に、良は軽く呻いてからぱたり、と机に突っ伏す。そんな良の様子に、僕は霧子と顔を見合わせて「どうしたものか」と首を捻った。
 確かに騒いでいるのは周りの人間達だから、会長さんを責めるわけにはいかないと思う。会長さんに問題があるとすれば、彼女が異様に注目を浴びる存在であるにも関わらず彼女自身が注目を浴びることに対して抵抗を覚えていない、という点だろうけれど……。
 とは言え……会長さんに対して「あなたは目立つんですから、もう少し控えめに行動していただけませんか」なんて言葉を口にする勇気は僕にはなくて、そして仮に言ったところで、素直に頷いて貰えるなんて、とてもじゃないけれど思えない。そんな思考を僕が巡らせている傍ら、同じような表情で首をひねっていた霧子が、ふと気付いたように目を開いて、ぽん、と良の肩を叩いた。

「あ……でもね、良」
「ん?」
「今朝、あんたが注目を浴びたのって会長さんの所為だけじゃないんじゃない?」
「なんでだよ。会長さんじゃなくて、俺が目立つようなことをしてたっていうのか?」 
「あんた……綾ちゃんと腕を組んで登校したらしいじゃない。どういうつもり?」
「う。何故ソレを……」
 腕を組み、咎める視線を向ける霧子に、良はばつが悪そうな表情で呻いた。
 僕も霧子も直接目撃した訳じゃないけれど、神崎兄妹が仲良く腕を組んで登校した、という噂はクラスメートから聞いていた。今の良の反応を見る限り、どうやら噂は真実らしい。

「綾ちゃんは可愛いから目立つのよ? 腕なんか組んで登校したら、更に目立つんだって分からない?」
「いや……でも、まあ、兄妹のことだしさ」
「妹離れするんじゃなかったの? お兄ちゃん」
「うう……ご免なさい」
 霧子が投げる言葉の針を、ぐさぐさと身に受けて良がみるみる萎れていく。そんな良をみて思わず慰める言葉が口をつきかけたけれど、僕はすんでの所でそれを、ぐっと飲み込んだ。
 ……うん。霧子にいじめられる良を見るのは忍びないけれど、ここは良に「妹離れ」のことを意識して貰うのはもの凄く大事だと思うから、口を挟みたくなるのを堪える。……ごめんね、良。ここは僕も心を鬼にしないと行けないと思うから。
 何故なら、綾ちゃんが「良と腕を組んで登校」なんていう行動をとったのは、きっと会長さんの突然の行動に、綾ちゃんが危機感を募らせたのが原因だろうから。そして、もし会長さんが「良との関係修復」を目指して、今後も良に対する行動を続けるのなら、対抗心から綾ちゃんの行動が過激化することも想定されるのだ。だから、きっと霧子もここぞとばかりに、良に釘をさしているのだろう。……まあ、少しだけ楽しそうに虐めているようにも見えるのだけど、それは言わないでおこう。

「あー、でも、綾のことなんだけどさ」
 そうやって、しばし、大人しく霧子に虐め……もとい諭されたいた良が、少々、気まずそうに口を開いた。

「反省した?」
「反省はしたんだけど……綾に魔法を教えて貰うことになってるんだ」
「……はい?」
「……え?」
 予想していなかったその言葉の中身に、僕と霧子は声を上げ、一瞬、視線を交差させてからほぼ同時に良の目の前の机をぱしん、と叩いて彼に詰め寄った。

「良、それ、どういうこと……っ!?」
「うん。僕にも分かるように説明して欲しいな」
「えーと、だな」
 周囲を憚って潜めた声で問いかける僕たちに、良は一度辺りをうかがってから少し声を潜めて事情を話してくれた。
 会長さんが良に魔法を教えようとしていること。そして、何故かそれに対抗意識を燃やした綾ちゃんが、良に魔法を教える約束を取り付けてしまった……いうこと、らしい。

「で、昨日はさっそくほぼ徹夜で特訓させられた訳なんだけどな」
「……あのさ。良、確認なんだけど」
「うん」
「それって深夜、良の部屋で、綾ちゃんと二人っきりだっていうことよね……?」
 良を問い詰める霧子の声は押し殺したようでも、僅かに震えている。恐らくそれは怒りのためなのだろうけれど、そんな彼女の感情に良も少しは気付いているのか、しかられた子供のごとく恐る恐るという表情で首を縦に振った。

「……えーと、まあ、そうなんですけれども」
「何を考えてんのよ! あんたはっ!」
 素直な、あるいは潔い返事に、霧子は間髪いれずに良の耳を掴んで、引っ張った。

「痛たたた、って、こら、耳を引っ張るな、耳を!」
「うるさい! ほんとーに危機感がないのよ、あんたは」
「き、危機感って……っ、いや、それは大げさじゃないのか?」
 激昂する霧子に、良は少し戸惑ったような表情を浮かべる。良からすれば「妹離れ」はする、といったもの、それは「今すぐ、迅速に、確実に」行わなくてはいけないもの」という類の認識ではないのだろうから、彼の戸惑いは理解できた。きっと今は近すぎる兄と妹の距離を、少しずつ適度に離していけばいい……と思って居るんだと思う。
 でも、それはあくまで良の認識であって、僕や霧子からしてみれば、良の妹離れと綾ちゃんの兄離れは「今すぐ、迅速に、確実に」行ってくれなくてはいけないものなのだった。何しろ、綾ちゃんの良に対する気持ちが本物だってことを、僕たちは二人の育ての親である神崎先生から聞いているのだから。友人としては、そんな悠長な気構えでいられては困るのだった。
 だから、「夜中に、良の部屋で、長時間、良と綾ちゃんが二人っきりになる」なんていう事態は言語道断なわけで、その辺は、本当に良にもっと危機感を持って欲しいんだけど……でも、それもまた難しい問題なのだった。なにしろ「綾ちゃんが良に抱いている感情」を良に直接教えてしまうこと」は危うすぎて、出来ないから。それを教えられない自分がひどくもどかしい。
 だから、霧子も少し大げさなぐらいに怒ってお説教しているのだと思うけれど。

「全然、大げさじゃないの! 反省しなさい、反省」
「うう、いや、だってな」
「言い訳は聞きたくないの。シスコン」
「ぐお」
「シスコンを卒業するんでしょ? 違うの?」
「……違いません。違いませんが……ってか、ちょっとはこっちの言い分もだな」
「反省の念が見えないわよね」
「だから、耳を引っ張るなっ」
 ……なんというか。
 さながら浮気が発覚した夫婦のような会話だよなあ、なんて感想を頭の片隅に浮かべつつ二人のやり取りを見守っていると、不意に「コツコツ」と何かが窓を叩くような音がした。

「……え?」
 僕たち三人が集まっているのは、教室の後ろ。それも窓側の隅だから、その物音は僕たちの真横から聞こえた訳で、だからほとんど何も考えずに窓の方へと目を向けて、僕は、硬直した。

「うわっ?!」
「な、なに?!」
 僕が硬直した一瞬の後、夫婦漫才をしていた良と霧子も窓の外に目を向けたのか、二人の悲鳴のような声が耳をつく。

「か、会長?!」
「こんにちは、神崎さん」
 そう。良が引きつった声で呼びかけたとおり、窓の向こうには、晴天を背景にしてこちら側をのぞき込む会長さんの姿があったのだった。驚きに、呆然とする僕たちを尻目に、会長さんは平然とした微笑みを浮かべて、もう一度、軽く窓を「こつん」とノックする。

「悪いけれど、窓を開けてくれないかしら。流石に割って入ると目立ってしまうから」
「開けます! 開けますから割らないで下さい」
 冗談めかした会長さんの台詞に、良が慌てて窓を引き開ける。すると、そこから会長さんはひらり、と軽やかに身を翻して教室に降り立った。長い金色の髪が、風にはためいて一瞬、僕の視界を奪う。刹那、僅かに香った花のような香りに、頭の芯が揺れるような錯覚を覚えて、僕は慌てて頭を小さく左右に振った。
 生徒会長、紅坂セリアさん。
 去年、僕に向かって手を差し伸べて……僕も一度は思わずその手を握ろうとして、でも結局は、その手を握ることが出来なかった人。その手には教師の持つ指示棒のようなものが握られていて、おそらくはそれに腰掛けるようにして空を飛んできたのだと、知れた。

「ごきげんよう、神崎さん」
「ごきげんよう、じゃありませんよ! どこから登場するんですか、あんたは!」
「窓からだけど」
「『見て分からない?』みたいに答えないで下さいっ! なんだって空から来るんですか?!」
「凄いでしょう?」
「凄いですけど! それとこれとは話が別でしょうが!」
 声を引きつらせて抗議する良だったけれども、会長さんは悪びれた様子もなく、そんな良の態度を却って楽しげに見ている……ような気がした。だけど、会長さんの様子を細かに観察している余裕は、僕には無くなった。当然といえば、当然だけど注目度抜群の人物が、注目度抜群の方法で登場したものだから、教室内の全員の注目が会長さん……と、それを取り巻いている僕たち三人に一手に集中してしまったから。
 
 ……面倒な騒ぎになるかも知れない。
 そんな予感に、僕は少し血の気が引いた。気恥ずかしい限りなんだけれど、速水会、なんていう名前がつけられている僕と魔力交換をしてくれる人たちの集団がある。そのまとめ役をやってくれている鐘木セフィナさんをはじめとして、その速水会の中心メンバーはこのクラスには多いわけで、会長さんに必ずしも好意的じゃない感情を抱いている人もいるはずだから。

「……」
 そんな緊張を抱いて、身を固くした僕の予想とは裏腹に、教室を包んでいるのはざわめきじゃなくて静寂であり、会長さんに向けられている視線は、敵意じゃなかった。いや、正確には敵意も警戒心も勿論、会長さんに注がれているとは思う。だけど、それだけじゃない。今、彼女に降り注いでいるのは、興味であり、好奇であり、羨望であり、憧憬であり、尊敬であるように、僕には思えていた。
 いろんな感情がさざめいて揺れている視線。そんな息の詰まりそうな視線の群れを受けて、でも、会長さんは狼狽えることもなく、涼やかに笑顔で会釈した。

「こんにちわ、皆さん。お騒がせしてごめんなさい」
 気負い無い、でも、凜とした態度の挨拶。ただそれだけで、集まる視線の圧力を押しのけて、彼女は僕たちの方へと視線を戻す。刹那、紅坂の名前とは対照的に青みを帯びた瞳が、一瞬、僕の目を覗く。

「……っ」
 柔らかなはずの会長さんの眼差し。それでも僕は、その瞳に捉えられた瞬間に、体が強ばるのを自覚した。ドクン、と心臓が高鳴って、俄に汗が手のひらに滲む。それは、あるいは僕が感じただけの錯覚だったのかもしれない。だけど、そんな僕の様子に気付いてくれたのか、良と霧子が、僕を会長さんの視線から遮るように素早く立ち位置を変えてくれていた。

「えーと、それで何のご用でしょうか。会長」
「心配しなくても大丈夫よ、神崎さん。速水君じゃなくて、あなたに用があるんですから。だから、桐島さんもそんなに怖い顔しないで欲しいのだけれど」
「……す、済みません。信用していない訳じゃないんですけれど」
「気にしないでいいわよ。その点は私にも責任があるから」
 良と霧子の行動の意図を汲み、それでいて気にしていない、と答えた会長さんは、ほんの少しだけ声の調子を落として告げた。

「でも流石に、悪のりが過ぎたかしら?」
「……おおっ」
「……なんですか、神崎さん。その感嘆の声は。まさかとは思うけれど「会長でも自戒することがあるんですね」なんて思っているんだったら、埋めるわよ?」
「物騒な台詞だけ小声で囁かないでください。怖いから」
「物騒かしら。神崎さんを埋めたら、綺麗な花が咲きそうなんだけど」
「真顔で言うな」
「冗談よ。神崎さんが意地悪なことを言うからいけないんじゃない」
 良を楽しげにからかってから、会長さんは少し表情を改める。

「でも、そうね。少し騒がしくなっちゃったから……神崎さん。今日の放課後、何か用事があるかしら」
「放課後ですか? 今日はちょっと都合が悪いんですけれど」
「あら。そうなの?」
「ええ、部活動があるんです。まだ体験入部中なんですけれど」
「なるほど……うん。なら、それはそれで都合が良いかもしれないわね」
「はい?」
「分かりました。部活動、勤しんで下さいね」
 都合が悪い、と良が答えたにも関わらず、会長さんは「都合がよい」なんて正反対の台詞を呟いてから、くるり、と踵を返して扉の方に歩を進め始めた。

「って、いや、会長?! だから、放課後は都合が悪いんですけれども?!」
「ええ。ですから部活が終わる時間には迎えに行きます。待っていてくださいね? 勝手に帰ったりしたら、許しませんよ」
 慌てて呼び止める良に、事も無げにそう命令して、会長さんは呆気にとられる魔法使い達のなかを悠々と割って歩いて、教室から姿を消してしまった。
 唐突に現われて、唐突に去っていった会長さんの後ろ姿を呆然とした気持ちで見送っていたのは、多分、僕だけじゃなくてクラスメートの大半がそうだったと思う。そして、結局の所、ほとんどの人が抱いて居るであろう感想を、呆然としたままの表情でぽつりと良が呟いた。

「……なんだったんだ。一体」
「意外と子供っぽいのかも知れないね、会長さんって」
「ああ、そんなとこあるけど。何も窓から現われなくても」
 僕の指摘に頷きながら、未だ良は、呆気にとられている。そんな良の横顔を見ながら、さっき僕が言った意味と、良が頷いた意図は少し違うんだろうな、って僕は気付いていた。
 良の言う子供っぽいは、単純に会長さんが悪戯のような行動を好むという意味での稚気であり。僕の意図はつまり……好きな子の気を惹こうと意地悪する。そんなとても幼く、そして……どこか必死な感情の発露のことだったから。


/2.放課後の美術部にて(神崎良)

 部活動が終わる頃に、会長さんが来る。
 美術部にあまり迷惑を書けてはいけないと、あらかじめ部長さんに話をしておこうとしたのがそもそも間違いだったのかも知れない。俺の話を聞くなり、美術部部長のアルフレッドさんが隆々とした体躯を振るわせながら美術部中に驚嘆の声を響かせた。

「こ、紅坂会長が来るのかっ?!」
 薄い褐色色の肌を興奮に軽く蒸気させつつ、部長さんはその碧眼を霧子の方に振り向けた。

「き、桐島! 本当なのか?!」
「落ち着いて下さい。部長」
「これが落ち着いていられるか! 本当か? 本当なんだな?!」
「本当ですよ。まあ、部活動が終わってから、っていうお話でしたけど」
「こ、こうしてはおれん! 掃除だ、掃除をしなければ……っ! みんな、掃除だ! 毛一本、塵一つ、無駄な細胞の一片すら見落すな!」
「はいっ! 部長!」
「だから、落ち付けって言ってるでしょう? っていうか、あんたらも悪のりして返事するんじゃないのっ!」
「ぬおうっ」
 興奮冷めやらぬままに掃除を命じた部長さんのスキンヘッドを、霧子はパシーンとモップの柄で殴打しつつ、素直に部長に呼応した部員達に突っ込みをいれる。しかし、ほとんどフルスイング気味だった霧子の一撃を食らっても、部長さんは全く応えた様子もなく、ただ感動に振るえるままに俺の手を固く握った。

「神崎君!」
「は、はいっ?!」
「なんという僥倖だろう……っ! いや、正直な所、連日、紅坂会長と一緒に登校してきた神崎君を見たときには胸の中で猛り狂う嫉妬と殺意を宥め押さえるのに四苦八苦したものだが……災い転じて福と成すというべきなのだろうな。ありがとう、神崎君っ!」
「い、いえ、どういたしまして」
 今、さらりと「猛る殺意」とか怖い台詞を言われた気がするが、気にしないでおこう。アルフレッド・サーカムさん。2mに届こうかという長身に、筋骨逞しい体格。どこからどうみても体育会系の外見でありながら、美術部部長を務めるこの先輩は、会長さんの信奉者らしいので、その手の感情を抱いていてもおかしくはないし、裏表がなく本心を現してくれるだけ、嫌みが無くてありがたいとも思えてしまうから。

「……とはいえ、おい、霧子、ちょっと」
「何?」
「本当に大丈夫なのか? 会長さんが来ても。ほら、部長さんって、前にお前に代理で生徒会室に行かせてたじゃないか」
「多少は心配だけど、まあ、大丈夫じゃない? ほら、生徒会室に乗り込む訳じゃないし、美術部ならこっちの本拠地でしょ? そんなに気後れしないわよ」
「気後れしないって……あの状態でもか?」
「一度、落ち着いてしまえば何とかなるわよ。あれでも修羅場をくぐってきている人なんだから」
「修羅場?」
「山の中でクマに襲われても無事に生還したとか、動物園で虎の檻に入って餌を奪って出てきたとか、全長2mを越える怪鳥に襲われた時には、返り討ちにして全身の毛をむしったとか」
「……つっこみ所は山のようにあるが、そもそもどれ一つとして美術部に関係のないエピソードなのはどうなんだろう」
「仕様がないわよ、アルフレッド部長だから」
「そ、そうか」
 何が仕様がないのか、突っ込みたい気もしたけれど、あまり細かいことを聞くと怖い事実を知ってしまいそうな予感もしたので聞かないで置くことにした。しかし、人食い絵画にしてもそうだけど、東ユグドラシル魔法院の美術部って、ひょっとして本気で恐ろしい所なんじゃ、ないだろうな……?
 そんな不安を抱く俺をよそに、部長さんは他のメンバーに「自分の服装におかしいところはないか」なんて事を聞いて回ったりしている。

「部長、寝癖がついてます」
「なにいっ?! だ、誰か、櫛と鏡を貸してくれないかっ?!」
 ……部長。スキンヘッドなのにどうやって寝癖が付くんでしょうか。どうしようもないほどに舞い上がっている部長さんの様子に、俺はもう一度、確認の台詞を霧子に向けた。

「……本当に、ほんとーに、大丈夫か? やっぱり、こっちから会長さんに会いに行った方が良くないか?」
「まあ、私も不安になってきたけど……でもさ。今更、会長さんが来ないなんてことになったら、もの凄く落ち込むと思うのよ。部長」
「そっか……そうだな」
 先ほどからのアルフレッド部長の態度を見ていれば、会長さんの訪問の機会が無くなったと聞けば、どれだけ落胆するかは想像に難くない。なら余計なことをしない方がいいのだろう。

「でも、部長さんと会長さんって学年同じだよな」
「当たり前でしょ。まあ、うちの部長は余裕で二十歳以上に見えるけどね」
 貫禄があるというか、威風があるというか。見た目とっくに成人していると言われても何も違和感がない部長さんの風貌だった。正直、身長をちょっと分けて欲しいと思うぐらいなのだけど……閑話休題。

「同学年でもあそこまで緊張するものなのか?」
「仕方ないわよ。相手が会長さんだしね」
 溜息混じりにそう答えながら、ふと気付いたように霧子は目を瞬かせて俺を見た。

「……っていうか、ほんとにあんたぐらいじゃないの? 会長さん相手にあそこまで反抗できるの」
「そうでもないだろ? 篠宮先輩とかも普通にお説教してるし。生徒会のメンバーなら普通じゃないのか?」
「んー。生徒会の人でもあんまりそういう雰囲気はないんだけどなあ」
「大体な、俺だって反抗したくてしてるわけじゃないし、平気で反抗してるわけでもないぞ」
「ふーん。そうは見えないんだけどなあ」
 俺の返事に、霧子は今ひとつ納得していない様子で腕を組む。会長さんが苦手な霧子だから、俺が会長さんに反抗しているのが、大げさに凄いことに感じられるのかも知れない。そもそも、俺だって会長さんと対等に口をきいているつもりはないんだけれど。話している内に、ついつい、喧嘩腰になってしまうというだけで。

「神崎君っ!」
「は、はい?! って、ええ?!」
 少し考えに沈みかけていた俺の名前を、勢いよく呼ぶアルフレッド部長の声。弾かれるように、その声に振り向いた俺の視線の先には、つい先程までとは全く異なる出で立ちの部長さんがいたのだった。

「どうだろうか、この格好は?! 会長に対して失礼ではないだろうか?!」
「ぶ、部長?!」
 今、部長さんの体を包んでいるのは、そのまま社交の場にでも出るのか、と思わせるタキシードだ。肩幅があり、そして背丈もある部長さんなので恐ろしく貫禄があって、似合っていた。俺よりも一瞬遅れて部長さんの姿に気付いた霧子は、目眩を起したように一歩たたらを踏んでから、軽く頭を振って部員の皆さんに向かって声を張り上げた。

「こらーっ! 誰よ、部長に礼服なんて着せたのはっ!」
「心配するな、桐島。用意したのは、私だ。急いで正装を「描いて」みたのだが、どうだろう、神崎君!」
「す、凄いです」
「確かに凄いけど、良もそこで感心するんじゃないの! 部長も舞い上がってないで、少しは理性を取り戻してください! っていうか、誰よ。発案者は!」
 そんな霧子の突っ込みの声も空しく、結局、この日の部活動はほとんど掃除と、部長さんのメイクアップと、そして部長さんを落ち着かせ宥める作業に費やされてしまったのだった。

 /

 そして時計の針が、部活動の終了の時刻を指し示した。

 /

「みなさん、お疲れ様です」
 空が夕日に染まりはじめる中、カチャカチャと道具を片づけていく音が部室から消えていくそのタイミングを計っていたように、良く通る声が凛と響いた。今更、声の主が誰かなど確認するまでもない。今日の部活動を混沌に至らしめた一因である紅坂セリア会長その人だ。

「紅坂会長、ようこそ美術部へ」
「あら、アレフレッドくん。ふふ、正装でお出迎えして貰えるなんて感激だわ」
 ……まさか本気の本気でタキシードのままで出迎えるとは思っていなかったのだけれど。
 アルフレッド部長は、美術部員総出で仕上げた正装に身を包み、精一杯に丁寧な態度で会長さんを迎え入れた。そんな部長さんの姿に、会長さんは驚き慌てることもなく、柔らかな笑みで受け止めてみせる。その余裕ある態度、そして、慣れた魔法院の学生服のままなのに、正装した部長さんが横に並んでも少しの違和感も感じさせないのは……流石は紅坂のお嬢様、というべきなのかもしれない。

「アルフレッド君のお手製のタキシードなのかしら。素敵ね」
「会長に誉めて貰えるとは、感激だ。部員にも細部は手伝って貰ったんだが……」
「でも、基本構成はあなたのものでしょう? 時間経過の綻びがほとんど感じさせないなんて、流石よ」
「そ、そうかな。ありがとう」
 会長さんの賛辞に、部長さんは頬を硬直させて僅かにはにかんだ。
 しかし、「美術部に入ったら、いきなり正装してお出迎えされた」ということに、本気で一切、驚いているように見えないのは会長さんが大らかなのか、あるいは驚きを表に出していないだけなのか、はたまた上流階級では日常茶飯事なのか。まあ……この場合、突っ込むところはそこではないと思うのだけれど。
 そんな俺の疑問をよそに部長さんと会長さんは、いくつか専門的な言葉をやり取りし、そして、アルフレッド部長が、意を決したように部室を指し示しながら言った。

「ど、どうだろう、会長。よかったら見学でも……?」
「ありがとう。お誘い頂いて嬉しいわ。でも、もう部活動はお仕舞いでしょう? それに今日は別の用事があるの。またの機会に是非」
「そ、そうか」
 目に見えて肩を落す部長さん。そして、部員達から教え込まれていた数々のお誘いの言葉に、作戦。それらを発揮する間もなく、ばっさりと会長さんに誘いを断られたのだから、無理もない。そして、そんな部長さんの姿に、部員の皆さんはそれぞれに同情の表情を浮かべて、溜息を押し殺していた。物凄く気合いを込めて準備した正装に、部室。あまりの不憫さに目尻に涙を浮かべている部員すら居るほどだった。……っていうか、そこまで真摯に協力していたんなら、誰か、軌道修正しろよ。タキシードとか!
 対する会長さんはと言えば、その部長さんに「また今度お願いね」と再び優しく告げながら、その眼差しをぐるり、と部室の中に巡らせて、ぴたり、と俺の方を向けて止めた。そして俺と目があった瞬間、穏やかだった彼女の視線に、いい知れない悪戯めいた色がひらめいた―――というのは、俺の心が被害妄想ですさんでいるからだと信じたい。

「もう後片づけはすんだかしら? 神崎さん」
「ええ、まあ……はい」
 お陰様で、今日は普通に絵を描いているような暇はありませんでしたから。と口には出さずに内心だけで呟いて、俺は鞄を手に取った。先輩方を差し置いて、さっさと帰ってしまうのは少し抵抗があるけれど、しかし、このまま会長さんを部室内に留めておくよりは良いと思う。
 いや……、ここはアルフレッド部長のためにも「部室を見学していきませんか?」とか言うべきなのだろうか。あれだけ準備(といってもみんなして部長さんを弄り倒していただけのようなきがしなくもないが)をしていたわけだから。そんな考えを、俺が口にしようと仕掛けた瞬間、それを遮るように逞しい掌が俺の肩をがしり、と掴んだ。

「か、神崎君」
「あ、部長。やっぱり、会長さんには―――」
「神崎君」
 俺の言葉を途中で遮った部長さんは、眉間に強烈にしわを寄せながら悲痛な表情で首を横に振る。

「会長にも都合がある。無理に引き止めるのは心苦しい」
「……部長」
「だから、神崎君。会長の「都合」が君に対するものであるのなら……会長にくれぐれも失礼の無いように」
「りょ、了解しました」
「た、頼んだぞ……? 本当に、頼んだぞ、神崎君……っ。信じているからな」
「は、はい」
 血を吐くような台詞の迫力とぎりぎりと肩に食い込む掌の圧力に、俺はガクガクと何度も首を縦に振った。そんな半ば脅迫めいた表情で迫る部長さんを見かねたのか、霧子が呆れた声で突っ込みながらこつん、と手にした絵筆で部長さんの頭を叩く。さっき見たいにモップの柄でフルスイングをしなかったのは、やっぱり会長さんの視線を憚ってのことだろうか。

「脅迫は止めて下さい。部長」
「ぬ、いや、そんなつもりは……」
「そんなに心配なら私も良と一緒に帰りますから、お先に失礼しても構いませんよね?」
「! そ、そうか。そうだな、うん。友達と一緒に帰るのはとても良いことだ。頼んだぞ……桐島っ!」
 苦渋の表情から一転、部長さんは、霧子の提案に顔を輝かせると、今度はがしり、と霧子の手を……握ろうとして、避けられていた。

「ぬ。何故避ける、桐島?」
「こういう時の部長は、握力を加減しないからです。いいから、少し落ち着いて下さい」
「そ、そうか。すまん。いや、しかし頼んだぞ、桐島」
「はいはい。了解です」
 多分、部長さんの頭の中では俺と会長さんを二人っきりにするとマズイ、というような事が浮かんでいるのだろう。だから、霧子の提案を救いの手の様に感じているのだと思うけれど……部長。俺と会長さんと二人っきりになっても、そんな雰囲気にはなりませんよ? 今までの会長さんとの記憶を思い起こして、俺は内心で息をついた。なにせ、この間、二人っきりになったときには「実験」と称して中庭で処刑されそうになりましたしね。俺。

「桐島先輩! 頑張って下さい!」
「あ、でも、頑張るってどっちの意味で?」
「そりゃ、どっちもでしょ? 人の恋路と自分の恋路」
「ああ、桐島先輩がとうとう神崎先輩に……」
「泣いちゃ駄目よ! 好きな人の恋路なら応援するのが、魔法使いの道じゃない……っ!」
「でも、でも……私っ」
「駄目よ! それ以上は……それ以上は……言わないで……」
 俺と霧子と会長さん。その三人が辞した美術部からは、そんな騒々しい声が侃々諤々と漏れ聞こえてきたのだった。その楽しげな声に、会長さんはくすり、と笑みを零して霧子の方に視線を向ける。

「ふふ、大人気ね。桐島さん」
「聞かなかったことにして下さい」
 素っ気なく、でも僅かに耳を赤くして、霧子が溜息混じりに首を振った。そして、きっ、と俺の方を睨んで指を突きつける。

「良も! 今のは全部聞かなかったことにしなさい」
「いや、あのな」
「素直に忘れるのと、強制的に忘れさせられるのとどっちがいいの……?」
「忘れる。忘れるから拳を固めるな」
「……うう」
 僅かに顔を赤くして呻く霧子に、瞬間、少し見惚れそうになる。そのままだと、つられてこっちまで赤くなりそうな気がして、俺は軽く咳払いしてから、傍らの会長さんに話題を向けた。

「所で会長、一体、どこに行くんですか?」
 放課後に時間をとれ、とは言われたけれど、どこに行くのかは聞いていない。用件はきっと昨晩、綾から聞いた「俺に魔法を教える」というものなのだろうけれど……果たして彼女はどこで魔法を教えてくれるつもりなんだろうか。
 そう思って尋ねる俺に、会長さんは事も無げに「決まってるじゃない」と微笑んで告げた。

「勿論、神崎さん。貴方の家よ」


/3.神崎家にて(神崎良)

「えーと。何か飲み物用意しますけれど……珈琲と紅茶のどっちがいいですか?」
 とは、台所の奥からリビングの面々に問い掛けた綾の声。

「そうね、紅茶をお願いできるかしら」
 とは、ソファーに腰掛けてリビングに飾られた小さな絵を興味深げに眺める会長さんの声。

「私も紅茶をお願いします」
 とは、飲み物の準備を手伝おうとして、綾に「お客さんですから」と断られて、落ち着かない素振りを見せる篠宮先輩の声。

「綾。カップはここでいいの?」
 とは、親友として綾の手伝いを許されている(というのも大げさだけど)佐奈ちゃんの声。

「私も紅茶でいいわよ」
 とは、ポスポスとクッションを弄びながら、俺の隣に腰を下ろしている霧子の声。

「あ、じゃあ僕も紅茶貰えるかな?」
 とは、霧子の更に隣で、どことなく緊張した面持ちで居住まいを正している龍也の声。

「全員紅茶なら、俺も紅茶で良いよ」
 とは、リビングのテーブルを挟んで会長さんと向かい合う形で座る俺の声。

 ……というわけで。
 今現在、神崎家のリビングには、俺と綾、会長さんに篠宮先輩に、龍也と霧子。そして佐奈ちゃん、の総勢7名が集合しているのだった。普段、俺と綾、そしてレンさんしか居ないリビングに、七人が入ると流石に手狭に感じてしまう。

「済みません、神崎さん。大勢で押しかけることになってしまって……」
「あ、いえ。気にしないで下さい」
 大勢で押しかける結果になったことを気にしているのか、申し訳なさそうに頭を下げてくれる篠宮先輩に、俺は慌てて手を横に振った。
 ちなみに篠宮先輩と、そして龍也とは、校門を出た辺りで合流した。篠宮先輩は会長さんが、龍也は俺と霧子を心配して待っていてくれたらしい。

「本当に美術部にはご迷惑をおかけしていませんでしたか?」
「済みません。騒いでいたのは、全面的にうちの部員の悪のりが原因です」
 さながら保護者のように会長さんのことを心配する篠宮先輩に、霧子が恐縮しながら頭を下げる。と、そんな二人のやりとりに元凶たる会長さんは、面白そうに口元を緩めた。

「美術部の皆さん、楽しそうでしたね。ふふ、あんな衣装を用意するなんて、アルフレッド君が慕われているのが、よく分かったわ。アルフレッド君の魔法を起点にみんなで手直しをしたんでしょう? 中々の物よね」
「お、お恥ずかしい限りです……」
 最終的にはタキシード制作に関わってしまった霧子は、悪のりを反省するように少し肩を落とす。そんな美術部での出来事を話題にしている間に、綾と佐奈ちゃんが紅茶を運んできてくれた。

「お待たせしました」
「全員、紅茶で良かったんですよね?」
 綾と佐奈ちゃんは、二人とも制服姿。どうしてこの二人がこの場にいるかというと、俺たちが家に帰ったときには既に綾と佐奈ちゃんの二人は家の中にいたのだった。まるで俺たちが来るのが分かっていたかのように、綾は玄関で腕を組んで待ちかまえていたのだけれど……今考えても、なんで綾が玄関で待ちかまえていたのかはよく分からない。

「良先輩、どうぞ」
「ありがとう、佐奈ちゃん」
 大勢の上級生たちに嫌な表情もひるんだ様子も見せずに、いつものように淡々とした表情のまま、佐奈ちゃんは給仕役をしてくれていた。紅茶の香り漂うカップを配っている彼女は、気付けば、制服の上から白いエプロンを着けている。

「そのエプロン、どうしたの?」
「調理実習用のエプロンですけど……可愛いですか?」
「あ、うん。可愛いと思うよ。似合ってる」
「……先輩に、褒められました」
 素直な俺の感想に、佐奈ちゃんは小声で、でも凄く嬉しそうに口元を小さく綻ばせた。その笑顔が微笑ましくて、少し佐奈ちゃんに目を奪われていると、不意に横合いから、コツン、と頭を叩かれる。

「兄さん。顔がだらしないです」
「……失礼な。別に、そんな表情してないぞ」
「いいえ。締まり無いです」
「そこまで言うのか……」
 何が不満なのか、兄の表情を容赦なく扱き下ろして、綾は俺の隣(霧子とは反対側)のソファーにやや乱暴に腰を下ろした。ほぼ同時に佐奈ちゃんも開いている席に着き、テーブルを囲むようにして七人、みんな仲良く紅茶に口をつけていることになった……のだけど。

「会長」
「雰囲気の良いお部屋ね。神崎先生のご趣味なのかしら?」
「飾ってある絵とかは、レンさ……コホン、母さんのものですけどね。それより、そろそろ会長さんの用件を聞かせて貰えますか?」
 午前に教室に乱入してきてから、美術部を経由して、家に帰るまで、色々と雑談はしたけれど、結局、会長さんは俺に対する「用件」の内容をまだ口にしていない。そう問い掛ける俺に、会長さんは何かを考えるような素振りを見せてから、軽く頷いた。

「それは構いませんけれど、場所を変えても良いかしら」
「場所を変えるって、どこにです?」 
「神崎さんの部屋」
「駄目です」
「駄目ですっ!」
 相も変わらず唐突な会長さんの提案に、俺と綾が同時に否定の言葉を口にする。そんな俺たちの反応に、当の会長さんは不思議そうに首を傾げた。

「あら、どうして?」
「ど、どうしてって……」
 率直な問い掛けに、綾が何故か気圧されたように言葉を詰まらせる。

「その……男の人の部屋に女の人が軽々しく入るのは駄目だと思います」
「そうなの? でも桐島さんたちなら、神崎さんの部屋に入ったことはあるんじゃないかしら」
 えらく厳しい男女の倫理観を持ち出してきた綾に、会長さんは霧子の方に問いかける言葉を向けた。そんな問いかけが来るとは思っていなかったのか、霧子は少し驚いたように目を開いたが、一拍の間をおいて素直に首を縦に振る。

「え? あ、はい。それは何度かありますけど……」
「あ、あるんですかっ?!」
「うん。って、知らなかった?」
「知りませんでした……」
 霧子の返事に、何故か綾は驚愕の声を上げ、そして非難する目つきで俺を睨む……て、何故、俺を睨むんだ。こいつは。

「霧子と龍也は、そりゃあるよ。何年のつきあいだと思ってるんだ? そもそもお前だって、佐奈ちゃんだって俺の部屋には何回も入ってるだろ?」
「うっ……そうだけどっ、そうなんだけどっ!」
 俺の指摘に、綾は言葉に詰まりつつも、何故か納得していないような様子を見せる。そもそも佐奈ちゃんが俺の部屋に来るときには、ほとんど綾と一緒な訳で、当の綾がそんな事実を忘れていたわけもないはずだけど。

「あら、みんな入ってるのね。それじゃあ、ますます私が入らないのは不公平よね」
「何が不公平なんですか、何が! ともかく、神崎家ルールでは駄目なんです!」
「こら、勝手なルールをねつ造するな」
 興奮する綾の頭を、ぽん、と軽く叩いてから、俺は会長さんに向き直る。

「別にルールとかじゃないですよ。単純に、俺の部屋は狭いからこんな人数は入れませんし、今は散らかっているんです」
「そうなの? それでは、仕方ないわね」
 俺の説明に、会長さんは珍しく聞き分けよく頷いた。そして、ティーカップを取り上げると、漂う香気を楽しむようにしながら、ごく当たり前の口調で続けた。

「じゃあ、簡単に片付けてきて下さい」
「……はい?」
 人の話を聞いていないんだろうか、この人は。

「いや、だからこの人数は入れませんってば」
「なんとかしなさい」
「なんとかって」
「するの。魔法院の生徒でしょう?」
 無茶な。魔法で部屋を広くしろとでも言うのか、この人は。思わず頭を抱える俺に、会長さんは紅茶に口をつけてから、薄く笑った。

「神崎さんに無理なら、私が「なんとか」しても良いですよ。でも、お部屋は散らかっているのでしょう? そんな状況で無理矢理に押し入るほど無神経ではないつもりなんですけれど」
「へー、そうですか」
「……押し入って欲しいというのなら、そうしましょうか?」
「いえ、とんでもありません」
「ということで、自分で何とかするか、私になんとかされるか。選びなさい」
「……自分で何とかします。はい」
 相変わらず無茶な要求を平然と突きつける会長さんに、俺は溜息を押し隠してそんな答えを返す。正直、会長さんと二人きりなら「いい加減にしろ」とまた喧嘩腰になっていたと思うけれど……今は綾や龍也がいる。だから、そういう雰囲気にしてはダメだと、俺はぐっと気持ちを抑え込む。
 そもそも、こうして会長さんを家に迎え入れたのは関係改善のためなのだ。ここで怒っては元も子もない。それは会長さんにしたって同じなはずで、わざわざこうして家にまで尋ねてきてくれたんだから、俺が短気を起こすべきじゃない。……まあ、会長さんの言動を見ていると本気で俺と仲直りする意図があるのか、疑わしくなったりもするのだけれど。……あるよな? あるんだよな?

「じゃあ、ちょっと片付けてきます」
 まあ、ベッドを部屋の外に出せば全員が座るスペースを確保できないこともないだろうし。なんとかなるだろう。とりあえず自分を納得させてソファーから腰を浮かすと、龍也が遠慮がちに声をかけてくれた。

「あ、良。僕、手伝おうか?」
「うん?」
「一人だと時間かかっちゃうだろうし」
「あ、そうだな」
 確かにベッドを動かすとなると一人ではちょっと辛い。

「悪い、頼めるか?」
「うん」
 俺の返事に、なんだか安堵したような表情を浮かべて龍也もソファーから腰を浮かす。そんな俺たちを見て、綾が慌てた様子で手を挙げた。

「あ、じゃあ、私も手伝う」
「お前は駄目」
「何で?!」
 俺の拒絶に、綾は何故か悲鳴のような声を上げて、がしりと俺の腕を掴んで抗議の声を張り上げた。

「どうしてダメなの? 速水先輩が良くて、妹の私が駄目な理由はなんなのよ?!」
「あ、綾ちゃん。落ち着いて」
「速水先輩は黙っていてくださいっ!」
「ご、ごめん」
「こら、龍也を威嚇するな。今のところ、俺の部屋は女人禁制なの」
「なによ、それ。さっき私には変なルールをねつ造するな、っていったのに」
「うっ」
 ちょっと痛いところを突かれて、俺は一瞬、言葉に詰まった。確かにさっきはそう言ったんだけれども、しかし、だからといって「ごめん。俺が悪かった」といって綾を掃除に付き合わせるわけにはいかないのだ。何しろベッドを移動させるわけだから……まあ、その。女性陣には見られたくないものもあったりするわけで。

「まあまあ、綾ちゃん。いいじゃない。掃除は男どもに任せておけば」
 言い繕う言葉を探す俺を見かねてか、霧子が綾に宥める口調でそう言ってくれた。

「うー。でも、ですね」
「ほら。良もぐずぐずしてないで、さっさと片付けてきなさいよ。ほらほら」
「わかったよ。じゃあ、ちょっと片付けてくる」
 言葉を交わすほどに、泥沼に嵌るわよ―――と、言外に告げられて、俺はそそくさと龍也の手を引いてドアへと向かう。

「うー、兄さんが逃げた」
「次は私にもお手伝いさせてくださいね」
「あまり時間はかけないでくださいね。ふふ」
「重ね重ね、済みません」
 掃除に向かう俺と龍也の背中に投げかけられる女性陣のそれぞれ言葉に、俺と龍也は軽く苦笑しながら手を振って、騒々しいリビングを後にした。

 /

「……ふー。危なかった」
 ぱたり、とリビングのドアを閉めると同時、思わず口からそんな声が漏れる。それを耳にして、龍也が少し興味を引かれたような表情を浮かべた。

「やっぱり、見られるとまずいものあるの?」
「そりゃあ、少しはな」
 いわゆるエロ本の一冊や二冊はあるわけで、こんな女性陣が5人も居る中で、そんなものをご開帳する気にはなれない。

「あー。そう言えばどこに隠し場所を変えたらいいかなあ」
「あ、あはは。がんばろうね、良。僕も一緒に考えるから」
「頼りにしてるよ」
 親友の人の良い笑みに、こちらも笑みで応えながら、俺たちは証拠隠滅……もとい、部屋の掃除をするために自室へと急ぎ向かったのだった。だから、この時、残された女性陣がどんな会話を繰り広げるのかなんか、想像なんてしている余裕はなかったし。

 /

「……ん? えらくまた賑やかだな?」
 俺たちが掃除している間に、レンさんまでもが帰宅してくるなんて事は、まったく想像もしていなかったのだった。

続く

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